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大空のフィア  作者: マッチポンプ
後編 ダークメア戦争
497/1603

5F

「(この攻撃を防いでも)」


 完全にフリーとなっているもう一本を睨みながら、少し前の場面と重ね合わせる。


「(あの一本が残っている……ならば、ここは)」


 受けようとする動作で接近を待ち、鋭い円錐に藍色の闇を付加させた。


 再現を行ってくると読んでいたのか、実体のある紫電は動きを不規則にする。到達を遅らせることにはなれど、みすみす防がせる気はないようだ。


 そして彼も、防ぐつもりはない。


 急激に速度を増した突きを見切り、右足の膝が地と触れるほどに深く屈み込んだ。

 回避という展開は予期せぬものだったらしく、防御を打ち破る出力で──一撃で仕留める気で──放った一撃は空を裂き、猟犬の如くに飼い主を引っ張った。


 こうなると予測し、それが叶うように願っていたディードは訪れた結果や運命、この場へと導いた部下達に応えるべく、右足に力を込めた。

 己の武器を構えたまま地を蹴ると、意識の介在が行われないままに、ブレのない一直線の軌道が描き出される。


「(ここまでは想定通り。わたしが弾きを使えるとみれば、単純な力押しか、惑わしを用いるのが当然の流れ。そして……惑わしによって速度が低下すれば、確認してから回避することも可能だ)」


 槍を追撃の手に使うには、防御という命綱を使わず、自身の力だけで避ける必要がある。

 それを成功させるべく、奥の手であり、賭けでもあった刹那の返しを行った。一切の利益に繋がらない場面で。


 しかし、広い視野で語れば彼の判断が正解だった。事実、彼女は奇跡の如く芸当に対策を打ち、フェイントを含ませたのだから。

 最速の攻撃でなければ、判断の時間も、体を動かす時間さえも用意できる。


 これこそが、常識を越えた強者達に勝らずとも、その戦いを生き延びた男の底力だった。



 重槍が迫り、表情の窺い知れない雷獣は抵抗とばかりに、残る一本の尾で迎撃に掛かった。


 しかし、腰が入り、立ち上がりの推進力が加わった刺突は凄まじく重い。体勢が崩れていることも含め、物理的に考えると覆すのは至難のものだ。


 瞬間、雷が落ちたのではないか、と錯覚する程の大爆音が周囲に轟く。


 その正体は……苦し紛れに振り下ろされた、彼女の命綱だった。

 称える紫は絶えず鮮やかだが、表面を覆う毛の密度が上がり、大熊の腕を思わせるものとなっている。

 そうした外見や放たれた音波──むしろ衝撃波といってもいい──が虚仮威(こけおど)しにならない勢いで、奪命を任とした金属塊に応戦する。


 目で捉える限り、それは馬上鞭を思わせる動作で機能していたが、肌で感じる本質はそうした速さ──しなやかさの印象を強く残すことはない。

 誰しもが想起するであろうもの、それは鉄や岩に打ち付けられる鉄槌、重量級の打撃武器だ。


 硬と硬、重と重。性質こそ同じながらも、有利不利が明確化していた戦いに変化が訪れた。

 定めという木板を貫いた鉄釘は、害を排除すべく打ち込まれた金槌によって……完全に、無力化された。


 この時点で、勝負は決した。少なくとも、彼女はそう考えていた。

 今の一打は、雷属性の持つ感電の性質を減らし、純粋な破壊力に重きを置いたものだったのだ。

 それ自体は特異なことではなく、雷ノ十四番・白雷(サンダーランス)や雷ノ百三十三番・超雷突(ギガボルトチャージ)も、そうした硬度の上昇を行っている。

 だからこそ、ライカは力量差をひっくり返し、ディードも攻撃終了時まで無事であった……目下の害を無力化するまでは。


「お前達に奪われた命は……もっと苦痛を覚えていた」


 声色だけで闘志が尽きていないことを読み、彼女は瞬時に性質を変化させ、物理的破壊力は伝導する痛みに変わる。

 ただ、それはもう意味を成していない。


「ここで捨てた命が無に終われば、死んでも死に切れないっ……!」

「なっ……」


 筋肉の伝達を阻害するほどの──いや、焼き焦がされる程の電撃が彼の体に走っていた。

 炭化し始めていた部位には藍色の炎が灯っている。生命という燃料が気化し、残留するまでもなく消え去ろうとしているようにも見えた。

 それにもかかわらず、彼は苦痛ではなく、鼓舞の叫びを上げながら動いている。精神の超越、死に行く命の燃焼。


 たった一つの行動で、雷獣の意識は戻った。戦いの中で引き戻されつつあった精神が、完全にライカと合一化した。

 人の命を塵とさえ思わない考えは剥がされ、ただ一人の子供に戻る。平時に幾度も攫われた、あの時のライカに。


 刹那、ディードは彼女に覆いかぶさった。

 握る槍を放さなかったからこそ、彼の重量はマフラーで防ぎきった一撃と同等──もしくはそれ以上となっている。

 防ぎの手を使い切った彼女では、正常な判断能力を残していたとしても返すことはできなかった。


 顔が近づくが、両者に異性としての──同一種族としての認識はない。


「アンタは、如何して死ねる……怖くないのか」

「死ぬのは怖くない。大事な仲間が殺されるほうが──国民(かぞく)が殺されるほうが、よほど恐ろしい」


 演技であることが明白な声に対し、先遣部隊の長は己が信念を告げる。

 体に浴びせられていた電流が消えていることも、相手が子供であることも、判断することは決して難しくはないだろう。

 ただ、彼にそれを行う力が残っていなかった。


 臓器はズタズタに引き裂かれ、広範囲が炭化に等しい症状を起こしている。声が出ていることさえ奇跡という状態でも、思考能力を残していたのだ。


「偽善」

「それでも、犠牲は減らせる」


 何も見えていないはずだが、ディードは彼女の首を掴み、瀕死とは思えない怪力で締め上げる。


「(命が惜しくないなんて……)」


 自分に迫る死を理解しながら、彼女に焦りはない。ただ、それは彼とは正反対の冷静さだ。

 なぜならば、もう相手は死亡しているのだから……どれだけ力を込めようとも、殺しきることができないと確信していたのだから。


 マフラーは紫色に帯電し、主を脅かしていた者を刺し貫いている。

 回避されこそしたが、ここまで時間があれば戻すことは造作もない。もう片方でさえ、すぐに彼女の制御下に入ることだろう。


 呼吸の困難さが解消されていき、ライカは名も知らぬ男の死を確信した。

 不思議なことに、彼女は恐怖していなかったのだ。

 予期せぬ決死の攻撃を受けた時、男の言葉──遺言を耳にした後……二つの点を皮切りに、見方が変化している。


 残るのは哀れみだけ。自分の命を軽視する愚者への軽蔑。


 立ち上がろうかとした最中、大男が現れたかと思うと、屍となった者を担ぎ上げて走り去った。

 二尾だったものは鋭さを失っており、引き抜かれると同時に血糊のインクで重さを増し、絵筆を思わせる動作で地面に赤を描く。


 追いかけずとも、雷ノ十四番・白雷(サンダーランス)で撃ち抜くことは可能だ。精神的な余裕もあり、狙いを外すはずもなかった。

 それであっても、ライカは仮面を落とし、逃亡者に背を向ける。


「アタシは、こんなことをしても満たされないし」


 振り返った彼女の顔は、どこか大人びた──落ち着いた表情となり、雷獣や巫女としての面持ちとは異なっていた。


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