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──七年前、ライトロード城にて……。
「おにーさん! おにーさんっ!」
まだ六歳のアルマ。容姿は今以上に幼く、手も小さければ、体付きも女性らしくはない。
両手を伸ばし、跳ねながらスキンシップを求めた相手は、先代の善大王だった。
「どうしたんだい、アルマちゃん」
善大王のように計算しつくされた動きではなく、自然に屈みこんだ先代はアルマの頭を撫でる。
頬を赤らめ、満面の笑みを浮かべるアルマを見て、引き寄せられるように彼も笑った。
「アルマちゃんを見ていると、僕まで笑顔になっちゃうよ」
「えへへ」
この時代のアルマは、今以上に人懐っこかった。特に、先代への執着はかなりのもの。
それこそフィアのように執務室までついていき、邪魔にならない程度で雑談などを挟んでくる。
善大王と違い、先代は努力の人という呼称が相応しい人間であり、暇を持て余すことはそうそうなかった。
それでも、アルマと遊ぶ為に時間を作り、夕刻で終わるような仕事を夜まで続ける程。
そんな、負担を重ねた子守は──ある意味の恩返しによって報われた。
「おにーさん?」
「ん? どうしたんだい?」
先代は机から視線を離し、アルマへと向ける。
「なにやってるの?」
「えっ? いやぁ、ちょっと気晴らしに術をね」
「どんなの! どんなの!」
興味を持ったらしく、アルマはいつものようにオーバーアクションで問いかけた。
「封印術って言うんだけど……分かるかな」
「うん! 術は分かるよ!」
「へぇ、さすがは巫女さんだね。じゃあ、これは分かるかな?」
簡単な封印術の式を速記し、アルマに見せる。
「うーん、わかんない」
「あはは、わかんないか。そうだ、じゃあアルマちゃんに教えてあげようか」
天性の甘え上手故か、アルマは先代からお誘いを受けていた。
ただ、《星》ならば使えて当然と思うかも知れないが、アルマは実際に知らない。偶然で、最高の状況を仕立て上げたのだ。
「えっ? いいの? おしえて! おしえて!」
「いいよ。じゃあ、今度また時間を作るよ」
こうして、アルマは封印術の勉強を約束した。
兄のような存在として先代を慕っていたアルマからすれば、これはとても楽しみなイベントだったに違いない。
そうして、約束の日。先代は忙しさを理由にすることもなく、その場に現れた。
「よし、じゃあ教えてあげるね」
先代の教え方は上手ではあった。ただ、それは術が分かる相手にだけ通じる説明、というべきか。
少なくとも、六歳のアルマには、通じるはずもない説明だった。
「──この、悪さする子は剣をもった正義の味方に弱いんだ。そういう風に、倒さなきゃいけない子を見つけて、その子につよい正義の味方を出す、分かったかな?」
当該の問題に対し、もっとも有効な種類の封印を施し、効率的な術の運用をする。封印術における基本だが、子供に通じるようにたとえ話になっているようだ。
ただ、この理屈はなかなかに伝わらない。
封印術は基本的に万能ではないのだ。対応する病気に対して有効な薬があるのと同じように、薬であれば何でもいいということはない。
ただ、先代の言い分はもっと深く、有効な薬の中でも特に限定して効き易い薬を探そう、という提案に近いのだ。
その最適化こそが封印術の醍醐味という考えが主流であり、先代は趣味として構想を練ったりもしている。
「アルマも正義の味方みつけるー!」
「うん。頑張ろうね」
最初こそはそんな具合だったが、アルマの吸収速度は凄まじかった。
術を知っている、と言っただけはあり、ロジックなどを瞬時に理解していく。仕組みさえ分かれば、後は簡単だった。
ものの一ヶ月でアルマは封印術の基礎を完全に習得し、応用についても一線級になったほど。
そうして、実力者となったアルマは良い話相手になった。
「制圧用の封印術なんだけど、これはどう思うかな」
「……ちょっと痛そうだよ? それに、もっと強く縛れそう!」
「なるほど……確かにそうだね」
暴動制圧用の封印術。これは行動阻害系、という説明の方が分かりやすいかもしれない。
痛覚と拘束能力によって制圧するのが王道だが、アルマはあえて縛り付けることの重要性を見た。
ただ、それは理想論でしかない。先代は相手を痛めつけることを嫌い、かなり威力を制限してこの術を作り出している。
しかし、アルマが代替案として提示した式を見た途端、先代は目を丸くした。
「痛覚緩衝が入ってないけど」
「この式なら、痛くないけど、強く縛れると思うよ?」
それは、神経機能を抑制する形式だった。命令をほとんど遮断し、身動きを取れないようにするという手。
説明されれば理解できるが、そこまでの深い封印命令は、未だ存在すらしていなかった。
封印術のエキスパートである先代すら、運動機能の封印が最上級手段と見ていた程。
これであれば、痛覚をそもそも遮断する必要もなく、術を発動させるまでに掛かる時間を短くできる。
それどころか、痛覚緩衝を入れない為に、拘束に回すリソースも拡張された。
「アルマ、君はすごいよ! いい才能を持っているね」
「そうかなぁ? おにーさんに褒めてもらって、うれしっ」
この時から、アルマはエルフとしての能力を無自覚に使い始めていた。
どういう経過を辿り、どういう結果に導きたいか。それらの具体的な命令文と、先代に抱く愛情とを混ぜ合わせ、答えが自動的に算出される。
遥か古の時代、神が術の概念を普及させる為に作り出した種族だけに、人間とは歩んでいる世界が違うのだ。




