5
「それで、君が持っているという情報とはどのようなものか、教えてもらえるだろうか」
資料室を出た後、二人は古びた家に来ていた。人の気配は一切しない、そもそも人間が生活しているという感覚をまったく覚えない家。
生活感のない──かつてはあったと思われる──部屋の中、小さいながらも目立つ位置に額縁が飾られている。
埃を被った額縁には、藍色の髪をした少年と、藍色とも紫色とも言える髪をした二人の親子の絵が飾られていた。
少女はそれでも飽き足らずと、部屋の中の観察に務める。
術によって破られたと思われる壁、管理が行き届かず腐った床、蜘蛛の巣が張り巡らされている天井、このような場所に連れてこられて哀れに思う程だ。
「このような場所にわたくしと二人きり……もしかして、わたくしといやらしいことをしようと思っていますの?」
「情報を話してくれ、今は少しでも時間が惜しい」
彼女なりに場を和ませようとしたのだろうか、そっけないディードの反応にがっかりしながらも口を開いた。
「せめて名前で呼んでいただかないと」
「そういえば、君の名前はまだ聞いていなかったな。何という?」
「わたくしはライムと申します。以後お見知りおきを」
「(ライム……聞いたことない名前だな。やはりどこかで見たということは勘違いだったか)」
彼は早々と自己完結をすると、話を続行する。
「それでライム、君が父より聞いたという話はどういうものだった?」
「……覚えていませんわ」
「思い出せないか?」
ライムはディードが真顔で自分に迫ってくる様子を見て妖しく笑った。
「ちょっとした冗談ですわ。……あなたはもう少し堅さを取り除いた方が良いと思いますが」
「参考にさせてもらう」
怒るわけでも、皮肉を言うわけでもなく、至極普通な反応をして受け流したディードの反応が面白くないとばかりに、ライムは悪態をつく。
「わたくしも一応女の子なのですから、多少は合わせて欲しいところですわ」
「分かった」
本当にこの男は分かっているのだろうか、という僅かに見え隠れする彼女の疑心などお構いなしに、ディードは話を続けようとしていた。
話している最中も、ディードは話が逸れようとする度に適当に受け流し、大きく逸れる前に戻す。これを繰り返していた。
そんなディードとライムのやり取りもようやく終わり、この男は面白い反応をしてはくれないものと諦め、情報を明かすこととなる。
「お父様はよくこんなことを言っていましたわ。度々訪れる組織の使者のせいで、この立場にありながらも不自由ばかりだ、と」
「組織? それは軍内部にある別の部隊のことか?」
「そこまでは……しかし、明確な部隊や人の名前を言っていなかったことから、軍外部のものだとは思いますわ」
「軍外部にそこまで大きな影響力を持つ組織……聞いたことがないな」
何も考えていないように素早く返答したディードだが、その短い時間の中でそれに該当する組織、集団などが自身の記憶の中に存在しているかどうかを調べた後に言っていた。
だが、彼が発想の転換をし、組織、集団という概念から外した時、答えは出た。
「夢幻王……国内で影響がある存在。軍が決めたことも気分一つで変えることができる存在……か」
ライムは微笑すると、彼の独り言のような言葉に対して返答を行う。
「夢幻王は闇の国の王ですのよ? でしたら組織などではなく、上からの命令ということになると思いますわ」
「たしかにそうか……夢幻王ならば、組織などを経由させずとも軍の方針を変えることができる、か」
一歩前進したかにも見えたのだが、意外にあっさり理は崩れた。これでは最初からやりなおさなければいけなくなる。
常であればここで、今まで組み立てたロジックを捨てるのが惜しく、故にロジックを組み替えて答えに至ろうとする者が多い。
しかし、ディードは全てを切り捨てて再構築を開始した。
「(軍を支えるは国家、夢幻王……その夢幻王以上、もしくは同等に影響力を得る為に必要なことは……)」
ディードは人を動かす原動力について考えていた。
国家において重要な要素は忠誠心、主の絶対的なカリスマ。だが、忠誠心で動く人間はプライドの高い人間、即物的利益を求める人間であればもっと具体的な何かを求める。
「……軍に多額の資金を提供している組織、商会のようなものがあればそれが当てはまるかもしれない」
それが二番目に組み立てられた考えだった。
彼は当初、軍に影響力を与えるということは絶対的な権威、つまり夢幻王によるカリスマの支配が主となっていると考えた。
ただ、大多数の人間が求めるは金。形無き物ではなく、形ある利益だという思考に至ったのだ。
軍の考えをねじ曲げさせるに必要な金、国家と同等、もしくはそれ以上の金を用意できる組織となれば、商会という答え以外は必然的に選択肢より消える。
「大きい商会……国内でいえば《モノヴァイ商会》が有名ですわね」
ライムはディードの支援へと回った。彼女としてもこの謎解きを楽しんでいるのだろう。
「そこはどんな商売をしている?」
「他国からの輸入が主ですわね……表向きは」
「裏では何をやっている?」
「国内で作られている麻薬などの輸出。国内でも、気付かれない程度に売っているとのことですわ」
「麻薬……か」
麻薬という闇の国が持つ負の側面に触れ、話の最中にもかかわらず、ディードは国を憂いる。
闇の国にて麻薬が多く流通する理由はいくつかある。闇の国には闇のマナが多く漂っている為、そのマナの性質が草などに付着し、精神に影響をもたらすものができるという。
麻薬は全部悪いというわけではなく、医療的にも使用されるとのことで、かの光の国でも国として買い取りなどをしているらしい。
そこまでは自然だったのが、ディードの脳裏に一つの思考が過ぎった。
何かがおかしい、不意にディードの中で疑惑が広がっていく。
ライムが博識なのは、卓越した記憶能力だと思えば補完できる。
ただ、いくら大きい商会のことだとはいえ、裏向きの商売まで知っているという点は、どう考えても納得に至れなかったようだ。
「なぜ裏の事情まで知っている?」
ライムはまたもや妖しく笑った。
何故そんなことを聞くのか、ではない。その質問には意味がないと思い、笑っていたのだ。
「……お父様が裏の事業を知っていながらも、金をもらって黙っていたからですわ。お父様の部屋にはそれはもう多くの資料と金が積まれていましたわ」
「なるほど……そんなことが起きているなどとは認めたくないが」
「分かっているとはおもいますが、秘密ですわよ?」
ライムは自分に、変な因縁をつけられることを面倒に思ったらしく、間を開けずに釘を刺す。
「今はそれどころではないからな。だが、この件が解決し次第、しっかりと対処させてもらう」
「あら、真面目な軍人さんですこと」
どうしてか、自分の身にも降りかかることにもかかわらず、ライムは彼の言葉に対して言い返すようなことはしなかった。
「それで、組織という存在の目星は付きまして?」
「…………おそらくはその組織で確定だろう。違ったとしても、その場所に行けば何かが手に入るはずだ」
多少先送り的な発想だが、まったくもって考えがないわけではないことを察したライムは無言で頷いた。
「よし、わたしは《モノヴァイ商会》を調査しに行くが……ライムはどうする?」
「……わたくしが居ては不都合でして?」
普通に考えれば不都合しかない。目的は偵察と侵入、あわよくば情報の奪取。ここまで多いタスクを一人で行わなければならないのだ。
そんな高難度のミッションにおいて、子供一人を連れて無事に帰還するとなれば、難易度は不可能ともいえる程に上昇する。
来るな、そう言ってもおかしくない場面で、彼はそれとは違う言葉を発した。
「わたしは君を守ると言っただろう? 絶対に、危険に晒したりはしない、わたしの誇りに賭けて」
「自分の身は……自分で守れますわ」
この一瞬、ライムの表情が若干曇る。彼女の中でも、なにか思う所があったのだろうか。
「……行ってきます、師匠」
小さな声でそう呟くと、ディードは立ち上がった。
「行くぞ」
「はい」
推理の末に最も正解へと近付いた目的地、《モノヴァイ商会》に向かって歩みだす。




