3γ
その出会いから少し経ったある日のこと。
「トニー、今日も一緒に飲みに行かないか?」
あれからトニーとムーアは、なんだかんだ関係を維持していた──と言っても、トニーが気を許したわけではなく、ムーアが一方的に関係の維持に勤めていたようだが。
乗り気ではないトニーだったが、特に予定があるわけでもなく、何となくという軽い気持ちで了承した。
酒場に着いた二人は適当な席に座ると、酒の注文を済ませ、話を始める。
「ほぼ連日だが、よく金が持つものだ。それとも、軍の給与はそれほどに高いのか?」
気を許したわけではないが、普通に会話は行われている。ついでに、彼の言から分かるとおり、トニーとムーアは連日酒を飲みに行っていた。本日は七日目のようだ。
「それもあるが、あまり金を使わない為に有り余っているのだ」
トニーは疑問を覚えた。
ムーアは若いとは言えない年齢だ。それならば、金を使わないということも当たり前のようにも感じられるが、それは本人が浪費しないという意味での話。
だが、彼が結婚を済ませているのであれば、それは一気に異常な発言へと変化する。
「独り者か?」
「いや? 一応。娘が一人居るが……それがどうかしたのか?」
「娘……嫁はいないのか?」
「…………」
その反応だけでトニーは察した。そして、察したからには無理矢理聞き出そうとするのも忍びないと、黙り込む。
幸い、注文していた酒の到着により、その沈黙は自然な形で破られた。
「とりあえず飲もう」
ムーアが促すことで、トニーは麦酒の入ったジョッキをムーアのジョッキにぶつける。
乾杯を済ませた後、しばらくは面白げのない話だけがされた。
組織内での出来事、愚痴、軍でのこと、闇の国の中で起きた出来事、本当の意味で雑談というものだろう。
吸血鬼であるトニーに酔いが回ることはなく、ムーアのみが恐ろしく泥酔しはじめていた。
「ムーア、今日はそろそろ止めにしよう」
「……あー、私は大丈夫だ」
「(大丈夫ではないから止めているのだが……)」
酔ったムーアを背負って家に連れ帰る程、トニーは世話焼きではない。
そもそもムーアの家の場所など知るはずもないのだから、運ぶことすらできないのだ。結果としてその場に残り、彼が満足するまで待つことに決めざるを得なくなる。
酩酊により思考が曖昧になっていたのか、ムーアは先程まで言い淀んでいたらしきことを語り始めた。
「それにしても……あいつ以外にも吸血鬼がいるなんて、驚いたものだ……」
「あいつ?」
「んあ? 私の嫁だった者だ」
酔いながら、もしくは酔った故にムーアは口を滑らせる。
「いつだったか、前に騒ぎになっていただろう? 食人の猟奇殺人者がこの国に現れたということを」
「(あれか……)」
その当時から闇の国にいたトニーは闇の国で起きた、表社会の事情も知っていた。
人を食らう女。最初は噂程度の胡散臭い存在だったのだが、被害者の数が増える度、言霊にのみ宿る怪物は実体を得ていった。
ただ、その事件は既に収束を迎えている。闇の国からの公式発表では、討伐に成功したということになっているのだ。
もちろん、それまで一切手を打とうしていなかった国が、本当にそんなことをしたなどとは、誰一人信じていなかったのだが。
「国からの命令で、その猟奇殺人者を捕まえるように言われたんだ。まぁ……いろいろあって情が移ってしまい、倒したことにして匿っていた」
闇の国が発表した、討伐に成功したという報告はあながち嘘ではなく──むしろ、本当だったといってもいい。
この事実を前にしても、トニーは驚いたりせず、好奇心が満たされたことで充足する。
「それで、何故別れたのだ。やはり恐ろしかったからか?」
ムーアは酔っているにもかかわらず、真剣な表情で首を横に振った。
「いや、子供を作っている時点で分かるとは思うが、そこまで恐ろしいなどとは思わなかった。そもそも、最初は猟奇殺人者として出会ったのだから、吸血鬼だったと聞いて怖くなるはずがないだろう?」
ここまで聞き、トニーは最大の問題に気付く。
「一つ質問をしていいか?」
「いいぞ」
「ならば聞こう……ムーアの娘は、吸血鬼なのか?」
この話題において、彼の興味はそこにしかない。
いくら友人関係とはいえ、同類の生き残りがいるともなれば、優先順位度が上がって当然。
そんな期待をしているトニーに対し、泥酔気味のムーアはあっさりと返答する。
「違うらしいな。どうも女方が吸血鬼だとしても、子には遺伝しないそうだ。博識な知人に聞いたのだから、まず間違いはないだろう」
博識な知人、という存在に興味を持ちながらも、女性吸血鬼に血族を増やす力がないという新事実──吸血鬼である彼ですら初めて耳にするほど──に素直な驚きを示した。
しかし、素直に驚いたことは口に出さず、別の方向へと質問を行う。
「その情報を教えたのは、どこの人間だ?」
問いを投げかけられた瞬間、ムーアは深く考えているような顔して悩み出した。
それほど情報元は秘匿性を重視しているのだろうか、とトニーが考察し始めた頃になり、ムーアは返答をする。
「軍の幹部である私が言うのもあれだが……光の国の貴族だ」
「名は?」
「そういうことは、聞かないのがマナーというものだと思うがな」
闇の国の上辺に居るはずのムーアが他国、それも光の国という因縁深い国に知り合いがいるなど、異常にしか感じられなかったようだ。
「ダーインという者だ」
さすがのムーアとて、泥酔状態では自己を制御できない。そのことを知ったトニーは、僅かに失望する。
そんな状態で制御しろというのも無茶だが、化け物と忌み嫌われる程の力を持つ吸血鬼の彼からすれば、その程度はやって当然という先入観があってもおかしくはない。
「嫁が死んだ理由も、そうした口の軽さが原因だったのではないか?」
記憶には影響しないのだろうと考えたと思われるのだが、それにしても心ない言葉だった。
「いや、もう少し口が軽ければ助けられたかもしれないな」
ムーアの雰囲気は変わっていた。それまで身に纏っていた、泥酔者の気配は完全に消え去っている。
呼吸すら無音にし、暗殺者特有の無感情で冷酷な状態になっていた。
「酔った振りか?」
「いや、酔っていた。だが……任意でそれを制御できない程度では、あいつと一緒に居ることは出来なかったな」
「……聞くべきではないとは思うが、何があった?」
「当時私はあいつを匿った。処々の事情で子を作り、幸せな家庭を築いていた所までは、言ったな」
「(そこまで言っていたか……?)」
酔いの制御などとは言っていたのだが、完全なシラフというわけではないらしい。その証拠に、妙にテンションが高く、話している内容がおかしくなっていた。
「そんな幸せな生活も長くは続かなかったわけだ。子供が生まれるまで後少しという頃、あいつは衝動を抑えきれなくなったのだろう、また人を食ったんだ」
トニーは吸血鬼が持つ、吸血衝動については誰よりも──人間社会で、という意味では──理解している。
その衝動は禁欲から来る感情の荒波のようなものらしく、吸血を抑えようとしない者は知ることのない感覚のようだ。
しかし、食人行為に至る吸血鬼に覚えを持たず、口を挟まずに続きを待つ。
「その時は運悪く……誰にも見られなかった」
「……運が悪い?」
「もしも見つかっていれば、私の力で多少は揉み消せた。軍の人間が発見したのであれば、まず私の所に連絡が来る、その時点で口止めをすれば誤魔化すことも可能だった」
さりげない身内贔屓発言だが、自身には関係がないと、トニーは叱責や批判は行わなかった。
むしろ、彼の一存が大きな影響力を持っているという事実は、組織としても都合がいい。
「子供が生まれた頃だ、その頃にあいつは自首した。それも衆人観衆の場所で……こればかりはさすがに封じ込められないと思い、私と娘は当時住んでいた家を捨て、別の家に移り住んだ」
暗殺者のような気配とは言ったが、本心は感情豊からしく、目に見える程に表情が変化した。
とてつもなく強い、後悔の念。それに引き寄せられたかのようなものに。
「もしも……もしも私が事前に揉み消せることを伝えておければ、軍内部に吸血鬼を匿っている事を言っていれば、この国を逃げることもできたかもしれないというのにな」
妻の危機に一切動かなかったムーア、男としては愚かだとしか言えないのだが、彼は軍人だった。
だからこそ、一時の激情に流されず、現実的に事態を受け入れることが可能な人間──トニーは、彼を層評価している。
さらに言えば、彼がそこで介入したとしても手遅れであることは明白であり、無意味な行動をする方が愚かだった。
「あいつの処刑……それはもう惨たらしかった。大罪人の処刑という名目で私も呼ばれた……隊長職でなければよかったと思ったのはこの時くらいだな」
トニーは一応、その処刑に立ち会っている。
触れ込みでは吸血鬼の処刑ということが公に広まっていたらしく、その真偽を確かめるた為に向かったようだ。
だが、結局人混みのせいで視認することはできず、所業から吸血鬼と銘打っただけなのだろうという結論で完結することとなった。
「あいつと私の関係は公式ではなかったからこそ、後ろ指を差されるような生活はしていなかったが……あいつの存在が全て無駄だったと思うことは許せなかった。だから、娘にはあいつと同じ名前を付けてしまった。それが気付かれる原因になるかもしれないと分かっていてもな」
「……どんな名前を付けたんだ?」
暫し悩んだ後、ムーアは空のジョッキに口を付けてから小さな声で呟く。
「エルズ。それがあいつと、娘の名前だ」
「(エルズ……大昔に眷属を増やす技術に特化していた吸血鬼の名……奴らは何代か毎に先祖の名前を付ける風習を持っていたはず。なるほど、その血族ならば食人の理由も分かる)」
トニーの知識によると、大昔には三人の吸血鬼が存在していた。
自身を最強にすることを是とした者、人間と融和を図った者、そして……眷属を数多く持つことにより、圧倒的な力を得ようとした者。
彼女は吸血鬼が本来持つ、眷属を増やす為の能力を駆使して軍勢を作り上げ、歴史に名を残す程の悪行を重ねたという。
そんな彼女は食人の性質を持つ眷属を手に入れた末、食人を覚えてしまい、その習慣は血族に多く広がった。それがトニーの知りえる情報だった。
「…………今日は特に酔ったな。早く帰ろう」
「まったく……それは先程、私が言ったであろう」
ムーアが意図して会話を切断しようとしたのは十分伝わっていた。その考えが分からないトニーでもなく、彼の意に従ってお開きとなる。
当たり前のことだが、ムーアは既に動ける状態ではなかった為、ムーアが背負って組織のアジトにまで連れて帰った。
半分寝た状態のムーアは、時折トニーに話しかけていた。
「そういえば娘の名を聞いていたな、なんだ? 興味があるのか?」
「……特にない」
「うちの娘は可愛いからな……だが、私は認めんぞ」
「……」
酔っ払いに付き合う程不毛な事はないと、トニーは黙って歩き続ける。
「まぁエルズも吸血鬼みたいなものだからな……近いうちに会わせてやってもいいかもな」
「吸血鬼の娘で、意味か?」
「いやいや、吸血鬼の性質は出ていないだけだ。エルズの中にも因子は存在しているらしい。かなり低い確率だが、吸血鬼を産む確率もあるそうだと」
因子持ちの人間はどっちに扱うべきなのだろうか、トニーは酔っぱらないの戯言と聞き流そうとはせず、意外と真剣に悩んでいた。
「その娘……エルズと言ったか、都合が合えば会わせて貰おう」
「駄目だな……エルズは……しばらくは……私が修行を見て……だな……」
最後まで言い切った瞬間、ムーアは寝息を立てて眠り始める。
その日を境に二人は親密さを増し、任務で組むことも次第に多くなっていた。
信頼関係という面も含めていたのかもしれないが、おそらくは両者の実力が近かったのが理由だろう。
そうした行動を何度も続けていた為か、互いの性質を知ることが出来ていた。戦略、思考パターン、得意とする術、吸血鬼ですら醜いと思う程の残忍な殺し方など。
だが、その関係はあっさり崩壊した。相棒であるムーアの死という、絶対的な決別をもってして。
ムーアの死後は仇討ちをしようとはせず、組織に所属して何一つ変わらない生活を行っていた。
全てはエルズを探す為、救えなかった命を無駄に追い続けるよりも、まだ救える命を拾うことを選択した為。
結果論だけで見れば、今の今までその尻尾すら掴めなかったというのも不運の積み重ねだったのかもしれない。
しかし、ついにその時は来た。




