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鬼気迫る形相で刃を突きつけていたのは、幼い少女だった。
整った顔も、絹糸のような綺麗な髪も、ハリのある白い肌も、たった一つの視覚情報と合致していなかった。
黙って炎剣を維持しながら、子供相手に慄いている成人の男に目を向ける。
「全く対照的だな。こっちは大人で、そのうえ男だ。それが、こんなガキ一人にビビるなんてなぁ……情けない」
「そ、そんな……こと、言っても……。むしろ、ウルスさんのほうが──」
「俺か? 俺はなんでもない──どうせ、命中もしねぇ攻撃だ」
死亡を完全に回避したと見て、ウルスは油断しきっていた。善大王でもそうだが、導力の放出ですら動作が必要になる──彼がそれを見逃すことは、確実にない。
「どうして、エルズ達を追っているの?」
「エルズ……まさか、この子が《幻惑の魔女》……ですか?」クオークは問う。
「そんな名前でも呼ばれていたな。それで、向こうのが《放浪の渡り鳥》だ」
この時代における伝説の冒険者二名なだけはあり、恐怖は驚きへと姿を変えた。
相手の逸話以上に、そんな相手と対峙することになった理由。それこそが彼を惑わせた原因だろう。
「答えなさい」
「ずいぶんと偉そうだな。……さっさとそれを退かせ、話はそれからだ」
一方的な睨みを止め、構えていたナイフは大気に溶けた。
それと同時に炎剣が消え、橙の針は──その場に在り続ける。
「おい、消せ」
「でも、相手は──」
「顔見知りだ。それに、あの状況で術を消す奴はいねぇだろ」
相手を殺せないとはいえ、一撃を浴びせるのが不信の行動。少なくとも、解除すれば話し合いが出来ると信じなければ、彼女のような行動はできない。
それを口で言われて、なおも警戒を続けながら詰みの一手を解いた。
「まずは、お前らの事情から聞くとするか」
「……コーラルの町、鉱山前」
「なるほどな、そういうわけか」
二人は短い会話で全てを知った。互いが争うことになった理由を──冒険者ギルドの狙いを。
「どうしてその依頼を受けたのか、聞けるかしら?」
「逃げた冒険者をひっ捕らえろ、とさ」
「なら、それに間違いはないわ」
「逃げる理由を言えるか?」意趣返しのようにウルスは言い返した。
「山に──《風の一族》の里に向かう為」
それを聞き、思っていた展開とは異なっていると察したらしく、赤茶色の無精ひげで掌を擦る。
「そんな理由か、くだらない」
「くだらなくないよっ! 私が急いで戻らなきゃ……そうしなきゃ、魔物に襲われちゃうかもしれないのっ!」
相棒の安全を確認してか、ティアは接近してきていた。クオークが気付いていなかったからよかったものの、少々軽率な動きではある。
「……それは、確かにそうだ」
「なら、見逃してくれるの!?」
「仕方ないなんて言ってない。とりあえず、お前達を連行する──仕事だからな」
北東部のギルドに押し付けようと考え始めたウルスを他所に、二人の少女は合図を送り出した。
「(ティア、行って)」
「(でも、エルズ……エルズはどうなっちゃうの)」
「(エルズの力は必要なはず。怒られるだけ)」
意図は通じ合っていた。しかし、それは二人だけの間に限ったことではない。
「とりあえず、二人とも連行だ。一応言っておくが、その仮面も効かないからそのつもりで」
「さっきは手加減したけど、通さないって言うなら──」
「見ての通り、隣のデクノボウは天属性使いだ。短時間なら抗える、その間に解除する事は難しくない」
この世界で最も強力な精神干渉能力を持つ道具、それを破る手段があるというのは信じがたい言葉だったに違いない。
ただ、事実としてクオークは逃れ、最後の一手に関与した。手加減をしていたとはいえ、普通ではありえないことなのは変わらない。
「天属性なら破れるんだよ。もちろん、そんなやり方を知ってるのは、もう俺くらいしかいないだろうがな」
「ウルスさんには信じてもらえないかもしれないけど、私達は《選ばれし三柱》っていう、普通じゃない子なの」
「それも知ってるに決まってるだろ。でもなきゃ、お前達を間違ってでも推薦なんてしなかった」
「……風の聖域が魔物に狙われていることも、知ってるの?」
「もちろん」
状況が分からないクオーク。警戒を続行するエルズ。意固地なウルス。間の抜けたティア。四人は一向に進まない会話を行っていた──いや、ウルスが話を進めないようにしていたのだ。
「ずーっと黙って見てるってことは、お前は本部と通じてるってことか」
誰に向けられた発言かが分からず、三人は困惑する。「出てこい、見えているぞ」
「エルズは……エルズ達は──っ!」
「アホ共が、さっさと気付け」
熱波が襲いかかり、全員は逃れるように地に伏す。それでも熱は容赦なく襲いかかり、この場所が湿り気の多い土地であるということを忘れ、火の国に来たとさえ錯覚してしまうほどだった。
だが、その錯覚はすぐに消える。いや、それに限ったことではなかった。
幾度も瞬きをするが、三名の冒険者の視界からは黒いもやが消えることはない。
それもそのはず。それはもやでもなく、錯覚でもなく、実在する鱗粉だったのだから。




