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──水の国、スワンプにて……。
燦燦と照りかえる日光──はなくとも、夜の暗闇と対比すれば、この陽射しは十分にまぶしかった。
「あっ……」
「ん? ああ、起きたか。おはようさん」
迷いを覗かせた後「おはよう、ございます」という返答がなされた。
ウルスはすぐに泥沼に向き直り、背後にいる冒険者には目もくれずにぼーっとする。
自分の正体を知るものとしてか、クオークは彼を探し回っていた。見つかったのは村の外れにある水路──泥の割合が多いが、一応水である──の前であり、木製の椅子に座していた。
他所であれば沼とされてもおかしくない水路にスモークチーズを投げると、静かな暗茶色に無数の泡が浮かぶ。
肉を食らう小魚の群だ。魚といっても、外見は小さな蛇のように思える。
青ざめる温室育ちの冒険者に目を合わせると、先輩としての教授が始めった。
「この時間ならおとなしいもんだが、夜中は獲物を探して泳ぎ回っている。沼に落ちた陸棲生物を狙ってな」
「そう、だったんですね」
「案内がいなけりゃ、夜中の移動は避けるべきだな。お前の場合は婆さんがいたからよかったが」
冒険者払いとしての機能は、まさにここだった。
中部などからこの地域に入るとしても、スワンプには一日中には到着できない。夜中に襲われれば逃げ帰ってくれるという具合だ。
「どうしてその話を」
「天の国から逃げるなら、ここにいるのも悪くない」
やはり、とクオークは俯く。田舎の無名冒険者──手の甲を隠しているからこそ能力が不明──に身分が割れるなど、思ってもみなかったのだろう。
「良くも悪くも先輩だ。とはいえ、陰やギルドと比べりゃ、連中はしつこくねぇが」
「かげ?」
「光の国の連中だ。ギルドの方も冒険者だけじゃなくて、盗賊も含めているがな」
よく分からず、一人で考え始めるも、彼が答えに辿りつくことはなかった。
こうした場面ですぐさま他人に聞くのも問題だが、自分の中だけで補完しようとするのも迂闊である。
「色々転々としていたんだよ。オキビっていう名で通していたが」
若い元魔道二課は知らないようだが、彼が口にしたものはとてつもなく重かった。
宰相の火打ち石、焦土師などなど、悪名の裏で密かに呼ばれていた名前。
唯一悪名ではないのが《紅蓮の切断者》くらいのものか。
「ウルス、という名前は昔から?」
「ああ、最近には天の連中の方が安全だと思ったからな」
もちろん、このような武勇伝の如く発言を真に受けるわけもなく、とはいえ完全に油断するわけでもない。
しかし、この者が口だけではないことを彼は察していた。
「居座っていいんですか?」
「お前がいやじゃなければな。もちろん、仕事はしてもらうが」
こんな辺境で過ごし、労働まで強いられるともなれば割に合わないと、大抵の人間が蹴るところだろう。
だが、このベテラン冒険者は本当の意味で先駆者だった。役割を与えられることで恐怖を忘れられることを、知っていたのだから。
眠りに落ちようとし始めた頃、空の月は煌々と光っていた。
唯一の光源を灰色のコットンが覆った瞬間、無数の水音が村中に響き渡る。
慌ただしい音が部屋の中から聞こえていたが、ウルスは落ち着いた様子で睡眠の状態を崩そうとしない。
「ウルスさん!」
「……なんだよ、全く」
用意を進めていたのはクオークだった。魔力に敏感で、他者に警戒しているからこそ、こうして一番に動き出したのだろう。
「敵襲です」
「分かってるさ。それに、すぐに来る」
扉をノックし、五人の冒険者が土足で家の中に入ってきた。靴を脱がないのはおかしなことではないが、北東部ではその常識は通用しない。
泥色スタンプを部屋中に押しながら、細身の女性を除いてむさ苦しい連中が集っているのが分かった。
先頭の男は松明を持ち、他の四人と比べると程度の低い装備をしている。手の甲には金属にすらなっていない石が鎮座していた。
「(案内をつけて夜襲か。どうにも、眼鏡爺も本気みてぇだな)」
《魔導式》を展開し始める新入りを諫め、ウルスは前に出る。
「無礼じゃないか? この時間は」
「あんたが出頭してくれないと、北東部の冒険者が困るんだよ」
「だろうな。俺には関係ないことだ。勝手にやってろ」
憤る案内役を押しのけ、一番の年長者が躍り出た。ランクはⅣ、ティアと同格の冒険者である。
「《紅蓮の切断者》、ここは従っちゃくれないか?」
「火事場の白髭か。あんたも丸くなったもんじゃねえか」
「《火事場の白煙》だ!」
それを発言したのは紅一点の冒険者だった。
一目で老冒険者の弟子であると見切り、鼻で笑う。丸くなった原因が分かったというよりも、孫と祖父の並びに見えたのが愉快だったのだろう。
「東方の大親分が来たんだろ? なら従うのが筋だろう」白髭は言う。
「こっちは弱点を持ってねぇんでな」
「そこの若いのを巻き込む気か?」
展開の途中で止められ、そのままの格好で硬直していたクオークを一瞥し、赤褐色の髪を揺らしながら笑った。
「白髭、ここは正々堂々勝負といかねぇか。負けたらおとなしく従う、それでいいだろ」
「……大親分の読みも間違いではない、か」
サイガーの狙いは力押しでの解決というより、交渉テーブルに乗せることにあった。
二人の上級冒険者が来ても無視だったウルスに、勝敗の条件こそあれども従わせる選択を取らせたのは大きな変化だった。
「決闘の方式を取らないならば、乗ろう」
「ほぉ……その場合は死人が出ても文句なしだ」
五対一を申し込まれていることを理解したらしく、彼は手加減を行えないと警告する。ただの威嚇ではなく、事実の宣告として。
誰も口を開かず、呆れたような仕草をしてみせてからウルスは歩きだした。
「坊主、この部屋の掃除を任せた」
「……」
「さっさと終わらせてくる」
返事を受け取らず、《紅蓮の切断者》は五人を伴ってこの場を後にした。




