8
──戦いから数日が経ったある日の頃のこと。
ディードはベッドの上で寝ていた。
寝ていた、という言葉を選択した以上、彼が自らベッドに入ったわけではない。何者かに運びこまれ、ここに行き着いたのだ。
「軍の医務室……どうしてこんなところに」
医務室の厄介になる原因に覚えがなく、目をこすりながら上体を起こす。そして、視界が広がった瞬間──その人物に気付いた。
「調子はよろしくて?」
「(……この子は誰だ?)」
黒い髪とアホ毛が特徴的な少女を見た時、彼は既視感を覚える一方、未視感を抱くような奇妙な感覚に陥る。
「どうかいたしましたの?」
「いや、失礼かもしれないが……君はいったい、誰なんだ?」
どれだけ考えても思い浮かばず、失礼と承知の上でその少女の身分を聞き出そうとしていた。
「闇の巫女、ライムですわ」
「闇の巫女……そんな子が何故ここに?」
ディードはライムのことを忘れていた。彼女の正体どころか、自分がここにいた理由すらも覚えていない。
その時点で、あの戦いの記憶を失ったことが確定した。
「お忘れになって? わたくしと夢幻王様がお話をしている最中のこと……」
「暗殺者が襲撃してきて……その攻撃を防ごうと、わたしが盾になった。……こんなことを忘れていたのか?」
「強い痛み、もしくはショックによって記憶が消された、と考えるのが順当ですわね。数日前まで、生と死の境目を歩いていたと聞いていますわ」
死んでいてもおかしくない攻撃を受けた。その痛み、もしくはショックが記憶を消す。
その考えはどこにも破綻がなく、そうとしか考えられないと感じ、ディードは納得した。
「多くの休みを使ってしまったか」
「いえ、夢幻王様に頼んで、休暇ではなく任務中という扱いしていますわ」
「夢幻王……か」
彼は憂鬱そうな顔をするが、遠くから聞こえる足音に気付く。
そもそも、軍の医務室などに訪れる者は多くはなく、医師すらも大抵席を外しているという有様だ。
そんな場所に来る人間ともなれば、必然的に見舞い客に絞られる。
そうして扉を開けて入ってきたのは、軍人に配布されている軍服を着た夢幻王だった。
「夢幻王様、今日は変わった服をお召しですわね」
「常の装備では事前に気付かれてしまうのでな……護衛を撒く為に必要だった」
護衛も連れずに夢幻王が現れる。個人的な用件での到来という事実を前に、ディードは驚愕の表情を浮かべた。
「夢幻王……様がどうしてこのようなところに?」
「私を庇った者の見舞いに来る程度、王として当たり前のことだろう? ……ただの見舞いというわけではないのだが」
「見舞い以外の用件とは?」
率直に要点を聞き出そうとする様に好感を覚えたらしく、夢幻王は丸めた書類の束を彼のベッドに投げる。
「勇気と忠義ある者には栄誉を。詳しくは、そこに書いてある内容を読むといい」
丸められていた書類を延ばすと、記述されている内容に軽く目を通した。
「(周辺調査部隊こと第三部隊所属のディードを、当該部隊の次席に推薦する。そして、この提案を受け入れない場合に限り、部隊長適正試験への参加権を与える──か、どちらをとっても出世はできるわけか)」
無条件での昇格。
難易度は不明ながらも、部隊長へと駆け上がるチャンス。
この提案は夢幻王と闇の巫女という、要人の盾となった者への待遇としては十分すぎるものだった──いや、明らかに破格だ。
「どちらにするか……復帰するまでには決めておいてくれ」
「部隊長適性試験を受けさせてください」
夢幻王は顔を顰める一方、ライムは予定調和とばかりに妖しい笑みを浮かべる──夢幻王に。
「念の為に言っておくが、適性試験に合格できなかった場合、次席への推薦も取り消しになる。それでも受けると言うのか?」
「こんな機会はありません。ならば、ここは賭けになったとしても、受けるのが得策だと思いました」
「なるほど……思った通り、なかなか見所のある男だ」
ディードは自分が庇ったことを評価されていると勘違いしていた。
ただ、夢幻王が彼に見所があると感じたのは、瀕死の状態から立ち上がるだけの精神力。チャンスを掴み取る握力──欲望だ。
「夢幻王様、賭けはわたくしの勝ちですわね」
「分かっている。モンブランだったか……買ってやろう」
「では、帰りに一番高いお店に寄って行くということで……お願いしますわ」
「……私を付き合わせるのか?」
「えぇ、賭けに勝ったのはわたくしですし……妥当かと」
何とも普通な会話を聞き、ディードは何も言えずにただ黙りこむ。
「(夢幻王と闇の巫女……遠い存在だと思っていたが、どうやら同じ人間だったということか)」
脳内で分析を行っていると、突如としてライムが接近してきていた。
「では、わたくし達はお菓子屋を探しに行くので、そろそろお暇させていただきますわ」
「はい、お見舞いありがとうございました」
ディードが軽く会釈をすると、夢幻王とライムは部屋から出ていく。
二人が居なくなってから、正体不明の疲れがどっと押し寄せたらしく、そのままベッドに倒れこんだ。
──眠りに落ちた直後、病室外では……。
「あのような小芝居を打つ必要はあったのか?」
夢幻王は先程までとは違い、アジト内で対峙した時の表情になり、隣で歩くライムと話をしていた。
「今回の事件に関するおおよその記憶は消しましたが、何らかの弾みで思い出すかもしれませんわ」
「僅かにでも印象を変えておくことにより、本当の記憶を錯覚と思わせる、か」
ライムは口許を隠して笑うと、続けるように言う。
「部下──それも隊長格になる者には、多少でも忠義の心を与えておくべきですわ。一時の印象、それも初対面の印象は大きく残りますので」
「……そうか」
軍の施設外に出ると、夢幻王は城の方へと戻ろうとする──が、彼の袖を掴む者が居た為か、その場で制止する羽目になった。
「何の冗談だ」
「演技とはいえ、約束は約束……一番良いモンブランを買ってもらうまでは付き合ってもらいますわよ」
「…………」
彼はなにも言わなかった。それに対し、ライムは満面の笑みのまま、袖を何度も引っ張る。
可否を用いることもなく、それであって面倒そうな仕草を一切見せず、ライムのお菓子調達に付き合うことを決めた。




