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「早速だが、聞いてくれるか?」
妙に気取って、それであって王様らしい態度をしている善大王を見ただけで、シナヴァリアは何が起きているのかを察した。
部屋の隅々に視線を送り、空色の布がはみ出したクローゼットに注視する。
そんな宰相の姿に焦ったのか、善大王は注目を集めるように、冗談じみた方法で手を叩いた。
「シナヴァリア、俺は大陸に向かおうと思う」
「軍艦は運用できませんが」
「定期船を使う。おそらくだが、雷の国側も使いたくてウズウズしているだろうしな」
実のところ、定期船はケースト大陸に停泊しており、欠航命令が来てからは船だけが港に置かれている。船員達はといえば、特例的な処置で光の国の保護を受けているという状態だ。
むしろ本国に戻りたくない──快適さと、航海への恐怖、どちらだろうか──という者が多いが、ケースト大陸に取り残された者の何割かは帰還を望んでいる。
「民を──それも他国の者を乗せて移動する、と?」
「ああ。俺が護衛につくんだから、百人力だろう?」
これに関しては誰も異を成すことはできないが、最高戦力である彼の喪失を国が許すはずもない。
なにより、戦力の低下が言葉以上になると分かっているのだから、賛成の手が頭の高さを越えることはあり得なかった。
「フィア様、あなたの仕向けたことですか?」
この場にいない者を指し、この場で唯一の善大王を見ず、ただの白木製クローゼットに向けて彼は言葉を投げかけた。
一度は静寂が返答をしてみせたが、絶えることのない視線に根負けしたらしく、衣装棚からエプロンドレスが取り出された。
「ただの服だよ」
空と雲の色を持つ服はそう言った。何の支えもなく垂直に立ち、妙な膨らみを持ち、子供の声を使って。
頭を抱え、溜息をついたのは匿った張本人だった。
滑稽な光景がオーダーとなったのか、上下の瞼は円形のマラカイトを横長楕円形に再カットしてみせた。向ける対象は女性ではなく、男だったが。
「おいおい、そんな目でみるなよ。分かっているさ、俺だって」
「なら、提案しないでいただきたい。たかが雑兵の運用ですが、バグ狩りには有用なのですから」
「怒んなよ。それに雑兵だなんて思っていねぇって」
「わ、私ただの服だよ!」
「フィアはもういいから、こっちこい」
エプロンドレスは足を生やし、腕を突き出し、夜尿でもしたような顔をひょっこりと出した。
それと同時に、小指を切り込み隊長とした五指が金色の髪越しに頭を叩く。
「まったく、隠れていろと言っただろ」
「だって……シナヴァリアさん気付いてたよ?」
「それでも、だ。ああ言うのは分かっていても言わないのがマナーなんだよ」
「いえ、出ていただけなければ開けにいきましたが」
三人はそれぞれに別々の理由を持ち、黙りこんだ。
「シナヴァリア、俺は意図して小芝居を見せたわけじゃない。それに今言ったことは本気だ」
まさに今行われたことがおふざけであることを認めた上で、彼は自分が嘘偽りや冗談を含ませていないことを改めて伝える。
無論、長年の付き合いがある宰相が主の考えを読み違えることはなかった。
「分かっていますよ。だから、反対しています。あなたの臣下として、この国を想う宰相として」
「……そうか」
善大王は背を向け、フィアの頭を撫でた。自然の現象として、彼女は愛玩動物のように喜ぶ。
「お前は見たんだろ? この国が俺やお前、フィアを欠いた状態でさえ凌ぎきったのを」
残存兵力の防衛線のことを指しているのだと察し、シナヴァリアは黙った。
「あの戦いでは学生達も活躍したと聞いている。日々、誰もが成長しているんだ。それに、お前がいてやれば、全員を正しい方向に導いてやれるだろう? もっと多くの奴を守れるだろう?」
「善大王様……」
「だから、お前にこの国を──」
「方便、ですよね」
「……」
「少なくとも、騎士団や暗部にもお二人がいる前提での戦術を教え、鍛えさせています。現状では急な変更に対応できないかと」
現実的な発言を受け、善大王とフィアは顔を青くした。
「ねぇ、ライト! どうしよう」と小声でフィア。
「うーむ……どうしたものか」
二人の怪しげな様子を察し、一応の確認とするように宰相は問う。
「どうかしましたか?」
「うん、雷の国と話を付けたんだよ。ついさっき。それで、定期船の護衛をしてやるぜ、って堂々と宣言したところなんだ」
「ラグーン王にですか?」
「えっと……まぁ、そっちもだな」
「今はほとんど連絡が取れないと認識していますが」
通信術式の不調が少なからず発生していることについては、否定することではない。
ただ、ここでの連絡が行えていないという言葉の意味はそれとは違っていた。具体的に言うと、他所からの通信を受け取らないようにしているのだ。
理由は多々あるが、闇の国への情報流出を防ぐというのが大多数を占めていると言っても過言ではない。
ともなれば、通信を無条件で行える者は一人しかいない。
「私です!」
挙手し、こんな状況でなければ胸を張っていそうな雰囲気で、フィアは自己申告をした。
「……と、言うことは、ライカ姫も知っているわけですか」
これを無責任な一個人が言うならばともかく、光の国の代表であり、現状では人類の統率者となった善大王が言っているのだから、簡単なことではない。
シナヴァリアが何を言っても、取り消そうものなら国家としての信用を失い、協力関係を結ぶことが未来永劫不可能になってしまう。
「善大王様、こういったことは事前に言っていただけなければ」
「だって……」とフィア
「ねー。シナヴァリア怖いもんなー」
ふざけた態度の主に怒り、正そうとしたシナヴァリアだったが、すぐに思い留まる。
「狙いがおありであると?」
「ああ、聖堂騎士を派遣して確認を行わせたが、帰還を望む者の大半は不満を訴えてはいない。むしろ光の国には好意さえ覚えているだろう。その上で、大陸に残した大切な人を想い、危険と分かりながらも帰りたいと願っているんだ」
仏頂面の補佐を凝視し、続ける。「彼らは自発的に、印象操作の工作を行ってくれる」
「その場合は、工作ではありませんがね」
「ああ、そうだとも」軽い調子で善大王は返す。
「……分かりました。首都防衛はこちらにおまかせください。その代わり──」
暗部の同行を、と言いかけたシナヴァリアは口を噤み、何事もなかったかのように会釈をした。
「無事に御戻りください──特にフィア様は」
「おう、分かってる」
これから行わなければならない大量の仕事を考え、さっさと部屋から出て行ったシナヴァリアを見送り、二人は顔を見合わせる。
「なんか悪いことしちゃった気分……」
「なあに、印象操作が狙いってことはちゃんと教えたからな」
彼らに──主に善大王だが──とっての本命は、直々に助けて回ることによる、恩の押しつけだ。
こう表現すると聞こえが悪いが、つまるところ慈善事業的な救援。人類側としては当然のことだが、国家的には利益の生まれない行為。
ただ、それだけに与える印象は大きい。フィアでなくとも、伝説や逸話に符合する形での行動というものは実像以上に美しく、そして素晴らしく見えるものだ。
ゆくゆくは行うであろうミスティルフォード同盟のことを考えるのであれば、彼らの行動に間違いはなかった──最前線に位置する、自国防衛の軽視という点を除けば。




