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大空のフィア  作者: マッチポンプ
後編 ダークメア戦争
491/1603

10v

 ──水の国北東部、旧主要区オルタにて。


 沼にどっぷりと浸かり、根を露出させる木々が乱立した森林。陸地の大半が泥や粒鉱石で構築され、樹木の上に集落を築くことも少ない地域。

 しかし、そうであってもこの場所だけは例外である。

 首都のある中部に面した都市、統括支部のあるデルタ──その一角には旧主要都市として扱われていた、町が存在する。


 地図的な表現を用いるのであれば、北東部内の北西端──風の大山脈の東端とも言える──から南方に下っていく大河と、南東端から傾斜しながら西方を目指してゆく大きな川が合流する地点。そこに形成された中州こそがオルタだ。

 当初は三角形の地帯──むしろ川の中の島だ──であることからデルタと呼ばれていたのだが、居住性や規模拡大の関係から両河川を跨いだ地に新都市が築かれ、(オールド)デルタとして扱われるようになった。


 利益よりも芸術性を重んじていた時代であったからこそ、あえて周囲の川を生かした作りをしていた為、小迷宮となっていることは否めない。

 事実、スケープも地図との見つめ合いを繰り返し、度々目にするカヌーに気を取られぬように進んでいった。


 きっちりとした石造りの道を歩き、水路で道を塞がれれば別路を見つけようと元の場所に戻り、再び確認を行う。

 そうこうして辿りつく頃には、真昼時を越える頃合いとなっていた。

 

 ようやく見つけた旧統括支部に入ると、冒険者や依頼者が少数ながらも動き回り、職員も斡旋に勤めている様が目に入る。

 ここは昔から毛色が違うのか、部屋の隅には首都にあってもおかしくない、立派なバーが用意されていた。


 飲食ができる酒場と違い、こちらは純然たる飲()専門の場所らしく、格調高い。席もカウンターのみで、八席ほどのこじんまりした場所だ。

 その代わりというべきか、客層は場に沿ったもので、観察してみると冒険者と依頼者が同席していることが分かる。


 言い咎められることもなく施設内を歩いていると、彼女と川渡りを行った冒険者……男の姿を発見した。

 言い直した理由は簡単だ。彼の手の甲には、もう青い石が存在していなかったのだから。

 その代用品なのか、外付けの証が追加されており、彼の身分は依然として一目で判断できる。


 泥沼を彷彿とさせる、暗緑色の制服。紛れもない、北東部の冒険者ギルドで用いられている方位色だ。

 ここでは軽く流すが、水の国は地域毎に方位色を持っており、ギルドもそれに迎合しているというわけだ。

 苔色は東部、北東部が泥沼色という具合に、色で各方面の風土を示しているとも言える。


 そこから分かるのが、あの赤茶けた色の口髭男がギルドの構成員──それも役員クラスに上り詰めたということだ。

 ただし、着飾るだけで品が良くなるはずもなく、むしろ以前の彼よりも悲惨に見える。

 一時の狂気が(ワックス)の役割を果たしたのか、斜視を起こした三白眼や引きつったままの口許はブリッツを突破した際と変わらない。


 そんな相手を目視しながらも、スケープは顔色ひとつ変えない。それは、事前に指示が用意されていたからだ。

 彼女が(あるじ)から聞いていた説明は以下の通り。


 ●仕掛け人には手を出すな。既に選別は済ませてある。

  ・仕掛け人がこの場にいる理由、その役割に適していると判断したのは、いつかの密書輸送の件でお前も理解できているだろう。


 ●お前は事の顛末を見届け、標的と接触しろ。

  ・その際は仮面の知人、関わりのある人間として振舞え。

  ・終了時までに、標的の真似(・・)を行えるようにしろ。


 ……と、いうものだ。きちんと文章に起こされており、彼女もその内容の確認は怠らなかった。

 そして、スケープがどういう人間かを分かっているが故に、万が一に備えて名詞が用いられていない。

 もしも誰かに奪われ、それを問いただされようとも、その時に彼女は何を頼まれていたのかすら忘れていることだろう。

 まさしく、スケープという人間をよく理解した指令書だ。



 掲示板を見ながら待っていると、計画通りに仮面の冒険者が現れ、マッドへの接触を図った。

 それと同時に、眼鏡をかけた苔色の制服が民間人に混じり、二人の様子を探り始める。


 二人の会話を見つめながら、待ちに待って退屈気味だった頭を働かせ、命令どおりの行動を開始した。


「(お前が貴族を殺した件については調べがついている。本部に伝えれば、それで終わりだ)」とマッド。

「(あの者の行っていることもわかっているはずだ)」


 小声での会話ではあったが、口の動きをトレースすることで自身の頭の中で内容を再生する。これは彼女が習得した読唇術だが、解析のスピードは相当に速い。


「(何のことやら、俺は善良な役員だ。出資者の貴族があのようにされれば、黙ってもいられない)」

「(冒険者の味方ではない、と)」

「(その通りだ。このことを口外してくれてもかまわない。その時には、《雷光の悪魔》さんもお尋ね者だ)」


 両者の会話は劇団のそれに近く、個人の想いを介在しないものだった。

 二人の表情が固定されていること、スケープに感情を汲む能力がないことが相成り、脅しをかけているということしか分からない。


「(……ならば去ろう)」

「(それだけで済むとでも? お前の処刑は確定している。俺の部下になるというなら、見逃してやってもいいが)」

「(殺せるものならば殺してみろ。見つけることさえできれば)」


 瞬間、仮面は消えた。

 マッドは憤り、地団駄を踏みながら、周囲の人間に見られることも厭わず(つば)を吐いた。

 連れが消えたからか、眼鏡の男性も用件を終えたとばかりに背を向け、ギルドを後にする。


 そんな彼を追いかけ、人の流れに沿いながら石煉瓦の道を進んでいき、ついには歩く者が彼と彼女のみとなった。

 多くの者がカヌーに乗り込み、移動するのだから、こうして歩き続けるのは珍しい。何せ、全ての道が繋がっているわけではないのだ。


 周囲の壁には窓や扉がなく、左下方の水路には生活用水が流れるだけに留まり、小船すら通過できないような──滅多に人がこない場所に至った。


「どなたですか?」

「仮面の人の知り合いです」


 不意の問いに対して、スケープは円滑に返答を行った。

 そうして、ようやく彼は振り返る。


()──いえ、《雷光の悪魔》にあなたのような知り合いがいるとは思えませんが」

「生贄の儀式をなくしてもらったので、ワタシからすれば恩人です」


 生贄という言葉が出た瞬間、日光で眼鏡が反射し、表情の判断材料が減少した。それでも彼が信じ、もしくは興味を抱いたことに関しては、疑いようはなかった。


「あの町の……」

「いえ、村です。あの領主に支配されていた」

「ああ、いや私の間違いだったようですね。はい……だとすると、あの村の子ですか?」


 カマを掛けたつもりだが、それが空振りに終わったということもあり、スケープの展開する流れに足を踏み入れてしまう。


「あの時は伯父の家に出かけていましたが、そう遠くないうちにワタシも食べられていたはずです」


 完璧な封殺だった。

 眼鏡の青年は情報の流失を防ぐ為、事務面でも個人的にも住民の洗い直しは行っている。

 当日、あの場にいた者の顔や名前を覚えてはいるが、いなかったと言われればそれまでだ。明確な証拠はフォーレストの統括支部に戻らなければ確認できない。


「ご用件は?」

「これを、あの人に渡してもらえませんか? 冒険者ギルドに聞いても、分からないって言われて」

「ギルドに……ですか」

「そしたら、あなたが仲良しかもって聞いたので……あっ、これです」


 見た目の通りの、幼さを感じさせる忙しない動作でポーチをまさぐり、目当てのものを取り出した。

 両手で拡げられたのは、似顔絵だ。それも現実に寄せた作風──いや、手法で描かれている。


「(この書き方……本当に、冒険者ギルドに向かったようですね)」


 紅点(レッド)の出現に際しては、各支部のマスターがそれぞれに顔絵を用意している為、頒布などの手間がかからない。

 伝達の高速化として行われているものではあるが、それぞれの技術がバラバラでは困ると、研修内容には描画の項目も含まれている。


 この絵にはその技術が使われている為、人物の特徴が良く表現されている。

 ……美醜を強調し、非現実的な表現を行う一般的な絵とは、大きく異なるものだ。


「フォーレストの、酒場ですか」

「はい」


 馴染みのマスターが描いていると推理できたのは、もちろんよく見ていたからだ。それだけではなく、彼自身、思い当たる場所がそこ以外になかった。

 あの場ならば誰が気付いてもおかしくない、と反省を行いながら、すぐに気持ちを切り替えた。


「分かりました。次に会った際、渡せるように心掛けます。会えれば、ですが」


 中央に真珠をあしらった十字架のペンダントを受け渡した瞬間、彼女は大きく咳込んだ。

 心配そうに屈んだ青年に一礼を示したが、それで止まるというわけもなく、彼の顔に向かって(おこな)ってしまう。

 顔面に唾液が付着するが、それで憤るような小物でもなく、「大丈夫ですよ」とだけ言って背をさすった。



 ……少し経ち、調子のよくなったスケープは手を振り、去っていく男を見送る。

 無警戒な背が見えなくなると、彼女は最後の締めを行うべく、形式、量ともに、如何なる術とも符合しない《魔導式》を展開していった。


 式を構築していく最中にも、スケープは考えていた。

 何故、主がここまで冒険者ギルドに関わるのか、と。

 盗賊ギルドの仕事に関与したことのある彼女だが、冒険者に対する敵意はそこで育まれたわけではない。彼女自身が妬み、不満に思ったことが原因だ。


 しかし、その理由、きっかけを彼女が主観として思い出すことはない。

 もはや、この過去でさえ自分とは何の関係もないことであり、何の影響も与えないし及ぼされることもないものに過ぎないのだ。



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