13r
「(もう駄目かも……)」
聞こえてくるエルズの叫びをうつらうつらとした状態で認識し、物理的、精神的降下感に飲まれようとしていた。
どんな攻撃も通用せず、高打点の攻撃を放ち続ける魔物──明らかに、今まで戦ってきた相手とは格が違っている。
さしものティアもこのような敵を相手取り、一人で場を支えきるのは不可能だったようだ。
いや、ウルスがいたとしても、状況の変化が多少遅れただけにすぎないだろう。
視界に黒点が踊り、麻痺したような肉体に痛みとは異なった──風に流された砂粒が皮膚に触れるような感覚が襲っていた。
むず痒く、蟲が這い回るような気色の悪さだったが、次第に彼女の意識は途絶えていく。
「あんたのせいでティアが!」
「クソガキ黙って続けろ! 文句はあとで好きなだけ聞いてやる」
エルズに言い、ウルスは駆けた。その目標は、前衛の範囲にある。
近づく毎に痛みが増し、熱によって一度は止血させた傷口も、これには耐えられないと再び開口した。
降下し、圧殺しようとする蛾に炎の刃を叩きつけ、強制的に攻撃を中断させる。
ティアのもとに駆けつけ、ウルスは彼女の肩を揺する。
生命活動が続いているのかどうか、この状況では確認する余裕もなかったのだろう。
「……おい、起きろティア」
「大丈夫……おきてるよ」
弱弱しくも立ち上がり、か細い声しか出せずとも、笑顔だけは崩すまいと微笑んでみせた。
「なら、もうしばらくは付き合え」
「ウルスさんは厳しいね……でも、がんばるっ」
二人の冒険者を見ていたクオークは、あまりにも壮絶な場面に呼吸さえ忘れていた。
血にまみれ、力尽きる寸前のような姿であっても、戦い続けようとする一人の少女。
自身と同じ逃亡者でありながらも、恐れや臆病に囚われてなどいない男。
目線が合い、舌打ちをしているであろう仕草──事実、していた──を見せたエルズも、術者であるにもかかわらず、深い傷を負いながらも己の役目を果たしている。
「(ぼくだけが、なにもできていない……でも、ぼくは違うんだよ。ぼくは、みんなみたいに強くなんて……)」
悲観的な発想が過ぎった瞬間、彼はそれが悪癖であることを自覚した。
彼らはこの絶望的な状態でも一切諦めておらず、最後まで戦い抜こうしている。
その先の死が確定されていたとしても、抗える可能性を──無にも等しいそれをつかみ取る為に。
ティアは風属性の術で鱗粉を払いながら、ウルスの支援に専念していた。
自身が既に動けない体になりつつあることを察知しての、戦略的な役割交代だった。
無論、ただ防ぐだけには留まらず、余裕さえあれば攻撃の術も直撃させていく。
「ウルスさん、時間は稼げる……かな?」
「あン? それはいま──分かった分かった、俺のことは気にせずにやってろ」
そう言いながらも、彼はティアを護るように仁王立ちの姿勢を取り、迫り来る魔物の姿を捉えた。
降り注ぐ粉刃を一身に受け、それでも無数の炎剣を突き刺して推進力を殺いでいき、同時並行で《魔導式》の展開までも行う。
地面に降下してきた瞬間、二人は空中に飛ばされた──いや、飛んだ。
足元に発生させた弧を描く赤色の板は虚空に向かって放たれ、その途中で乗客を振り落としたのだ。
中年の男がしっかりと少女を抱きしめているその姿は、父と子の関係を彷彿とさせる。
垂直に落下していくという、失禁してもおかしくない状況で両名とも平然とした様子で、頷きあった。
「《火ノ百一番・炎舞輪》」
「《風ノ百二十番・螺旋流》」
二人の術は同時に発動し、円を描くように高速回転する三つの炎球の周囲は緑色の大気に満ちた。
刹那、舞うように加速していく炎の球体達の中央に全てが収束していく。緑色の大気、周囲の空気、最後には炎さえも取り込んでいった。
圧縮された赤球は依然として回転を止めず、むしろ全てを吸い込む風に煽られるように勢いを増し、三つという認識さえできなくなるほど。
鱗粉を焼き払いながら進む紅円の直撃を受け、蛾は呻くように身を捩じらせ、空へと戻っていく。
効果があったのか、と誰もが考えたが、やはりと言わんばかりに全てが最初の状態に撒き戻されていた。
「これも……駄目……なの、かな」
「ッ……」
二人の冒険者が薄い絶望と、歯痒さを覚えた瞬間、閃光が蛾の翅を貫く。
硝子の砕け散る音と共に、エルズの横を通って一人の男が歩みだした。
「ぼくも、戦います……!」




