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散策を満喫したという様子で戻ってきた善大王とは反対に、フィアの暗い表情は隠しきれていなかった。
「天の巫女様、なにか問題が……?」
「いや、元からこんな顔だ。それに、俺が何度も他の子を口説いていたのが気に食わないんだろ」
「そう……ですか」
遺憾を示すべきか、それとも喜ぶべきかを迷い、中途半端な反応をする。
そんなラグーン王が愉快だったらしく、善大王は大きな声で笑い、肩を幾度も叩いた。
「ハッハ、こんな避難所で不躾などするわけがないではないか!」
「ライト、船でも──」
ごく自然な動きでフィアを蹴りつけ、転倒させる。こう言うと乱暴的だが、見るものからすれば、とても緊張感のない──コミカルな反応だった。
「なんかライト暴力的ーっ! 女の子とできてないからって、私に当たらないでよ!」
「当たってないだろ! もしそうなら、今頃お前と俺は全裸だ! いや、その巫女服のままで襲っっていた!」
「痛いから嫌っ! 絶対しないから」
キツツキのように打ち込まれるパンチを受け止めながら、冗談であると示すようなジェスチャーを行う。
唖然と、呆れ、困惑する黒髪の王に気兼ねせず、改めるかのように自分の発言を振り返った。
「……巫女服のままか、適当に言ってみたが、割とそそる。信心深くはないが、二重で犯しているような感じになりそうだな……」
「善大王様……」
「余談はともかくだ。この町の状態はよく分かった。ちょうどいい均衡が保たれていると思うぞ
「……であるのであれば、いいのですが」
思い当たる節はあるらしく、一児の親としての顔が覗いた。
若すぎず、だからといって年ではない。少々遅く父親となり、初めての反抗期に困惑している父親の顔だ。
彼からしてみれば、ライカのみならず、こうした地下の子供らも等しく考えているのだろう。
「俺はそれでいいと思う。完全な環境は絶対に作れない。誰もが幸せになることはできない──もしそんなことができるとすれば、それこそカミサマの所行だ」
「ですが、理想に近づけることはできると思います」
「理想に近づく毎に、歪んでいくんだよ。誰かの希望が別の希望に取り替えられ、あるべくしてあるもので満足する。それがこの世界の限界だ」
「……ならば、あなたは何故に戦うのですか?」
完全な理想、部分的な理想と段階をさげていったにもかかわらず、善の王はそれを否定した。それが許せないのだろう、理性よりも激情を多く含ませたような発言を放っている。
「俺は歪にしてでもそれを成したいだけだ。ま、俺の場合は初めからおかしい世界でそれをやってるんだから、気が楽さ」
夢幻王の暴走、封印の破壊、魔物の襲来、すべてが世界の歪み──それも、目視可能なほどのものだ。
その点でいえば、彼はとても無責任だ。自分がどう動こうとも、これ以上悪化することはない、そう達観している。
「……では、手始めにこちらの理想を果たしてもらいましょうか」
今度の言葉は理性的だった。異界風の装いをした王も、この交渉──取引の経過で話を切り出したのだから。
「現在、警備軍が出撃できない地点があります。その場所での駆逐をお願いします」
「ああ、義理は返すさ」
「……それと、これは個人的な──公的な発言ではありませんが、アルバハラの護衛の件についての確認を」
「問題ない、俺は覚えている」
「では、あちらの件が解決し次第、こちらに連絡を行ってください。それと、通信術式は常に開いておいてください」
「急用に備えて、か」
「……それもありますが──いえ、何でもありません」
彼が言おうとしたのは、協定を結ぶきっかけだから、というものだろう。
組織は身中に含まれている為、情報の閉鎖は不可能だろう。
ただ、多くの者がそれを知らないということもあり、穴のない防御策として認知されている。
未知数の弱点を知らず、最大の利益──言語的干渉を地や時、空間の楔から解き放つ手段を放擲しているのだ。
最終的には人類がそれらを取り払い、どこにいても繋がりあい、協力しあう必要がある。善大王もそれは認知しており、ラグーン王さえ手を差し出せば、それは成し得ていた。
しかし……しかし、人は得てして無や全にはなれない。ラグーン王も等しくその人間であり、我欲によって動いている。
絵空事を本気で宣い続け、それを目指してきた。それを否定した善大王には、正しいと分かっていたとしても、全面的な承認を行うことができなかったのだろう。
善大王が早々に結託が成されないと読んだ、根源的な問題だ。
これ自体は彼が否定的な意見を述べたことが原因、とも言える。事実、その通りにしか見えず、その通りだ。
ただし、上っ面だけの賛美、協定の裏で舌を出しているような関係──集団となれば、真に困難と対峙した際に仮作りした足場の如く、真下が崩れていくことになる。
危険な足場に頼るな作るな、それ以外の悪路を歩む方が安全と責任を自分で背負える。
足場が必要ともなれば、強固なものとしろ、というのが彼の言い分だろう。やはりというべきか、とても善性を持った人間の考えとは思えない。
この場面ではなく、善大王は最終局面まで打った前提、土壇場の土壇場まで当たりをつけながらあのような受け答えをした……本音ではあるのだが。
フィアの手を連れて地上へと戻る扉に手をかけた。
そのまま去りゆくのが最適解だった。折って生え替わる骨が強いように、崖下に落としたのならば戻るまで待つ方が無難。
「超常能力──異界の道具もそうだ。俺の知らない知識を用いている時点で、条理も法則も不明点が多すぎる」
「……」
「俺の意見は私見とこの世界の常識的な判断。雨粒の王に登場する族長の意見と同じだ」
顔を見ているのはフィアだけだが、ラグーン王の表情には変化が現れることはない。
作り笑いも嫌悪感も、心の底からの喜びも出てはいない。ただ、感情には目を見張るほどの変容が見られた。
「(自分を──皇を文明の劣る原住民の長とおっしゃられますか。卑屈ですね……それとも、本気で)」
水の国の建国記、その上巻には初代フォルティス王が原住民を虐殺した──ものによってマチマチだが──ことが記されている。
その王はケースト大陸から大陸に訪れた。全くの逆、皮肉としてはとても鋭いたとえだった。
他国の内情を知るというのは、それを背負う義務を押し付けられることにも等しい。
具体的に言うと、善大王は何戦かの討伐に従事しなければならなくなった。それだけしても、状況を認知することは大事なのだ。
ただ、雷の国は先遣部隊についての情報を漏らしたりはしない。別件であるとともに、深く関与すべき問題ではないと──善大王に目移りさせないようにと。
そうして、当初の予定通りにハーディンの屋敷に招かれることとなった二人組はラグーン王と別れを告げ、私有の馬車に乗り込んだ。




