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──水の国、フォルティス城下町。
緑色の三つ編みを揺らしながら、豚耳を肴に炭酸水──味付けはされていない──を満足げに飲み、エルズに語りかけていた。
「でねー……ガムランがさぁ!」
「もう何度も聞いたよ」
「えっ? そだっけ?」
「それはそうとティア。何か妙じゃない?」
ティアの態度も相当におかしいが、エルズが妙に感じているのは遠い大陸で発生している現象だった。
「あっ、分かる? あのねぇ、ガムランがさぁ!」
最近のティアは炭酸水で酔っ払う──もちろん気分だけ──ことに夢中である。
雰囲気や気分一つで酩酊することもあるが、彼女の場合は炭酸水という未知の刺激に興奮しているだけのようだ。……もちろん、炭酸水には興奮を促すものも入っていない。
出来上がった顔のまま、かなりふらふらしていたティアだが、耳障りな音に気付いてシラフになった。
「フィア? ……あっ、ちょっとごめんね」
「マっ──フィアさんだね。分かったよ」
相変わらず親子関係を隠しているエルズだが、この戦争が始まってからというもの、できることならば光の国へと向かいたいと考えているらしい。
それもそのはず。極端な話、光の国──もっと言えば善大王とフィア──以外には恩がないのだ。
とはいえ、親子関係を理由に救援に向かうなど、ティアが良しとするはずがない──彼女はそれをよく理解してる。
だからこそ、理由をつけてケースト大陸へと赴こうとするも、あの酔っ払い具合で話は進まずという流れだ。
『……ティアの仲間は無事?』
「えっ、うん。珍しいね、フィアがそんなこと聞くって」
『ティアは星の中でも一番頑丈だから、心配すらしてなかったの』
「わぁぁ! 私、フィアに頼られてるよっ! ねね、エルズ! 私頼られてるぅー!」
聞きようによっては失礼な言葉を使われたのだが、どうにもティアはそのことに気付いていない。
というよりも、彼女はライカと違って、件の対話の際に今まで以上の希望を獲得していた。それがこの異常なまでの高揚の原因だろうか。
『ティア! ……本題よ。できることなら、《風の大山脈》に戻って──いや、行きづらいとは思うけど、必ず戻って』
「えっ、どうしてっ!? 《風の大山脈》に戻ったら出てこられなくなっちゃうって!」
「風のだい──ねぇティア! それママが言ってるの?」
救援に向かうどころか、一番遠い場所に送られると感づき、エルズは我を忘れて問う。
『魔物をそっちに通──こっちの防御が突破されたの。だから大陸に行くかもしれない……あの聖域を守れるのは、ティアだけなの』
聖域の話題が出た瞬間、ティアの表情は一転した。
「私、だけ」
「ねぇティア!」
「……うん、分かったよフィア。私、里に戻る」
『ごめんね……でも、きっとティアが居てくれたなら、無事に済むはずだから』
「ううん、フィアが謝ることはないよ。だって──私のわがままで今まで留守にしてたんだからさっ! うん、《風の星》のティア! 現場に復帰しますっ!」
そこにいないフィアへと敬礼を行い、兵士を演じるかのような──皮肉にも聞こえる──言葉は、ティアの悲鳴でもあった。
里を恐れているわけでも、外界での娯楽に触れられないことが惜しいわけではない。
罷り間違っても、《星》としての使命を拒絶していることはない。
ただ、彼女は人々を救えなくなることが、何よりも辛いのだ。
これから、多くの人の苦難は段飛ばしに増えていく、その助けになることができない。それは半ば英雄的にして、義人的な性質を持つ彼女には耐えがたい苦痛なのだろう。
『お願い。それに、本当にごめん……私の勝手で』
それだけ言うと、フィアは一方的に通信を切った。
「……フィア、きっと苦しんでいるんだね。善大王さんが無事ならいいけど……」
「ティア!」
ようやく気付き、ティアは辺りを見回した後、相棒の必死な表情から状況を察する。
「ご、ごめん! 聞こえてなかったのっ! ……でも、言ったよね?」
こうしたことが幾度もあったからか、彼女なりに事前宣告を習慣にしていた。もちろん、エルズもそれは理解している。
「……そ、うだね。うん、いや、なんかフィアさんが困っている──じゃなくて、ティアが山に戻されるって話みたいだったから」
だいぶ隠すのが下手──冒険者生活で平和ボケした為か──ではあるが、ティアは容易に騙されたらしく、修正後に答えた。
「……魔物が来るって」
「うん、知ってるよ」
「それで、里に戻ってから、《風の星》として守ってほしいってさ」
「…………うん」
理解しながらも、エルズは場面に相応しくない返答を発する。ここで否定しなければ、彼女の望みは──恩返しの機会はなくなるにもかかわらず。
「エルズは私の代わりに、冒険者を続けてくれないかな。戻ってこれたら、また《カルマ騎士隊》として活動しよ、ねっ?」
エルズの持っていた《女騎士カルマ》を繋がりに、二人が冒険者パーティとしての選んだ名前。
二人からすれば、これは何よりも大事な絆であり、この地上でティアが残した軌跡でもある。
「……行くなら、エルズも行く。もう離れないって、約束したから」
「エルズ……ありがとう」
戻った後のエルズがどのような処遇を受けるかは、ティアももちろん理解していた。
しかし、それでも彼女を守るという覚悟を持っている。今のティアは世界を管理する存在、《風の星》なのだから。




