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大空のフィア  作者: マッチポンプ
後編 ダークメア戦争
404/1603

悪しき思惑と善き行動

 ──大陸襲来から一週間後。ライトロード城、地下二階。


 シナヴァリアは黙って座り、その者を待った。

 地下にも光のマナによる光源が用意されている為、薄暗いという印象はない。

 騎士団の詰め所や兵の駐在所程度には整えられているので、窓がないことを除ければ部屋に文句がでることもないだろう。

 ただ、なにぶん場所が悪い。

 健全で健康的で、廉潔(れんけつ)な光の国の民であれば、濃藍色の幕が下りる頃には帰路につく。

 酒場で愉快に語らい、ほどよく顔が紅潮する頃には街は眠っている。象徴の如き街灯も、敷石くらいしか照らすものはない。

 そうなると、人の残り香は窓から覗く、淡い橙の明かりくらいか。

 ……しかし、地下一階は賑やかだ。そして、不誠実だ。

 粗野で可愛げもない子供(・・)が、食事中であるかのように、無作法な演奏(・・)を響かせる。

 下品で語彙の乏しい、子守唄(ポエム)を吟じることは、そう多くはなかった。


『暴れるな!』

『るせぇ! クソ騎士がッ! んな時間に何のようだって聞いてんだよ!』


 無意味でしかない訴えだった。空腹か、不快感か、母抱擁を求めているか、それを判断することは、熟達した者でなければできないだろう。

 シナヴァリアはそれに答える気はない。ただ、刑罰の甘さを調べ、どこを突くべきかを確認していた。


「(縄張りへの侵略を拒んでいるか。大きすぎる自尊心か、それとも恐怖心の表れか? 少なくとも、喚かないように手を打つべきか)」


 そうこうしている間に、最後の一人ともなる暗部がおりてくる。

 ライトロード城内に用意された牢の一室に、城の最深部へと続く階段が用意されていた。

 そここそが光の国の深淵。最大の闇、暗部の施設に繋がっているのだ。


「では、そろそろ始めよう」シナヴァリアは言う。


 最後の一人は暗部のトップであり、高い戦闘能力を有する男だ。

 鳶色の髪を持ち、髭をきっちりと剃った壮年の男。まさに暗部というような、無表情の悪人顔。

 彼自身は繰り上がった人物であり、国がシナヴァリアを宰相にするつもりがなければ、もっと早くトップに立っていた──そして、宰相になっていたであろう人物だった。

 座席に腰掛けた途端、僅かに放たれていた敵意も消え、公僕となる。


「魔物の処理については、あのお二方が行っている。我々は羽虫型──バグの対処を覚えてきた、ここまではいいか」


 全員が無言で頷く。

 善大王とフィアは圧倒的な力を持ち、鈍色の瞳をした魔物であれば容易に葬り、藍眼ですら連携するだけで討伐に成功していた。

 やはり紅色の瞳をした魔物は上位の存在らしく、あれ以降は一度も確認されていない。


「暗部はこれまで通り、騎士団に混じって戦闘を行え。私の命令を最優先に、それがなければ騎士団の指揮に入る。それさえもなければ、自ら判断して行動を実行しろ」


 当たり前のような確認だが、彼の発言は外部から見れば多くの情報を持っていた。

 暗部が独自の通信方法──《光の門》を用いたもの──を使用できるということ。そして、《聖堂騎士》と同じく自立行動を部分的に許されていること。

 シナヴァリアは国の持つ秘密の一部を自分の配下に教え、半ば越権行為──基本的に、軍人は命令がなければ動けない──とも言える行動にさえ目を瞑ろうとしているのだ。

 権力を振りかざした、自身の勢力の拡張。そう考えることも可能な選択。

 しかし、彼の場合は我欲が一切ない。内々に期待する部下達とは対象的に、純粋な心で国を守り抜こうとしているのだ。


「一つ、作戦報告をよろしいでしょうか?」

「レイコウ、発言を許す」


 暗部の頭──レイコウは発言権を認められながらも、上から見下すような態度に憤りを覚えたのか、僅かな表情の変化を滲ませた。

 ただ、そこは国に属する者か、すぐに職業通りの姿勢に切り替える。


「宰相が(もく)した通り、スタダの貴族から証言が得られました」


 ライトロードとビフレスト──両国の首都から離れ、二つの丁度中間帯に位置する町がスタダだ。

 国境沿いでもなく、それなりに税を納め、それなりの生産を行い、まぁまぁな貢献を行う──と、述べる限りでは可もなく不可もない土地である。

 北部でも東寄りの位置であり、天の国に向かう者でさえ経由しないということも追加仕手置くべきだろうか。


「人員はどれだけ使った」

「二名だけ、と」

「なるほど。情報について教えてもらおうか」


 緑髪の宰相は異常なほどの少数運用に対して、一切の言及を行わなかった。

 告げられることはなかったが、レイコウはスタダの領主の内情を事前に調べ、その子供を交渉に使用することを前提に動いていたのだ。

 既に年老い、次期後継者の息子も未だ幼い子供。もはや次はないという状況での人質が、どれほどまでの効果を持っていたのかは言うまでもない。そこに親としての想いがあればなおさら。

 そうした経緯も手段も、シナヴァリアは感覚で読み取っていた。その上で何も言わなかった。もとより、暗部とはそういう組織なのだ。


「イーヴィルエンターを認知していたこと、国内の情報を一部流していたこと、当面はケースト大陸に攻め込む計画が存在しないこと──詳細はこちらを」


 補足として尋問で入手した書類を手渡し、改めて自身の席に戻る。内容については、当該任務に参加した者しか知らない為、彼が動く他になかった。


「闇の国が魔物と噛んでいるのかは依然として不明、か」


 自明であるとはいえ、件の組織と繋がる者でさえ事情を知らないとなると、安易に断定することもできなくなる。

 宰相として、善大王の影として、シナヴァリアが下す決断は一つしかなかった。


「暗部から数名を派遣し、闇の国に乗り込ませる」

「正気ですか、宰相」

「無論だ。この任務に表の軍を使うのは不可能……と、考えた」


 現トップであるレイコウがこれに賛成するはずもなく、明らかに反抗の意志を見せている。

 普段であればこの時点ですぐさま罰を与える、というのが冷血宰相のやり方だが、今回ばかりは元筆頭であったことから彼の心を理解したのだろう。


「確実に、あの国に送られた者は死ぬ。いや、消す。だからこそ、任せられるのはお前達だけだ」

「分かっていてその命令は……いえ、申し訳ありません」


 誰も口を開かないとはいえ、暗く狭い空間の中にはそれまで以上の圧迫感や閉塞感が発生し、感情が生み出す振動が密閉空間で衝突を繰り返していた。

 唯一、喉の働きを許された二人でさえ、小指につけるほどの余裕さえ持ち合わせていない。


「対象者にはこちらから通知を送る。それまでは──準備を行っておけ」


 休息や慰安さえ許されず、死を待つだけの歯がゆい時間を過ごす。そのような残酷な宣告を受けながらも、半数以上の者達が心の波を常のものに戻し始めた。

 良くも悪くも、命令という定義が行われた時点で、彼らは安堵を覚えたのだ。

 席を立ち、それぞれに散っていく部下を認識しながらも、シナヴァリアは毅然としてその場に残る。

 最後の一人、レイコウがその場を立ち去った時点で、ようやく小指と薬指が彼の両眼を覆い尽くした。


「(このようなことは、善大王様には言えませんね)」


 良心の呵責を覚え、その上で受け入れる。それこそが表と陽を支える者に必要な資質だった。

 あの場にいる誰もが心を持ち、それが発する嘆きや慄きを自身の力で制御していた。全てが駒ではないことも、彼は理解しているのだ。


 少しの逡巡と倦怠感を払い、善大王の様子を窺いにいこうとした時、聞きなれた音に宰相は気付く。


「はい、シナヴァリアです」

『話がある、さっさと来てくれ』


 暗く深い、圧迫された空間の中に光が満ちた。それは彼の視界に限られたことであり、瞳が認識した情報でもない。

 主の声に抱いた安心感が、そんな幻影をシナヴァリアに見せたのだ。


「分かりました、ただちに向かいます」


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