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「……君は、誰なんだ?」
聞かずにはいられなかったのか、不意にディードは問いを投げかけていた。
「通りすがりの冒険者っ! 今は、あなたに助太刀するよっ」
このような小さい少女が冒険者なのだろうか、と疑いの目で見ていたディードは彼女の手の甲を見る。
そこには、橙色に輝く宝石が付いていた。間違いなく、《魂証》だ──それも、かなり上位のランクであることも一目で分かる。
「君の名前は?」
「私っ? ……私は《放浪の渡り鳥》ティアだよ」
「君が……あの《放浪の渡り鳥》なのか? 国を問わず弱者を救っている冒険者と聞いたが、こんなに小さい子だったとは」
「いやーそれよく言われるんだよね。私的には、結構大人っぽくなったと思うだけどねっ」
トニーの剣を叩き落とすと、回転しながらディードの方を向き、髪を靡かせながらなまめかしい──と本人は思っている──ポーズをした。
実際には全くななまめかしくなく、全体的に凹凸のない平坦な子供の体なのだから、反応しない方がむしろ普通である。
反応に困るディードに反し、ティアは今か今かと待ち焦がれていた。
そして、どちらかというと攻めに転じるタイプの彼女は、そこでは止まらない。
「ねっ、セクシー? セクシー?」
ティアはセクシーという単語を覚えたばかりのようで、それを言われてみたいとばかりにアピールをした。
とはいえ、幾ら問いただしても何も感じないのだから言われようがない。
まるで隙だらけに見えるやり取りなのだが、ディードもトニーも一切油断はしていなかった。というよりも、油断ができない状況だったのだ。
高いテンションで話すティアからは、想像を絶する量の魔力が放たれている。
何故今まで気付かなかったか、と驚く程の威圧感にはトニーすらも攻めに移ることを躊躇わせていた。
「私……セクシーじゃないの?」
「どちらかというと……そうだと思う」
瞳に涙をたっぷり溜めたティアは、今にも泣きだしそうになる。
大きな隙が生まれたとディードもトニーも思ったらしく、ディードは彼女を守るべく、トニーは彼女の命を奪うべく、同時に動いた。
「セクシーだもぉぉぉおん!」
ティアが泣きじゃくり、地団駄を踏んだ瞬間、地面の石畳が粉々に砕け散る。それだけに留まらず、石礫が突き上げられ、障壁のように彼女の周囲を舞った。
その攻撃に反応出来た二人は素早くバックステップで回避すると、その場で停止する。
「(ただの地団駄で石畳を破壊? この小さい体のどこに、これほどの力があるんだ)」
彼女が《放浪の渡り鳥》という二つ名で呼ばれる一端を知り、ディードは味方ながらも竦まずにはいられなかった。
「こちらは遊ぶつもりではない」
石畳の壁がなくなった瞬間、トニーは正拳突きを放った。
純粋な攻撃では先程の通りに防がれるかもしれないが、今のティアは彼の方向を向いていない──にもかかわらずこの緊張感のなさ、誰がどう見ても隙としかいえない。
「泣いてる女の子に手を出すなんて最低っ!」
そう言うと、後ろから迫っていたトニーの手首を掴み、曲がらないはずの方向へとへし折った。
さりげない行為なのだが、非常に苦痛を伴うおぞましい攻撃、というよりも反撃である。
「ぐうっ……」
苦しみの呻きを洩らしつつ、トニーはティアの手を払って数歩後ろへと下がった。徒手空拳では勝てる存在ではない、ということを悟ったのだろう。
「こんなチビっ子体型じゃガムランにチューしてもらえないもんっ!」
トニーのことなど忘れてしまったかのように、ティアは自分が艶っぽい女でないことについて嘆き始めていた。
「何度も疑うようで悪いのだが、君は本当に《放浪の渡り鳥》なのか?」
「うんっ! ホントーに《放浪の渡り鳥》だよっ」
「……」
力こそは強大だが、何というべきか……態度も、見た目も、どこか子供のようだった──というよりも子供である。
そして、そんな彼女に対して頼っていいのか、頼ってはいけないのかを決めかねていたディードは、おとなしく沈黙をした。
ただ、その最中にふと、気になることが一つだけ頭に浮かびあがる。
「(それにしても、どうしてわたしの居場所を知っていたんだ……)」
当たり前のような疑問は、彼の頭の内を巡っていく。
少なくとも誰にも口外はしていない為、気付かれるはずもないだろう。それにもかかわらず、ここに来ているということは誰かがそれを告げたことになる。
「組織に気付いた者がこれ程多かったとは……四人、多すぎるな」
「四人……」
ディードは四人という数字が良く分からなかった。
三人ならばこの少女とライムと自分ということになるのだが、四人となれば白も含めなければならない。
だが、白は元々組織の人間。この場で数えるべき存在ではなかった。
「出てきてはどうだ?」
トニーの声に応じるように、緑色のパーカーを羽織り、フードで顔を隠したエルズが現れる。
「あなたには力が効かないみたいね」
「(先程からの奇妙な感覚……この娘が私の感覚を狂わせていたのか。それにしても、この魔力……)」
目を細めながらエルズを睨みつけると、トニーの中の曖昧な記憶が無意識に思い浮んできた。
しかし、エルズが顔を見せていないことから、その記憶が完全な状態で再生されることはない。
「出てきてよかったの?」
ティアの問いに頷くと、エルズはディードの真横に立った。
こんな所まで助けに来たということは敵ではない、そう考えたディードは小声でエルズに問う。
「どうしてここが分かったんだ」
「……白さんから、あなたを助けるように頼まれました。ある程度の事情は把握しているのでお任せてください」
「(白……死してなお、わたしの力となってくれたか)」
白の存在を思い出しながら、ディードは再び立ち上がる力を取り戻しつつあった。
彼の腰を何回か叩いたエルズは、自分の口許に耳を近づけるように促す。
少女の指示、それであってもディードは従い、耳を寄せた。
「ここは二人で引き受けます。先に向かってください……王子」
王子、その名で彼を呼ぶ人物は一人しかいなかった。正しくは、もう一人しか残っていない、と言うべきであるが。
「まさか……エルズ? 何故君がここに……行方不明になっていたのではないのか!? 自力でここまで──」
「エルズは今、この国では居てはいけない存在です……その名は、できれば言わないでください」
彼にはエルズがどうしてそう言うのかが、まったく分からなかった。
思い返せば、ディードはムーアの死後、エルズとは顔を合わせていない。彼女がどれほど辛い日常を過ごし、命がけの戦いを何度も強いられたかなど、知るよしもないのだ。
「そもそも、なぜ奥に……」
「強い魔力を感じます。強大な闇の魔力……おそらくこの組織の首領でしょう」
「首領? ……トニーがそうではないのか」
「はい。この人も強者ですが、奥から感じる魔力はその比ではありません……王子には無理をしてほしくないのですが、行くのでしょう?」
当時、エルズは今よりもさらに幼かった。
しかし、幼いながらもディードのことを年が大きく離れた兄のように思っていたようで、彼の性質を心得ている。
「(この先に黒幕がいるのであれば……止めたい。いや、わたしが止めるしかない)」
そうした欲求はディードの体の奥から沸々と湧き上がり、エルズの予想通りの答えへと辿りつき、頷いた。
「その通りだ。だが、本当に任せていいのか?」
彼は実力、忠誠ともに認めているエルズに向け、そう言う。
その意図は不安などではなく、彼女の意思を確認する為。そして、この戦いが血戦に近いものだった、という本質の問題。
必要最低限の犠牲すら出さないように、自分がその重荷を背負って歩く。王には相応しくない性格を、彼は持ち合わせていた。
だが、彼の考えは杞憂でしかなかった。
エルズは初めから迷っていない──迷っていれば、ここまで来ていなかっただろう。
王子を救えるという機会が訪れ、今ならば彼の助けになれると分かっていれば、必然的にイエスという返答以外はなくなる。
「エルズはティアと一緒に、冒険者をやっています。あの男を止める力はあります……信じてください」
「……君が強いことは、わたしが一番知っている。だが、あの男は強い。油断だけはするな……頼む」
留める気はなくとも心配は拭い去れず、最低限の注意だけを行い、トニーの横を走り抜けた。
この際、トニーが敢えて追わなかったようにも見えたのは、勘違いではないだろう。
「(《放浪の渡り鳥》……エルズを守ってやってくれ)」
声は出さず、ディードは心中で呟くと、奥に向かったライムを追った。




