血戦、雷獣と夢幻
──雷の国北東部、ボルストの郊外……。
先遣部隊は水の国へと進む為、草原最後の拠点となるボルストの町を攻略しようとしていた。
ここに来るまでに幾多の村や町を支配し、兵站の補給を行ってきた。故に、気付かれることもなく万全の状態でここまで到達できたのだ。
しかし、今回に限っては事情が変わっていた。
「ディード!」
「バロック? どうしてここに来た」
補給要因として幾度か兵の追加を要請したことはあれど、代理隊長となっていたバロックがこの場に来るのはあり得ないことだった。
その状況から判断できるのは、ただ一つの展開だけだ。
「気付かれたか?」
「はい」
情報の流失を抑え、町民らが不満を訴えない程度の管理を用意していたディードからするに、この事件は言葉以上の重みを持っている。
「管理体制を変えたか」
「いや、内部からじゃない。どうにも、国が密偵を飛ばしてきたらしい」「雷の国が? しかし、連中は諜報部隊を持っていないはずだが」
彼はミスティルフォードの各国が保有している軍、その構成をある程度は把握していた。
「(光の国が派遣していたか? いや、この時期に協定を結ぶとは思えない)」
諜報に関与する部隊として認知していたのは、光の国の《陰陽騎士》だけだった。それ以外は度外視できる程度のものしか存在しない。
ただ、ディードの言葉の通りに、この短期間で国家としての協力が行われるはずがなかった。
肝心の善大王すらそう思っていたのだから、起こりえない現象といっても過言ではない。
「監視に穴があったか?」
「いや、術者に調べさせたが、抜かりはない」
脳を直接覗かれた上で嘘はつけない。闇の国での調査はまさしく答えでしかないのだ。
「それで、部隊はどうなった」
「八割を本国に逃がした。残りはこちらに向かっている最中だ」
「最善手だ。あとどれくらいで合流できる」
「騎兵はもう少々かと、徒歩や馬車となると一日や二日は……」
現状の変化に合わせ、ディードは描いた絵をバラバラにし、ピースとして組み替えていく。
手札や一部の状況を維持し、その上で完全に違う方法で計画を再構築しなければならない。少なくとも、彼はそれを苦手としていなかった。
「全員と合流し次第、ボルストを攻略するというのはどうだ?」
「いや、騎兵に小休止を与え、すぐに攻める」
「だが、それは……」
「合流した兵が休息できる場所を用意する、それが最重要だ」
そんなことを真面目に言い放つディードを見て、バロックは吹き出した。
「変わっていないようで安心した。分かった、その手で行こう」
一見するに、徒歩で疲れ果てた隊員への慈悲にも感じるが、ディードはそれ以上のことを考えていた。
それはつまり、万全な状態でなければ行えないような大移動の計画だ。
郊外には即席の陣営が構築され、そこでは夕食の準備が執り行われていた。
騎兵が合流すると、彼らへ事前に用意していた食料を振る舞った。
到着と同時に食事、それも僻地で町と同程度のものにありつけたというのだから、彼らの消耗はあっという間に帳消しにされる。
安息に満ちた場所から放逐され、尻に火がついたように逃げ延びてきたのだから、移動の最中には不安や喪失感が強かったに違いない。
彼はそんな心理を予測し、その上で全うな状況であると──部隊は未だ変わらずにあると錯覚させたのだ。
ほぼ同時に配られた夕食は、これまた同時期に片付いた。軍人として、早食いは基本技能として身についている。
腹八分目、しかし舌はご満悦という状況で、ディードは幸福そうに語らう部下達の前に立った。
「食事は楽しんでもらえたか?」
バラバラと、しかし全員が肯定するような声を発した。
「それならば良かった。では、早速作戦について伝える」
隊長の言葉、このような出迎えを行ってくれた相手への敬意として、全員は一瞬で静まり返る。
「食事休憩の後、ボルストに攻め込む。後続の部隊がすぐに休めるように、我らが切り開くのだ」
この場の全員が全員、今まさに到着早々のもてなしを受けたばかりとあって、この言葉に異をなすことはなかった。
いや、反対をしたくとも、既に行えなくなったのだ。
返報性の原理を用いた心理誘導、そして報酬の先渡しによる実質的な拒否権の封印。どんな相手でも無条件に従える手段を、ディードは取っていたのだ。
無論、彼が悪意を持ってそれを行ったということもなく、基本的には善意を部下達に伝播させたかったのだろう。自分よりも下の立場でさえ、同胞と認識している彼らしい行動だ。
「休憩は十分にいただけました! 今すぐにでも攻め込みましょう」
「そうだ! 我ら先遣部隊の力を示そう!」
言葉での誘導さえ必要とせず、騎兵達は互いに士気を高め合い、今すぐにでも戦えるという心理状態に移行する。
「勇敢で誇り高き精神、称賛に値する。では準備を整え次第、ボルストに攻め込む。準備を怠るな!」
一斉に散っていき、各々が戦闘の用意に取りかかった。
そんな様を確認した後、ディードは彼らに背を向け、テントの中に入る。
「さすがはディード、いいように話を進めたな」
「仲間を想う気持ちは同じだ。バロックが考えるようなものとは少し違う」
「俺はそれでも構わないと思うぞ。大将っていうのはどっしり構えている位の方が上手くいく。カッサード部隊長がそうであるようにな」
「なかなかに言うな」
「あの人のことはよく分かっているつもりだ。ディードが覚えている印象も含めて」
二人は笑い、最後の打ち合わせを軽く行い、外に出た。騎兵の準備は終えられており、ディード部隊所属の兵らも万全の状態で整っている。
少なくとも、彼は信頼していたのだろう。休息という自分本位を許さず、仲間の為に戦いに赴く手を選択してくれると。




