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──夜間のニカドにて……。
「なんでこんなところに?」
「連中だって、あたしらみたいな余所者は気になって仕方ないはず。あんなに歩き回ったんだから、警戒させるだけの時間も作れたってことさね」
屋根裏に忍び、匍匐前進で進みながらアカリは小声で答える。
「警戒? それってよくないんじゃ」
「いいや、そのおかげで敵がこの宿に泊まった。こっちの様子を窺う為に……まぁ、難しいことは気にしなくてもいいよ」
問い返そうともするが、首や肩だけを後ろに向け、指を口の前に立てた。
床を撫で、指先の皮膚を押しつけるようにして、注目の意を無言で示す。
『……あの者達、どうしますか?』
『しばらくは様子見だ。一応、今からディ──部隊長の方に確認しておくが、警戒を怠るな』
あと少しで敵の親玉の正体を知ることができたのに、と残念そうな表情をしながら、それでもアカリは体温の変化や身震いを起こしたりはしなかった。
「ねぇ、アカリ……よく聞こえない」
それまで以上に小さい声だったが、それを咎めるように目をつり上げ、片方の耳を床に当てる動作をしてみせる。
それを真似し、ヒルトもようやくこの場に関することとなった。
『ですが、あのガキ共はただの旅行客じゃないですかね?』
『密偵にしては調査を行っていない、ってことか?』
『はい。それに、あの子供は──小さい方はどうみてもただの子供。雷の国が一般人にやらせるとも思えませんし、緊張の色も見えません』
雷の国のような、貴族制とは異なる文化圏でそのようなことをすれば、民の不満は凄まじいものになる。
しかし、もし行っているとしても、命賭けの任務を自然体で行える一般人がいるはずもない。
『確かにそうだが……』
『だとしたら、あの食事中の会話はいったい……バロック様はどのようにお考えでしょうか』
『間違いなく、娘の方が意図せずに聞いただけだな。報告を聞く限り、客の子供が勝手に寄っていったんだろ? それなら、偶然だろう』
一見すれば無能だが、下で会話している者──バロックの判断は違えていない、とアカリは内心で思っていた。
もしも、彼らが疑うままにヒルトの頭を調べていれば、本当にただの偶然という結果が出る。そうなれば、もう容疑者から外されるのだから。
容疑が明確な対象で、かつ闇の国の面々が表だって動けば全ての情報を抜かれるが、気付かれないように行うとなれば一問一答を行うのが限度だ。それ以上は対象者に影響が残り、何かをされたという感触が残ってしまう。
『とりあえず、連中は一度逃がしても構わないな。この都市の状況を知った人間を余所に置いておくのも悪くない』
『それは……危険な賭けでは?』
『逆だ。雷の国側が疑惑を抱いた時、彼女らに矛先が向くかもしれない。そうなれば、連中はこちらの罠と気付かず、自分の辿りついた答えとして信じ込む』
中途半端に賢い相手を騙すにはうってつけの手。アカリが元暗部でさえなければ、完璧に機能していたことだろう。
『あのババ臭い女の方は』
咄嗟にヒルトは仕事人の方を見るが、彼女の表情に変化はない。
あれらの憤りが嘘なわけではなく、こうした場面でも感情を抑えることができるだけのこと。内側では沸々と、マグマの如き怒りが沸き立っていることだろう。
『護衛と考えるのが自然だろうな』
『あれほどの若さで護衛? それに女をつけるなんて……それに、護衛対象に接する態度には見えませんんが』
『アルバハラからこの地まで、どれほどの距離があると思う? 片方がどこぞの富豪だとしても、戦時中に旅行なぞするわけないだろう』
女性の護衛、というのはとてつもなく珍しい。冒険者ですら珍しいのだから、国家に所属している者は超の少数だ。
もちろん、私兵団にしてもこの事情は変わらない。かつて光の国の学園でそうだったように、女性が突出した能力を持っている、ということはないのだ。
子供のような想像力と、術の技量、才覚などを持ち合わせた場合──つまり、最良条件がそろった場合ならば男性のそれを遥かに上回ることになるだろう。
しかし、それは稀少な例にすぎない。だからこそ、護衛だと思えない男がどうということではなかった。
この場ではただ、バロックの読みが冴えていたのだ。
『念の為に見張りをつけましょう』
『……いや、それは早計だな。部屋の前に探知を張っておけば十分だ──俺の読みも、外れているかもしれないしな』
話が終わったのが、空気感で通じてくる。雑談もなく、報告を終えたように何かを拾い上げていく音が聞こえてきた。
気を緩めずに戻ろうとした時、そういえば、という調子で報告の男が言葉を発する。
『あの子供は消しますか?』
『ああ、消せ』
その時点でアカリはヒルトの口を押さえ、彼女と共に自室へと戻っていった。




