1e
──水の国、フォルティス城にて……。
「それは本当ですか?」
『うん。私とライトがそっちの大陸に向かうから、これできっとどうにかなると思うの』
フィアからの連絡を受け、青い髪の少女は憂鬱そうに窓の外を見た。
「こちらの状況は、とても酷いものですよ」
『……聞いてる。魔物の処理が追いついてないとか、国家間でゴタついているとか、領地の関係で手間が増えてるとか』
常に国の上層部と接触し続けただけはあり、フィアもシアンと同じ立場──いや、近い立場になっていたのだ。
能力による情報ではなく、口から伝え聞いた、彼女の脳に直接書き込まれた記録。《水の星》と同じく、自身のものとして使える知識だ。
「水の国は貴族が多く、善大王さんのような絶対権力もないので」
『そこでライトの出番よ! ううん、ライトと私の出番っ!』
感情論とノロケ話にも聞こえるが、この二人ならば貴族や領地の都合を無視して行動できる。魔物の駆逐という意味では、最も適した人材なのだ。
「……申し訳ありません、こちらの尻拭いをさせるようなことになって」
『困った時はお互い様……そういえば、シアンはどうなの?』
予期せぬ問いが現れ、シアンは固まった。
頭の回転スピードが速く、瞬時に予知の如く推理を行える彼女でさえ、今の質問は完全な死角であった。
「なんのことでしょうか」
『なんのことって……そりゃまぁ──』
「カイトは相変わらずです。今は首都の守りについてもらっていますが、行く行くは主力部隊への配属が決まることでしょう」
『そうなんだ。まぁ、紹介した私からすると、その活躍を喜ぶべきだろうけど』
「いえ、フィアちゃんにそれを求めたりはしませんよ」
『えへへ。まっ、そういうこと! ……ん? それって私が他の人と共感できていないってこと?』
無事に話題を逸らせたと確信し、シアンはいつもの日常を取り戻した。こうなってしまえば、彼女に隙はない。
「今は善大王さんだけのことを考えていたいのでは、と思っただけですよ」
『……うん、それもあるかも』
幾度も頭を巡るのは、迫りに迫った寿命などではない。両者とも、想い人──シアンは少し違うが──のことだけを考え、悩んでいるのだ。
「それはそうと、みんなも頑張っているみたいですよ。ライカちゃんは闇の国から恐れられ、ティアちゃんは素晴らしき冒険者として、希望の旗となっています」
『へぇ、ライカとティアがねぇ──ライカと……ティア?』
首を傾げている姿が容易に想起できてしまうような、歯切れの悪い言葉が耳に届いた途端、引いた潮が再び押し寄せた。川や湖しかないこの国では、ありえない出来事だった。
幾度も、幾度も、意識の不調を取り除き、不安や焦りによる感情の触れ幅を均一化していく。そうしてようやく、シアンは最低限度の状態に立て直した。
「はい、ティアちゃんですよ」
『待って? 今どこにいるの?』
「ティアちゃんは……えっと、北部ですか?」
『山脈じゃ……ないの?』
ここで意味を理解し、頭を抱えながら窓の外を見る。遠く遠い《風の大山脈》も、こうして雲に覆われてしまえば視認さえ困難だ。
「ティアちゃんは冒険者として活動を続けています」
『あの子……見つけたらタダじゃおかないから……!』
想像した以上に怒りは激しいらしく、壁を蹴りつけるような鈍い音が届き、少々の恐怖を覚えさせらていた。
とはいえ、それはかつてとは違う恐れであり、普通の友達同士の喧嘩が嫌であるという思いでしかなかった。
『じゃ、切るから』
「えっと、ちょっと待ってくれますか?」
『ん? なに?』
大きく息を吸い込むと、静かな声で一言一言、覚悟を決めていく過程を踏みながら言葉を発する。
「ティアちゃんも、好きでしているわけではないと思います。人助けがということではなくて、フィアちゃんの──友達の頼みを破ることが……」
『でも、なら少しくらい言ってくれてもいいじゃない。私、今までずっとティアは山にいると思っていたから……じゃあ、とりあえず最初は山の方に行ってくるね」
「大丈夫ですよ。今は《風の太陽》があの山にいるとのことですし」
『ティアの恋人さんかぁ……うん、そうだね』
発破を掛けるいい機会だ、と考えたらしく、それ以上は何も言わなかった。もちろん、フィアがそんなことを考えているのは、シアンも理解している。
「では、切りますね」
『うん。じゃあね』
通信が切断され、シアンは黙ったまま壁を見つめていた。
扉が開かれ、誰かが入ってきても気付かないほど、集中していたのだ。
「(フィアちゃんを戦力に数えられるなら……お父様の無謀には手を打てますかね)」
「ねぇ、シアン。おーい!」
「…………えっ? あっ、はい!」
声を掛けてきた男を見て、彼女の身から放たれる気は少女のそれに戻る。
「今日の分は片付けてきたよ」
「はい、ありがとうございます」
何の疑いもなく自分を見つめてくる相手を前に、彼女は迷いを抱いた。
後々に暴走を始めるであろう父を止めるべきか、それとも暴走を利用して魔物に対抗すべきかどうかを。




