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長い廊下の移動は五割以上を挨拶に費やし、予想以上の時間を要することとなった。
到着した場所に待っていたのは、大貴族にして《選ばれし三柱》のダーイン本人だ。
番兵は役目を終えたとばかりに、気を遣うようにその場を去っていく。彼の肩に刻まれた紋章は杯と雫の意匠が施されたものだった。
人が立ち去って静かになることはなく、むしろ二人きりになると同時に少女はそれまで以上に顔を綻ばせ、抱きつきそうな勢いで近づく。
「ダーインさんっ!」
「姫、ご無事で何よりです」
この場、この二人が揃うことになったのにも理由がある。
それは件の戦場で起きた出来事を話し合う為であり、指揮の頂点がダーインにあったことが原因といえるだろう。
「姫のおかげであの場を死守することができました」
「えっ、でもみんなを戦わせちゃったのに」
「それは構いませんよ。むしろ、鼓舞していただいたと考えております」
アルマはあの者達を信じ、戦わせた。しかし、それが軍隊において誤った行動である、という自覚が存在していたのだ。
だからこそ、話し合う機会さえあれば謝罪する気持ちでいたらしい──むしろ感謝されることになったが。
「今回話し合いたいのは……戦場での被害、その処理についてです」
死亡者は五指で十分だが、負傷者については具体的な計測が不可能に近い。
なにせ、戻ってきた兵が全員無傷だったのだから。
あの戦闘後、大小の怪我を全て治し、帰還させることを提案したのはアルマだ。移動に最低限な野晒し、多振動の馬車を使用しなければならないのだから、それ相応の体力が必要となる。
「怪我しちゃった人は……うーん、六百回は来たかなぁ」
人、ではなく回なのは同じ人物が幾度も訪れる、そうした事態が多かったからだ。
数千、万に達していた部隊での被害がその回数に止まっているのは、比較的良好な成績といえる。
ここに来るまで、彼らも──あの場で戦った者達もまた、多くの激戦を生き延びてきたのだ。
「……こちらに届いている報告に相違はありませんね」
医療従事者達は事前の命令に従い、明確な記録を残している。
信頼せずというわけではないにしろ、あの場での最高責任者であるアルマに確認をしておく必要はあったのだろう。
「それにしても、ダーインさんってすごい偉い人だったんだねぇ」
「ええ、まぁ……善大王様と共に戦う栄誉を得られましたので、多くを教えていただきました」
東部最前線での戦闘において、宰相シナヴァリアと並ぶ一軍を率いた者という功績、彼自身の高い指揮能力は状況に大きな変化をもたらした。
結論のみに要約すると、彼は善大王が不在の今に限って、この国で二番目の権威を握っている。
国家軍の頂点を善大王、代行をシナヴァリアとすると、ダーインは貴族軍の代表とでも言うべきだろうか。
《聖堂騎士》、《騎士団》、《親衛隊》、《暗部》が国家直属の兵だとすると、貴族が派兵してきた者は広い括りで貴族に連なる兵となる。
ここで言う国家軍の頂点、代行の役割は前述の四派閥の管理──さらには大貴族などとの接触にすぎない。
それ以外の貴族や部下達の調整が、ダーインの双肩に担われているわけだ。
厄介、面倒事という捉え方ができる反面、これは最初に言ったとおり──光の国の総戦力、その半数以上を握ったことを意味する。
ここでは、この国における大貴族の地位を少しばかり説明しよう。
大貴族とされる人間は判断で多少の誤差が出るが、正式な人数は三人だ。
光の国の領土を四分し、その一つ──首都の付近──を善大王や正統王家が統べ、残る三つを特に優秀な貴族に統括させている。
その意味ならば、このダーインの選出は大きな驚きではないように感じることだろう。
だが、残る二人よりも上位の存在になることがどれだけ大きな影響を出すか、想像するに難くない。
「姫、今から東部戦線に赴いていただきたい」
それは現状、最前線とされている場所だ。
無論、主力の指揮者を欠いている今、上陸前に攻め込むようなことはしない。
真正面から衝突し、敵の魔物を別の場所に分散させていくのが最大の目的。
ただ、この妥協を含めた作戦でさえ。危険度は依然として高い。
そのような場所に姫を送るなど、愚の骨頂としか思えないだろう。
事実、愚かの一言に尽きるが、彼女は巫女でもあるのだ。最悪の状況ともなれば、状況を覆すことも容易に行える。
巫女は自国領域内に存在する限り、滅びることを知らないのだ。




