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揺られる馬車の中、善大王はフィアをからかいつつ、これから向かう場所のことを聞いていく。
「へぇ、可愛い子がね」
「ええ、まぁ……」
親としての直感が危機を予測したのか、ハーディンはよそよそしい態度をみせた。
対して、空色の瞳に憤怒や嫉妬を滲ませる少女はいつも通りにして、子を想う親と同じく警戒心を発している。
「襲わないでよ」
「分かっている。お前も、その……ヒルド?」
「ヒルトです」
「ヒルトちゃんも」
覚えていながらも、興味がないのだと示すかのように、彼は名前をあえて間違えていた。
ただ、そんな小細工で騙されるフィアでもなく、依然として焦げ付くような視線を放ち続けている。
「善大王様、折り入ってご相談が」
「なんだ」
「ヒルトの──私の娘を、守っていただきたい」
断る理由もなく、義理を返す為にも好都合な要求だった。
しかし、それは一面だけを捉えた認識にすぎない。何故、それを善大王に頼む必要があるのか、それだけが問題だった。
「私の娘は、組織に追われております」
「……イヴィルエンター」
今まで秘密を抱え、それを看破された者の表情だった。
誰も知らないはずのことを、自分の内面を読まれた──きっと彼はそう思っていたに違いない。
「何故、善大王様が」
「こちらが先だ。どうして追われている? 負の力か、不老不死か? ……属性の変化か?」
完全な当てずっぽうだった。
ただ、相手が組織を認知している者であるならば、これらが当てはまってもおかしくはない。
「はい、ヒルトは──ヒルトと私は、属性変化実験を受けた人間です」
聞こえるのが車輪の回転音、地面の凹凸に反応する土蹴り音だけにもかかわらず、沈黙の音色は夜の酒場のような賑やかさを持っていた。
「属性変化実験……か」
発せられた声は、悩みを多く含ませ、苦し紛れに吐き出された音だった。
「私は組織の実験の最中、どうにか逃げ出すことに成功しました。しかし、その実験はその後に生まれた子供にも、影響を及ぼしました」
「変化した属性は」
「水属性から風属性です」
見た目から素の属性には当たりがついていたが、現在が風属性というのは完全な予想外だったようだ。
かの組織とて、あの勇者群生地の山脈を攻略するのは困難だと見える。
そこにきて、容易に風属性を量産する手段が出現したとなれば、見逃す手はない。シナヴァリアが特に優秀だということを抜きにしても、攻防自在の術が不便なはずがないのだ。
「お前が協定を申し込んだ理由は、それだけか?」
「安心してください、向こうの手の内が読めているわけでも、常に探っているわけでもありません」
「……なら、どうして来ると分かる」
善大王からすれば、彼の行動は異常すぎるのだ。
現実主義者のシナヴァリアですら不可能と見るほどであり、善大王もフィアや《皇の力》を込みにした打算を以てして、ようやく行おうとしたことだ。
どんな事態が起きてもこの二人で対応できるという確証がある者と、そうでない人間が無鉄砲に動くのでは意味が違う。
なにより、ハーディンはそうした馬鹿ではないのだ。
「ある人──友人が組織に内通しているから、ですかね」
二番目に知った組織関係者──最初は警備隊長のバルザックだ──の情報であるからか、もう慣れたとばかりに驚くような仕草は見せない。
ただ、今回は事情が違う。
件の警備隊長があれ以降、組織との繋がりを維持し続けているかはともかく、彼はそれほどまでに大きな権力を持っている人間ではないのは明らかだ。
それに対して、述べられた内通の意味は深い認知、組織との大きな関与を持っていることの証明ともなる。
「そいつの名前は」
「申し上げることはできません。彼は立場上、私に情報を渡しているだけにすぎず──本懐を遂げる為に潜んでいます」
「この国の人間か?」
「それもまた……」
その言葉を聞いた途端、彼の脳裏には善とは相反した思考が巡る。
この場にはフィアがいる上、この事項は彼女の秘密には接触しない為、要求とあれば応えてくれるのではないか、と。
ただ、もう彼女に人の心を読む力は必要ではなかった。
今にも頼もうとし、顔の向きを変えた瞬間、依存症の少女は首を横に振った。
そんな、言葉なき意見だけにもかかわらず、彼の中にあった助平心は消えさっていく。
他人の秘密を覗く行為は、信頼を裏切ることに直結している。それを思い出させるる為に、少女はあえて厳しく在った。
しかし、ここで重要なのは情報が取得できなかったことではなく、フィアが善性を持って諭したことだ。
善大王の望みを自力で察し、その上で他者のことを考えた行動をする──かつてでは予想もできなかった、大きな躍進だ。




