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「どうして戦いませんの?」
「ライムがわたしを諌めようとしていたからだ。ひどく不器用なライムらしい、こんな遠まわしな方法で教えられるとは思ってもみなかった」
「何を……」
「争いを止める為に争いを起こす。怒りを収める為に他所に怒りを振りまく、それが如何に愚かなのかを伝える為、わたしを挑発したのだろう?」
「あなたがどんな勘違いをしているかは、わたくしには理解しかねますわ」
一向に戦う気配がないディードを見兼ね、ライムは続ける。
「ですが、お忘れになって? わたくしはこの組織のボス……そんな相手が目の前に居て、何をしていますの? 倒せないと思ったので止めたいとでも言いたいのであれば、そう言って下さいまし」
ライムは崩されたペースを取り戻す為、ディードを再度焚き付けようと挑発した。しかし、何を言われようとも彼の顔は穏やかな表情のままだった。
「確かにそうかもしれない……いや、この場ではそうだな。だが、何故ライムはわたしに攻撃しなかった? 抵抗どころか、消し去ることすら容易のはずだ。それにもかかわらず挑発するだけ、それはわたしに気付かせたいと思ったからではないのか?」
「そのようなことは考えていませんわ」
「ならそれでもいい。小さな女の子の悪戯──としては度が過ぎているが、本来ならこういうことをされていてもおかしくなかった」
「何のこと……ですの?」
この瞬間、ライムは予測外の事態になっていることに気付き、表情に僅かな焦りを見せる。
「ライムが言ったことだろう? 君は本来ならばわたしの姪……平和な生活が続いていれば、わたしが相手をしていたはずだ。そうなれば、いろいろ面倒事を引き受けていたかもしれない。それを君がこんな年になるまで出来なかった。その罰と考えればなんでもない」
ディードの思考が把握できず、ライムは顔を顰めていた。
それは難解な問題を出された子供がするような、真剣に考え、それでも分からない時に浮かべる表情。
どれだけ難しくとも、分からずとも悩もうとはする者のものだ。
「ライムは今まで一人だったのだろう? 姉さんが死んだということは大体予想が付く……だとすれば、君は親族が誰もいない場所でここまで生きてきた。もしかしたら、わたしにとっての師匠のような人が君にもいたかもしれないが、それでも一人は一人だ。君がどれだけ辛かったかは良く分かる。なぜなら──」
「もう止めにしてくださる?」
これ以上は聞きたくないと思ったのか、ライムは制止を要求する。
だが、その要求は受け入れられることもなく、そもそも要求自体が届いていないかのようにディードは続けた。
「わたしも一緒だからだ! わたしも……親も兄弟もいない場所で長らく過ごした。だからライムの気持ちは分かっているつもりだ」
ライムは恐怖を感じている。理解できない恐怖、どんなことでも、そっけない反応で済ませる彼女ですら、ディードのことは理解できなかった。
理解できないという未知の恐怖は、ライムに逃亡を促すように体を震わせる。
逃げろ、逃げろ、と急かすように震えは強くなり、強靭な精神が恐れを覚えるという予想外の事態から、ライムは大きく後退した。
ディードは遠くに逃げたライムの傍に寄ろうと、敵意を持たずに歩む。そんな彼の歩みは余計にライムを刺激し、嫌悪感と恐怖感を与えた。
「それ以上近づけば攻撃しますわ!」
注意警告が発せられたにもかかわらずディードは進む。
言葉だけでは止まらないと判断したライムは眉を顰めると、《魔導式》を展開した。
本来、このような武力を用いた展開にはしたくなかったのだろう。術を使ってしまえば、闘技場の土を踏むに等しい。
遥か上から剣闘士の殺し合いを眺め、嘲笑う立場からの失墜、娯楽から戦いへの転落。彼女からすれば、最も悪い流れなのだろう。
彼は止まらない。自分が攻撃されるというリスクを、あえて負おうとしているかのように──無抵抗で、《魔導式》や構え取らず、速度を変えることもなく歩く。
子供の手に握られていた玩具の武器は、凶器へと変化した。
「威嚇攻撃ですわ。次は本当に、急所に狙いますわ……」
深く響くような痛みを感じたディードは、その痛みの根源である腹部を見る。
ただ、彼はそこを見る前から、どうなっていたかを理解していた。
粘り気のある生温かい液体が流れていく感触、その感覚を違えるはずもなく、そこからは彼の血液が大量に流れ出ている。
それを確認した後、ディードは前進した。一体どうなっているか、それが気になっただけなのだろう。
そこにある事実がどのような形であれ、自身に速やかな死を与えぬものならば、歩みを止める理由ではなかったのだ。
ライムがよく知る人間の反応と相反する現状に、彼女は困惑を隠せずにいる。
恐怖心などの負の感情を増強させ、自分の有利な展開へと持ちこむことを主とする闇属性使いにとって、このように望まない反応──恐怖などを感じずに突き進む存在は何よりも敬遠したい存在なのだ。
しかし、狂気や酩酊が与えし無鉄砲ならば話は別。そこには、信念など存在しない──逆に幻術が最もかかり易い状態なのだ。
同じ無鉄砲の中でも最も危険と判断される者。それは確固たる信念持ち、痛覚や精神的苦痛などを物ともしない人間だ。
「(術が効く状態ではなく、そしておそらく物理的攻撃も利かないとなりますと……本当にまずい展開になりましたわ)」
いまのライムにこの状況を楽しむだけの余裕は残ってはいなかった。
無理や駄目だと分かっていても、手を打たずにはいられない。皮肉にも、ライムは窮地に立たされた者が陥ってしまう思考をしてしまった。
攻撃の手は止むことなく、一本、また一本と藍色の刃はディードの体へと突き刺さっていく。
いくら攻撃性の薄い闇の術とはいえ、複数回受けてしまえば深手となるのだ。
それを知らないディードではないが、理解したうえで避けられる攻撃を全て受けている。
「わたしは……」
それまで黙って歩いていたディードが口を開くと、ライムも事態の変化を見逃さぬように、耳を澄まして彼の言葉を聞く姿勢を取った。
「わたしは、民の為に戦っている。だが、それでもこのような愚行を打っている……合理的ではないな。ただ、王はそうあるべきだと──」
「またお師匠様の話でして?」
「いや、違うな……わたしが自分で考えたことだ。救える者が前にいるなら、全を見捨てることになろうとも、救ってみせる……っ」
「このような悪人まで救っていると、命がいくつあっても足りませんわ」
「……ライム、君は不器用だ。拒絶を表すにしても、わたしをすぐに消そうとはしなかった。短い、本当に短い間だが、君と共にいて思った……君は普通の女の子だ。どれほど取り繕おうとも、それはわたしの目にも見えていた。そんな子が、組織のボスであるはずがないッ!」
藍色の刃で串刺しにされたかのような姿をしながらも、ディードは強い意志を感じさせる言葉を発する。
ぼやける視界の中、ディードはライムの姿だけは捉えようと、息を荒げながらも彼女を見ながら話し始めた。
「ライムがこんなことをするはずがない……本当は……本当の君は……こんなことを望んでいたりしない」
「知ったような口を聞きますわね。それに、わたくしが黒幕でないとすれば……誰が黒幕だと言いますの? ……誰もいるはずがありませんわ、わたくし以外には──」
「君以外に……居る」
「っ……!」
意識が朦朧とし、完全な思考が出来ずにいたディードの発言。正常な判断ではないとは理解しながらも、ライムはその考えに対しては素直に驚く他なかった。
「ライムの……ライムの後ろには誰かいる……裏から手を引く一人がぁっ……!」




