5v
無抵抗な紫を侵し、乳白色、紅色、赤褐色、青紫色、土留色を刻みつけた。
落ち着いた様子で着衣を済ませ、人の息吹に替わる形で冷え渡る空気が満ち始めた藍色の世界を見つめる。
男が帯びているのは穏やかな安心感というより、刺激に耐性をつけ、全てが無味無臭に感じる者のそれだ。
虚無感、無気力感などがそれに近いものだろうか。
「時間だ。行くぞ」
ズキズキと疼く痛みを払い、視界の狭まった片目を慰めることもなく、彼女は出発の用意を速やかに済ませた。
酷い臭いの二人──スケープは見た目も悲惨なもの──は事の後に禊ぎを行うこともなく、大河横断の最中にそれを済ませていくことを決める。
百、千の音が満ちる場所でも、今ではたったの二つだけ。明かりのない石畳の道を進み、目を慣らしながら目的地へと向かう。
到着早々、瞳孔が広がって暗順応が行われているはずにもかかわらず、そこにあるはずの液体を黒としか認識できなかった。
光を拒絶し、己の器の深さを悟らせまいと暗色となる川。未知数であるからこそ、正気であればこの選択を愚と悟り、引き返すところだろう。
だが、彼は足を止めなかった。
足が底を触れる程に水は引いていたが、それでも膝や股まではしっかり浸かっている状態。大の大人がその状態なのだから、少女を押し流そうとする力はとてつもなく重い。
咄嗟に導力を放出し、滑りやすい河底に吸着していなければ彼女は死亡していたに違いない。
スタンレーに拾われた後、導力の制御を重点的に習っていたからか、術者でも苦戦する悪所での制止もお手のものではあった。単純な筋力を用いる進行は、難ありだが。
勝手に進んでいく男に追いつこうと速度を増していくが、その度に肉体は柔粘土の如く抵抗感に襲われ、悲鳴をあげていた。
痛みや不快感こそあれど、彼女の表情はそれを浮かべたりはしない。
ようやく川を渡りきってみると、両名ともひどい疲弊具合で地面に倒れていた。いくら橋が封鎖される夜間帯とはいえ、賢明な行動とは思えない。
「オルァ! さっさと行くぞ!」
極度の疲労と、幾度か流されかけたことが影響してか、男は狂喜していた。
獣のように言語にもならない叫びを吐き、光を拾わなければならない黒目も、今や太陽を直視しているかのように縮みあがっている。
そんな野獣男に幾度か暴力を振るわれ、野外にも暴行をされ、少女としての肉体しかもたないスケープの命は次第に、減退の色を見せ始めていた。
それであっても、彼女は一切の抵抗を行わない。そうすることを思いつかない──言われれば気付くかもしれないが、そうでなればこの事態の意味さえ理解できないのだ。
分かるのは滲み、響く疼痛と心臓を圧迫されるような、理解不明の苦しみ。




