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騒ぎから遠退き、何が起こるのかを理解していないヒルトの手を解き、「怪しまれずに出られたし、用済みさ……それにあんただって、こうしてもらって都合がよかったろう?」と皮肉を込めて言う。
「分かるの?」
「ああ、もちろん。パツキンはずーっと気分が悪そうだったからねぇ。理由は聞かないよ、興味もないし、どうすることもできないんだから」
あまりにそっけない、それであってヒルトを小馬鹿にするような態度。アカリは本質的に子供が嫌いなのかもしれない。
護衛対象に背を向け、二束の赤を揺らしながら、少女の世界で体を縮めていった。
しかし、それはほんの少しの間だけのことだった。
「まって」
止まらないアカリをみてか、ヒルトはもう一度言う。「まって!」
「なんだい、うるさいねぇ。あたしはもう帰るのさ、お守りはこれまで」
返答はあれど、赤が肌色に変わることはない。どんどんと小さくなっていくそれを見つめ、少女は掛け出した。
背後から迫る音を聞きながらも、ペースを崩さずに歩き続け、そして……今度はアカリの手が掴まれた。
「行かないで」
「パツキンも話は聞いてただろう? 善大王が来るんだよ、ここに。で、あたしはアイツが大っ嫌いだから、さっさと出てくのさ」
完全な依頼の放棄だが、別に彼女は悪いとも思っていないし、良心が傷つくようなこともない。
護衛対象が死のうとも、依頼主が困ろうとも、アカリからすればどうでもいいことでしかないのだ。上客であろうとも、赤の他人なのだから。
逆に、善大王がここに現れることになれば、自分が嫌な思いをするときている。そんな状況で何を言われようとも、足を止めることはないのだ。
唯一繋がりを持ち、恩人であり、親でもあり、想い人だった先代以外、彼女の自由意志を阻害することはできない。シナヴァリアであれば……もしくは、かもしれないが。
言うことだけ言い、再び歩み出そうとした時、依然として小さな手が絡み付いていた。今度は二本になっている。
「……放しな」
「わたしも同じだから、わたしも……お母さんは嫌いだから。ここは、やだ」
大きな溜息をついた後、幼さと決別して久しい女性の顔は、長年戦い抜いてきた仕事人の顔に変わる。
「もとさら、さっさと撤収する道理もないし、少しの間は付き合ってやるよ。感謝しな」
ヒルトは口許だけに笑みを収め、首を小さく縦に振った。
二人は予定を少し変更し、近くの村まで出掛ける。片やここではないどこか遠くへ、片や母が見えない場所へ──ある意味、両者の中間が取られたような結果だ。
アルバハラから徒歩で移動し、運動慣れをしていないヒルトが疲れ始める──首都務めの大人でもそうなるだろう──頃、ようやくそれは見えてくる。
「あなたは、あそこを知っていたの?」
「ま、地図は見ていたからねぇ。むしろ、パツキンが知らない方が驚きさ」
この村──ナットの村は雷の国にしては珍しく、他所の人間がそうそう寄りつかない場所だ。
単純に地味で、異世界文化の影響をさほど受けていないのが原因だが、第一次生産としては優秀な場所ではある。だからこそか、商人が大口購入していくことも多々あるとか。
「ま、偵察かね。アレが来る時に屋敷を抜け出すなら、当面の宿にしなきゃならないしね」
「わたしも……」
「パツキンは知らないよ。ま、あんなママなら見逃してもらえそうだけど」
自分が世話を見る、などとは言わなかった。事実、その仕事を請け負ってはいないのだ。
とはいえ、今は護衛の任を託された身である為か、エスコートするように村の中へと進んで行った。
入った途端、アカリは視線だけで辺りを確認し、首などをなるべく動かさないようにした。怪しまれないようにする理由からか、立ち止まったのはほんの一拍に過ぎない。
村を貫く大通りに群生する商店類も露店の形態を取らず、しっかりとした木造の建築物の形式となっていた。
戸は開けられたままな上、異様に入り口が広い。どうにも通常の扉ではないらしく、店内の内側にスライド収納されているようだ。
少し考えればおかしいことにも気付きそうなものだが、この場を訪れる大半の者達と同じように、二人も奇妙さを覚えたりはしない。
不自然な間を一つ置き、それぞれの店から活気のある声が飛び交い、矢の雨を想起させた。
店があるにもかかわらず、店主達は外に出ている。商品の一部──全て出ている場所もある──も主に続いていた。
「へぇ、港みたいじゃないかい」
アカリは物怖じしている少女を横目に、装飾品が展示されている店に立ち寄る。
「ここはだいぶ変わってるねぇ、異世界文化かい?」
「ええ、まぁそうですね。それはそうと、いい物揃っていますよ」
「世間話に花咲かせるのが商人だろう? 値段はトーク代込みさ」
一目見ただけで大したものがなく、ろくでもないものだけ残っているのだと感付いたのか、いちゃもんをつけてからその場を離れた。
依然として店を見つめていた護衛対象を一瞥し、無言で彼女の首根っこを掴んでからズンズンと進んでいく。世間知らずな少女が地に足をつけたのは、二つの店舗を流し見した後だった。
「いたい……かった」
「ならいいじゃないかい」
「もうやらないでね」
「さぁ、それはあたしの気分次第さ。それに、金も持ってないビンボー人がああいうことをするのを、ひやかしって言うんだよ」
「ひやかし?」
「火の矢をお菓子にできないか、って考えた奴が降り注いできたそれを齧ってみたんだとさ。そう言うことさ」
「その後どうなったの?」
「さぁ? 燃えたんじゃないかね。とりあえず、あたしに聞いてもまともなことは分からないって理解すれば十分さ」
空腹に負けて青い林檎を齧った子供のように、表情の豊かさを最大限に活用し、それであっても文句一つ言わずに大人──アカリがそうであるというのも、少し違和感を覚えるが──の背を追う姿は健気さがあった。




