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大空のフィア  作者: マッチポンプ
後編 ダークメア戦争
489/1603

8v

 ──数年前。水の国東部、都市フォーレストにて。


 深呼吸をすると、水分の豊富な心地よい空気が肺に到達し、体は飢えたように再補給を懇願しだす。

 応えて鼻呼吸をすれば、草木や花々の漂わせる碧の匂いが鼻腔を刺激し、この場所が都市であることさえ忘れてしまうほどの安楽がもたらされる。


 幾度か空気を吸い込んだスケープは当初の予定通り、酒場に潜り込むことを決定した。

 背伸びをしても、体を大きく仰け反らせようとも、その頂ひとつ覗えない大樹。それが一つ二つではなく、何本も、各地に分散していると言うのだから驚きだ。

 ここに来るまで彼女はいくつかの地点を巡り、それを目視で確認している。


 待ち行く人々は穏やかな表情で、敵意や欲望を感じさせない──悪く言えば辺境民(いなかもの)特有の気配を放っていた。

 女性の魅力──まだ子供だが──を活かした諜報を得意とする彼女にとって、もっとも相応しくない都市だった。


 頭を悩ませて見ても答えは得られず、苦肉の策として切られたのが、酒場への潜入だったのだ。

 冒険者ギルドはほぼ確実に常設されており、その拠点は基本的に酒場の形式を取っている。

 マスターの趣味や趣向にもよるが、こうした場所には踊り子や楽器弾きがよく招かれる。

 治安の悪い場所、血気盛んな者が多い地方ともなると、そのほとんどが娼婦という始末だ。


 ログハウス、ツリーハウス、樹の洞を住居にしたものなど。歩けば歩くほど、この都市が大地との融和を図っていることが明らかになっていく。

 北東部にあるオルタと比較すれば劣るが、フォーレストに流れる水路はまさしく小川なのだ。

 数本の小川は天を仰いだ際に視認する景色のように、枝を思わせる幾重もの分岐を成している。

 樹ならば緑の葉がその穂先を任されているが、青の終着点にあるのは茶や明黄、緑が入り混じった家屋だ。

 こればかりは人の手が加えられたものであり、家庭の利便性を高めるべく行われた破壊。

 ただ、こうしてみると地が空を模したかのように──水が樹の如く生育を嘱望し、人の手を借りたようにも見える。


 もちろん、そうした観点での洞察をスケープが行うはずもなく、「(この都市は変わっている。人工と天然を混ぜ合わせているのがその原因)」という程度の認識が生まれただけだ。


 到着した酒場も調和が図られた建造物で、ふしだらで荒廃的思考の持ち主ならば気圧されそうな雰囲気だが、彼女にそれはない。

 入ると同時に、余所とは違いながらも拒絶的な反応が示された。

 罵詈雑言の歓迎はなく、困ったような顔で酒瓶やジョッキを顔横に翳し、それぞれが間違えていることを伝える。

 それでも進み、ちょうど空いていたカウンター面から身を乗り出し、前のめりで上目遣いという色っぽい──彼女の場合は少女的な愛らしさが強いが──仕草で語りかけた。


「マスター、しばらく雇ってくれませんか? 精一杯がんばりますから!」


 こればかりは手慣れたものか、子供の外見ながらもマスターとの交渉を成功させ、従業員として雇われることになった。

 もちろん、この一言で決着がついたわけではなく、具体的な自身の売り込みを行っている。かつてならばともかく、今のスケープは多くを持っていたのだ。

夜伽に限らず、楽器の演奏から踊りに至るまで、魅力を表現する技を磨いていたのだ。それを短期間で習得したと言うのだから、これはなかなかに勤勉と判断せざるを得ない。


多芸なスケープは長らく──二、三週間だが──勤め、可愛がられるようになっていた。

女性らしさに留まらず、少女の動き方まで習得していたのだから、老齢や壮年の男性客からすれば孫や子供のようにみえたに違いない。


 そうして適応するのに必要な二週間の境を越え、もはや存在するのが当然という時間が過ぎた頃。予定かそうではないかはともかくとし、任務を果たす時が来た。

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