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夕刻、城の裏にある人気の少ない広場に、アルマがやってきた。
「おじさん……」
「告げてきたか」
「なんで知っていたの?」
真剣な表情で問うアルマに、トニーは答える。
「それは、私も神器を持つ者だからだ」
予期せぬ言葉に、アルマは言葉を失った。
トニーの瞳が殺意を宿した途端、アルマの肩に手が置かれる。
「アルマ姫、こんにちわ」
「ダーインさん?」
振り返ると、そこには荘厳な雰囲気を持つ壮年の男が立っていた。
光の国の貴族が身に纏う、白い制服。濃色の金髪と、それと同色の髭。
「……杯のダーインか」
トニーの言葉に応じるように、ダーインはアルマに会釈をした後に、改めて向き直る。
「剣のトニーが、この国に何の用があるのかね。この国は、君からすればさぞ居心地が悪いことだろう」
「そうでもない」
長い沈黙の後、ダーインは「この国の貴族として、侵入者を排除するとしようか」と告げた。
「駄目! ダーインさん、駄目なのぉ!」
予期せぬアルマの態度に困惑し、ダーインは展開中の《魔導式》を停止させてしまう。
途端、アルマはトニーの手を引くと、そのまま走り出した。
「アルマ姫!」
呼び止めるダーインの声に気を留めず、二人は駆ける。
立ち止まったのは、夕刻には人気がすっかりとなくなる広場。
照明に照らされてはいるが、商業区や居住区から離れている為、本当に誰も現れない。
「おじさんは、ダーインさんと喧嘩してたのぉ?」
「……喧嘩、か。そうかもしれない──だが」
決して友好関係があったわけではないにしろ、《選ばれし三柱》同士が敵対するということはそうそうない。
今回のダーインも、過去の因縁というより、光の国への侵入行為を咎められていた節があった。
不可侵への反逆とも、捉えられたのだろう。
全てを理解した上で、トニーは嘲る。
「ねぇ、おじさん……おじさんが神器を持ってるってことは……」
少し考えたような顔をし、アルマは問う。「指輪職人さんじゃなかったの……?」
「指輪職人? まさか、神器を所有する人間が、そのようなことをするはずがないだろう」
真実を告げられ、アルマは泣きだしそうになる。しかし、すぐにその感情は抑えられる。
「《聖魂釘》の場所を言え。そうすれば、見逃してやろう。だが、言わなければ……ここで殺す」
それまで、無関心ながらもアルマに付き合っていたトニーとは違う。その瞳には、殺意が宿っていた。
一度は子を想い、穏便にことを進めようとしていたトニーだが、任務である限り彼は個を捨てる。
「……あれは、デッィクさんのものだもん。だから、絶対に渡せないっ……!」
「やむ得ぬか」
構えを取ったトニーは、一切の猶予を与えることもなく攻撃を放った。
「(いくら星とて、術さえ使わせなければただの子供)」
この状況では、トニーの方が圧倒的に有利。
攻撃発動速度、その打点、何を取ってもアルマに勝ち目はない。それは、《星》の持つ自動再生を勘定に入れても、だ。
この地、光の国内部ですら、アルマの回復スピードは究極に到達している。すなわち、肉体を一瞬で消滅させない限りは、すぐに復活するのだ。
ただ、それでも痛みがないわけではない。子供の精神構造であるからして、軽減されたダメージですら十数発で精神が破壊されることだろう。
「ッ……」
攻撃の瞬間、トニーの振り下ろした爪から、勢いが削がれた。
今日の一日、見る限りでは退屈そうだったトニーだが、何も感じなかったわけではない。
いずれ成長していくであろう娘の存在とアルマを重ね、どこかで未来を見てしまった。だからこそ、殺しに誤差程度の迷いを含めてしまう。
死は免れない。それでも、刹那という時間は稼げた。
一匹のふんわりとした薄茶色の毛を生やした子犬──ポメラニアンに近い──が、トニーの腕に噛み付く。
「犬……いや、これは──ッ」
トニーが飛び退くと同時に、犬は攻撃を中断し、アルマの元に駆け寄った。
「わ、わんちゃん?」
『私ですよ、アルマ』優しげな女性の声が言う。
その声を聞いた瞬間、アルマは納得したよう首を縦に振った。
「あっ! あーちゃんだったんだぁ」
あーちゃんなどという言われ方をしているが、この犬は光の国の《神獣》、アグリアスのようだ。
「でもでも、なんで出てこられるのぉ?」
『アルマが危険であると察したので、分身を用意しました。本当なら、本体で向かいたかったのですが、周囲への負荷を考えると……』
「そうだよねぇ……あっ! おじさんが来ちゃうよ!」
犬──アグリアスは倒れているトニーを一瞥する。
『あの者はしばらく動けませんよ。体内に純度の高い光のマナを流し込みましたから──ですが、あの者はそれだけでは倒れませんね』
分身とはいえ、《神獣》が制御しているマナが半端なもののはずがなく、トニーの体は不気味に朽ち始めていた。
光属性による肉体への干渉が過剰発生し、高速で細胞を死滅させているのだろう。
それに加え、人間の対存在──闇属性の影響が強い吸血鬼を対象にしている為に、通常の倍率とは桁違いの威力になっている。
「(対抗用の《魔技》を使ってもこの威力か……いや、それどころか──)」
肉体は凄まじい激痛に呻いているが、トニー自体は至って冷静。平静を保ちつつ、状況を観察していた。
善大王が闇の国で気分を悪くする比ではなく、トニーの本来負う苦痛は耐え難いものである。
だからこそ、かつて善大王が白から受け取ったような《魔技》を使い、影響をかなり減らしていた。
過ごすだけとはいえ、全く影響がないのは、ひとえにトニーの研鑽の結果とでもいうべきか。
だが、今のアグリアスの一撃により、その《魔技》すら不安定な状態になっている。ただの一撃とはいえ、大きな痛手となった。
『ですが……あの者もかなりの使い手ですね。あの時点で退いていなければ、私のマナが全身に回っていたことでしょう』
この分身にも制約があるらしく、アルマから一定の射程を離れることができないようだ。
それこそ、たった一度の跳躍で弓の射程外まで逃れるような、吸血鬼の身体能力があってのものだが。
「やっぱり、強いんだね」
『ええ……ですが、アルマも成長しましたね』
アルマは己の迷いを捨てていたからか、既に《魔導式》を展開していた。この会話の最中、まさに自分が殺されるかもしれない、という瞬間すらも。
『……来ますよ』
「うん」
マナの侵食を止め、体外に排出したトニーは、ゆっくりと修復していく己の体を検める。
「十全とはいえないが、君を倒すには十分だ」
「あたしには、あーちゃんもいるから!」
愛玩犬の姿で威嚇してみせるアグリアスを見ても、トニーは油断を見せなかった。
「よかろう。やれるものならば、やってみろ」




