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「もう……やだ。うるさい! うるさいうるさい! 黙って!」
叫ぶが、誰もそれには反応しない。彼女は自室に篭っているのだから、当然だ。
自を律することもできず、能力が暴走状態に入り、常になりやむことなきノイズが頭を過ぎる。
城中の声が頭に直接注ぎ込まれ、集中は乱れていった。
なにも解決せず、フィアの消耗は精神だけに留まらず、眠ることすらままならなくなる。
肉体的にも疲れが見え出しても、《星》という特異体質から彼女が死ぬことはなかった。
深い絶望。誰も助けてくれず、誰もが自分に悪意を向け、誰も自分を理解してくれない。
そう感じたフィアは、不意に一つのことを思い出した。
幾多の物語に綴られていた、母親の存在。今まで、一度として気にしてこなかった存在に、今の彼女は縋ろうとした。
「(お母様はどこ? どこにいるの?)」
能力が発動し、フィアの瞳に虹色の光が宿る。
途端、一つの事実が残酷にも彼女の脳に書き込まれた。
「……お母様は、もう死んじゃったの? フィアを産んだから? じゃあ……私は一体なんの為に? 誰を頼ればいいの? 誰が、誰が助けてくれるの?」
自問自答は真っ当な精神状態でならば、それなりに有効かもしれない。
しかし、フィアのように憔悴しきった状態でのそれは、確定的に悪い結果を呼びこむのだ。
「……そっか。お母様に会える。お母様は……《光の門》の中にいる……」
それが死に繋がる、ということをこの時のフィアは理解できていたのだろうか。
いや、間違いなく、母親に会うという目的だけで動いていたのだろう。生の苦痛からの逸脱ではなく、ただ単純な、子供らしい欲求で。
城を抜け出すことは容易だった。
いくら肉体機能が衰弱し、鍛えられていないとはいえ、《星》の肉体構成は人間とは違うのだ。どうとでもする方法はある。
ただ、徒歩で歩める距離には限界があった。
肉体もそうだが、運動しなれていないフィアからするに、長距離移動はそれだけで命賭けになってしまう。
適当な馬車を見つけると、事前に持ってきていた宝石類を手渡し、光の国に至るまでの運賃とした──もちろん、過剰支払いだ。
光の国に到着して早々、フィアは何食わぬ顔で城下町を歩き、まっすぐ《光の門》を目指す。
誰が見ても明らかな、容姿端麗な美少女。道行く人々の視線は集まるが、すぐに疑問へと変わった。
子供であり、貴族だろうと推測されるフィアだが、そんな彼女が放つ気配がそれらとは一線を画している。
言うなれば、殺意。明確な拒絶感、近寄るなという警告かのように、それが放たれていた。
可視化しているというわけではないが、誰もが放出される魔力の圧迫感に押され、声を掛けられずにいた。
ここまでの行為は敵対行為でしかないのだが、今のフィアには国家の都合など頭に入っていない。
ただ、監視網に引っかかり、聖堂騎士が見張りに付いていたことには気付いていた。その上で一直線に動いていたようだが。
「止まりなさい!」
制止を呼びかけられ、フィアは振り返る。
「お母様がここにいるの」
「お母様……君は──ッ! その空色の瞳は!?」
気付いた聖堂騎士は近付こうとするが、橙色の鋭い光線が男の大腿を掠った。
「こないで」
「ですが、そこは危険で……いくら天の巫女様とはいえ……お通しできません」
出血量自体は大したことはないが、今の一撃が威嚇であることを察したのだろう。
強者だからこそ理解できてしまう、フィアの異常なまでの力。それを前に、怯えた。
それでもなお立ち、止めようとしている時点で、彼の精神力は強靭だ。さすがは聖堂騎士、と評価しても問題はないだろう。
「邪魔」
フィアが放った光線は聖堂騎士の両足を一薙ぎし、立つことを完全に禁じた。
激痛に呻きそうにもなるが、それを抑え、最後の最後までフィアを止めようとしている。規律と正義と──フィアの身を案じる、善意によって。
だが、動けない者に気を留めるフィアでもなく、平然と眼前に迫った《光の門》へと歩みを進めた。
しかし、《天の星》であっても、例外ではない。
《光の門》は、生者を飲み込む場所だ。フィアとて、すべての感覚を奪い去られる。
歪み、錯乱する五感に頼りながら、フィアは茫然と歩みを進めた。いくら心が壊れた状態であっても、狂った感覚はその者を大穴へと導く。
その途中、不運にも《星霊》に遭遇してしまった。空気中に舞う、胞子型──グロースポアだ。
人差し指の先程度の大きさの個体が数十体単位で群生し、大気中のマナを吸収しながら存在している。
本来、人間を襲う種類ではないのだが、生存圏に踏み入ってきた人間には抵抗をするのだ。
ジッジッ、と強い発光を行って威嚇をするが、フィアは無視をする。
それが挑発行為となった。彼らはフィアの体に張り付いていき、発光する。
大きな音が出ることから分かる通り、この光の熱量は高い。少数ならともかく、群生単位で同時に行われれば、大怪我に繋がる。
激痛が肌を刺すが、フィアは五感どころか、精神まで狂っていた。その程度では足が止まることはなかった。
しばらく歩くとグロースポア達の縄張りを抜け、彼らも自然と離れていく。そうした時には、服がボロボロになり、肌にも火傷が生まれていた。
ただ、この傷については《天の星》としての能力が反射的に発動され、マナを吸収しながら肉体を修復していく。
そうして辿りついた先には、虹色の光が渦巻く大穴があった。
「お母様……」
何の迷いもなく飛び込んだ途端、フィアの体は宙を舞う。
「は……れ?」
刹那、自分の代わりに落ちていく男の姿を見た。それこそが、今の善大王だ。
投げ飛ばされたフィアは、咄嗟にその場を逃げ出す。正気を取り戻していたからか、《天の星》の能力を使い、なるべく影響を受けないようにもしていた。
走っていた途中、フィアは人にぶつかった。
「わっ! びっくりしたぁ……あ、フィアちゃんだぁ」
「……えっと」
「アルマだよぉ」
「アルマね……光の星の」
人見知りで引きこもりだったこともあり、フィアは人の名前を覚えるのが苦手だったらしい。
ただ、アルマが疑問に思ったのはフィアの態度ではなく、どうしてここにいるかだった。
「フィアちゃん、なんでここにいるの?」
「……」
「フィアちゃん?」
「会っちゃった……」
「え?」
「私ね、王子様に会ったの!」
冷静になり、状況を鑑みた結果、フィアは興奮し始めた。
そんなフィアの説明はとても残念なもので、アルマもかなり苦労しながら意味を解読する。
「あの侵入者さんが好きってこと?」
「うんっ! すごくかっこよくて……私を、助けてくれたから」
一歩前は死に向かっていたはずのフィアは、自分を助けてくれた男性──王子様という、現実性のない存在によって生きる理由を見つけた。
この時の彼女からすれば、善大王はまさしく絵本の世界の王子様だったに違いない。
現実世界に嫌気が差していたからには、その魅惑はどれほど素晴らしきものだったか。
「(また私が危なくなったら……王子様、助けに来てくれるかな)」




