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「……幻術で、事前に影武者を置いていたとでも?」
「ええ」
「だが、あれは確かにバロックだった」
魔力の探知ではなく、彼が持つ天性の才──卓越した識別能力は惑わされる類のものではない。
相手が見知ったものであればなおのこと……そもそも。彼がこうした直感紛いの判別を行っていると知らないのであれば、幻で騙すことさえ不可能だ。
最大の問題である見誤りについても、確認すぎる限りは発生していない。
「時に、あなたはいつ生まれたかを覚えていまして?」
「……」
「昨日生まれたと言われて、反論できますこと?」
面倒な言い回しをするライムだが、これは一周回ってわかりやすい言葉となっていた。
「わたくしは、この方の模造品を作りましたのよ。寸分の狂いもなく、あの時点までの経験を全て引継ぎ、肉体も精神も、なにもかもが同一のコピーを」と、バロックを指しながら言う。
「人間の在り方を語りたい、と?」
「いえいえ、ものの考え方ですわ。バロックという人間は死んで、生きている。偽物が死んだだけで、本物は生きていた──どちらに捉えてもらっても、わたくしに影響はありませんことよ」
肝心のバロックは気楽なもので「いやぁ、ライム様のおかげで命拾いを」と軽口に語っている。もちろん、それは人間として当然のもので、死を逃れたともなれば気は緩む。
ただし、ディードはそこまで簡単に考えてはいなかった。
「あなたは、我が副官を虚構と等しいと……そのように考えていると」
「やはり、察しがいいと……からかい甲斐がありますわぁ」
少なくとも、この場面での会話だけで考えれば、彼の意見は的を射ていた。
彼女は助かったのであればいいではないか、ということを言ってはいない。つまりは、隊長になり得た才を持つ者でさえ、どうでもいいと思っているのだ。
人間的な発想が欠落しているならばまだしも、彼女は常識を弁え、幻想は幻想と思いながらも軽視しているのだ。
「一匹の羽虫を拝借して、ハリボテを張り付けていた。これが真実ですわ」
「……」
「ただし、雑兵の方々にまで手は回っていませんわ。幻想の元にする情報がありませんので」
「わたしは何故生きている。あの術を使ったからには、死は確定していたはずだ」
憤りが満ち始めたのか、口調に明確な変化が現れた。
それに対しても、闇の巫女は調子を崩さずに続ける。
「《夢幻の魔王》が作り出した偉大なる《魔技》にして、原初の幻術……ですわね」
「(さすがは闇の巫女、自国の内情は……)」
勝手知るものか、と続けようとしていたが、彼は目先に浮かび上がる謎によって足を止めた。
「夢幻の魔王……?」
聞き覚えがないわけではなかった。
大昔……建国以前の時代、人間を支配していた種族の長が魔王と呼ばれていた頃のこと。
三人の魔王を打ち倒し、呪われた種族を滅ぼし、人間の王国を打ち立てた者がいた──それが夢幻の魔王……初代マナグライド王だ。
表の歴史では彼の統治により、闇の国は人間のものとなり、吸血鬼は絶滅したとされている。
しかし、本当の歴史では かの王の在位は一年もないとされ、《魔喰の魔王》と呼ばれる吸血鬼が彼を操っていたと残っている。
ここで重要なのは、真の王である魔喰の魔王が使われなかった点。
「ええ、術を創り出したのはあの方ですわ。当の本人は世界に愛され、術の発動一つで消えることを許されなかった」
「わたしが生き残ったことと、なにか関係がある……のですか」
「少なくとも、一度の発動で消滅しなかった点は共通ですわね。とはいえ、もう残滓に等しいものですが」
有事に負傷した者はこう言う。人は失った時点では気付かず、それを認識して初めて理解するのだと。
腕や足がなくなろうとも、それに気付かなければ異常を知ることもない。まさしく、いまのディードと同じ。
彼は自身に訪れた異様なまでの喪失感──杯が浅くなり、それまで満たしてた液体が溢れていくような感触を覚えた。
頭半分に話を聞いていたバロックからすれば、何の変化が訪れたのかも分からず、気持ちの問題と片づけてしまいそうな……そうした違いでしかない。
「命を拾っただけでも儲けもの、と軽く考えてはいかが? あなたの副官のように」
「あなたが思うほど、愚かな男でもありませんよ」
「ええ、そう」
興味がないと言わんばかりに、彼女は背を向け「では、ごきげんよう」とだけ言い残し──
「ありがとうございました」
感謝ではあるが、彼の立場が発するものとしては、少々奇妙な言い回しだった。
それも驚きの一因か、ライムは背を向けたままに告げた。ここに来て初めて、彼女の主観を含めた言葉だ。
「感謝されるとは、思ってもみませんでしたわ……本当は、不都合を生まない為の働きでしたのよ?」
「それでも、事実は事実です」
妖しい嘲りの声を残し、彼女は去っていった。
怪訝そうな顔をし、「気難しい巫女様だ」と陰口を叩く副官とは対照的に、ディードは理解のできない感情を抱いていた。
最後の言葉、最後の嘲り、それらに強い既視感を覚え、同時に……。




