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「(バロックがいない……?)」
起こりえないはずの現象に驚いていると、その答え合わせのように紫電が迸り、無作為に周囲を引き裂く音が聞こえた。
「(この音が……この雷が、あの雷獣がッ)」
根拠も、証拠もなかった。それでも、彼は動き出す。
関係などなかったのだ。この場で果たすべき役割は達成しており、味方をこの場から逃すには十分な時間も、その道を安全にする為の陽動も、一人で担っているのだから。
ディードの最終目標は、雷獣と差し違えること。
あの場で感じた恐怖は紛れもなく彼のものだが、その最大の要因は味方の死だ。自分ではなく、自分が死んだ後に部下が殺されるのが恐ろしかったのだ。
しかし、自分が彼らに続けないという状況であれば話は別。
「(国民を守る為……戦友を守る為──恐怖はない)」
恐怖に打ち勝ったのだ。
ディードは恐怖に打ち勝ったのだ。
恐れのない歩みで進む度に、敵影は明瞭になっていく。そして、雷に打ち抜かれた鏡面兵の屍が散見されるようになってきた。
地を擦ったままの槍を持ち上げ、構える。
彼の到来を予見していたのか、二本の尾を揺らし、雷獣が姿を現した。《魔導式》すら用意せず、無防備に見える体勢で。
互いに相手の姿を認知し、鏡写しと思うほどのタイミングで走り出し、その速度を増していく。
槍の射程に突入した瞬間、先制の一撃が打ち込まれるかに思われたが、先んじたのは白い槍だった。
二本の槍が先端で衝突した瞬間、白き槍は本来の姿を取り戻し、電気を散らしながら出力を増していく。
術──雷ノ十四番・白雷だ。霧に隠蔽されているが、地面に雷属性の痕跡が存在している。
この空間は全てが有利になるわけではないのだ。
おそらく、雷獣は幻術破りを行い、それが果たされなかった時点で、空間そのものに影響が及ぼされていると察知したのだろう……そうでもなくとも、この霧の本質を理解していた。
このまま電流が実体の槍を通じ、感電させる。そうなるのが自然だった。
しかし、電流が流れるよりも早く、白い電撃は弾き飛ばされる。近接戦で行われる、受け流しの要領で。
雷獣はそれが何故起きたのか、と一度は訝しむが、すぐに正体を目視した。
うっすらとだが、槍の表面にまとわりつくもの──闇属性の導力だ。
電撃の伝導性を微弱ながらも軽減し、瞬間的な伝達を阻害したのだ。そして、受け流しは刹那の返しであり、到達速度を少しでも遅らせれば十分。
眼前の敵がただの雑兵ではないと知り、彼女の魔力の質が明らかに変化した。
この機を楽しんでいるのか、油断すべき相手ではないと覚悟を決めたのか……そのどちらであれ、人間らしさ──純度が著しく低い──を持ったものになったのは間違いない。
ただ、この捌きは全てにおいて状況を好転させるものではなく、むしろ悪化させたといってもいい。
あの場で可能な防御策としては、文句なく最前のものではあった。しかし、その代償は攻撃動作の解除、そして俊敏性の喪失。
地面を強く踏みつけながら進み、足底と触れる緑の草を放出する火花で焼き払う。そうして二点の茶色い楕円が書き込まれた時、尾は上昇気流を受けたかのように起立した。
槍を所定の位置に戻すまでに、そこまで大きな隙は作らなかった。それでも、彼女が進んだのがたった二歩だというのだから、手の打ちようがない。
まるで子供だ。手を伸ばせば届く距離に玩具があると気付き、それを掴む為に衝動的な行動を取る……この場面はそれと変わらない。
紫色をした尻尾は標的を定め、一直線に向かう。狙うのはもちろん、胴体の貫通だ。




