13δ
それは、少し昔の出来事。
ディードの記憶の中に残されている、楽しい記憶。そして今は取り戻せない、過去の記憶でもあった。
「おうじ、あそぼ!」
「うん、いいよ」
藍色とも紫色とも言える髪の色をした少女は、喜びながらディードの周りを走り回っていた。
少女とはいったが、その容姿はどうみても幼児である。容姿は、と意味深に表現してしまったが、彼女が見た目よりも年を重ねている訳ではない。
幼児ながらも、その身から放たれる魔力は……明らかに、上位の術者のそれよりも上だった。
そして、大人と同一とは言わないにしても、発音が実年齢に三、四歳ほど足したと思うくらいに綺麗だった。
「こら! エルズ、王子に何という口の使い方だ」
遊び始めようとしていた二人の前に現れたのは、エルズと呼ばれた少女と同じ髪の色をした壮年の男性である。
細身の男性という印象を最初に感じるが、僅かに覗かせる腕や足には機能的に調整された筋肉が存在していた。
どうにも、ただの細身というより、機動性のある筋肉をつけた細身の男性という評価が正しいだろうか。
「師匠!」
ディードは自分の後ろに立っていた男──ムーアに深くお辞儀をした。
「パパー!」
抱きつこうと近づいてきたエルズの額を人差し指を使って突き、彼女はあっさり転ばされる。
「パパではなくお父様と呼びなさい」
「うぅ……はい、おとうさま」
涙目になりながらも、エルズはムーアの言った通りに訂正し直し、ディードの傍に駆け寄ってから彼の袖をつかんだ。
大きく溜息をついたムーアは気を取り直すかのように咳払いをすると、ディードとの会話に切り替えようとする。
「王子、お見苦しいところを」
「構いませんよ」
「赦していただき、感謝いたします。では、もう少々だけお見逃しを……」
意味深な発言をしたムーアはエルズに近づくと、彼女の目線に合わせるべく、その場で屈みこんだ。
「王子はこれから修行だ。お前は一人で遊んでいなさい」
「やだ! おうじはあそんでくれるっていったもん!」
子供としては当たり前の返答なのだが、ムーアはそれを許す程甘い親ではない。
「王子を守る臣下となるのがエルズの使命だ、このくらいは耐えなさい」
「やだやだやだ! エルズはおうじとあそぶの!」
エルズが容易に納得しないと判断し、ムーアは呟くように何かを告げた。
「善者ハ眠レ、悪者ニハ死ヲ」
無感情──文章をそのまま読むかのような──な発声方法で紡がれた言葉を聞いた瞬間、エルズはその場に倒れ込む。
「(睡眠を促す《幻術》……あそこまで自然に使えるなんて、さすが師匠!)」
エルズも眠った所でようやく話が切り出せるようになったのか、ムーアは立ちあがり、ディードの目を見て話しはじめた。
「王子は将来、なにをしたいですか?」
よく聞く、ありきたりな質問。ただし、それはありきたりな質問ではあっても、ありきたりな回答をすることが許されない問いだった。
「わたしは闇の国の正統王家を復興させたいです。その為に日々修練を積み、王として民を導けるようになるつもりです」
ムーアは微笑みながら頷くと、ディードの肩を軽く叩く。
「それでこそ王子です。では本日の修行を始めましょう」
理想的な回答、それはムーアが教えたことだが、ディード自身も思っていたことだった。
だが、それでもディードにはそれと異なるもう一つの夢がある。
それは、闇の国を変えるという、あまりにも大きな夢だった。
闇の国は他国に認められるだけの、圧倒的な《魔技》の技術を持つ国だ。
しかし、その水準を満たされている部分は表層だけ。
頭上で輝く冠は確かに完成された美を持っていたかもしれない。だが、その冠の台座──つまり民は貧しく、上辺の人間とは隔絶される程に持たざる者として扱われているのだ。
ディードの夢、その具体的な最終到着点は富を除く平等。
住む家や食べる物、着る衣服はともかく、権利だけは誰もが等しく持つという、絵空事すぎない現実的な自由だった。
夢を成す為になにが必要なのか、ディードは聡明だからこそ、現実にそれを行うことができる存在、役職を知っていた。
この闇の国の王であり、世界を二つに分ける程の権力を持つ最高権力者。
多少の無理どころか、法すらもねじ曲げることのできる頂点の存在──夢幻王。
そんな存在にならなければ不可能な程、彼の理想はあまりに高く、あまりにも無謀だった。
若き日の夢、幼さから来る無知、誰もがそう思ってしまいそうな考えだ。
だが、ディードは今もなお、その夢を諦めてはいない。いずれなどという見えぬ未来ではなく、手の届く近い未来でそれを達成せんと、彼は多くの無理をやってのけてきた。
全ては自分の為ではなく、愛する自分の国の為──民の為である。




