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「……善大王、久しぶりだな」
「ええ、全くもって」
「フィアに何かしたのか?」
「それは、どうしてそう思ったんですかねぇ」
フィアに浴びせられた傷については、すぐに治療されたので残っていない。
ただ、肝心のフィアが凄まじく不機嫌な調子で善大王の傍に立っているのだから、親としては不信感を抱いてしまう場面なのだろう。
「まぁよい。善大王ならば、こうしたわざとらしく目につく問題点を作り出し、かつての話題に触れさせないという手も取りかねん」
善大王の名声は天の国にまで届いている。
今までの善大王とは違う、善大王らしくない善大王。それについては彼と関わる多くの者が知っていることなのだが、その意味は違う。
言うなれば、かなりあくどいのだ。直接的には悪く見えなくとも、人間の上に立つ側の貴族からすれば、非常に善から遠い行動だと見える。
彼は本来弱者の側である農民などには、成果に応じた報酬を支払っていた。ただ、それだけではなく、領主側への労働緩和まで希望で受けているのだ。
これだけ聞くと善良な王だが、裏で貴族などの管理者側の尻を叩いている。
煽るような形でプライドを傷つけさせ、行動を促す。成果で見返してくれば、それを素直に褒め、謝罪もしていた。
王族ではないので、生まれ持ってのプライドもなく、必要とあれば頭を下げることも厭わない。
一見すると合理的なのだが、それを平然と行える時点で、ある意味善大王は凄まじい──凄まじく、人間の視点ではない。
彼のやり方を知った者が総じて思うのが、ゲームのプレイヤーのような動きということ。世界そのものを盤上に見立てて勝負しているかのような視点。
人間愛に満ちたかつての善大王らと比べると、確かにあくどくみえても仕方がない。
「えっ? ああ、そうか。そのとおりだ」
しかし、どうにも今回は違っているらしい──というよりも、違う。
「あの時、何故に逃亡した」
「天の国との繋がりを公表されたくはなかった。かつての俺は、それに対処する能力を持っていなかった」
「……だが、近況を聞くに、既に気付かれているのではないか?」
「二つ目、都合がよくなった。当時のフィアの存在は危うく、俺ですら手に余していた。だが、今ならばそこまで気を張らなくても済む」
馬車内のように、フィアを悪く見ている発言だが、これに関しては事実としか言いようがない。
「なるほど、最低限度の約束は守れた、と。そう言いたいのか? だが、だとすれば今回ここに来た理由はなんだ? 最初の言葉と矛盾はしないか? よく考えてから答えろ」
ビフレスト王は、善大王が天の国との関係改善に来ていることを察している。建前とはいえ、善大王としてもそちらの狙いがあるだけに、なかなかに厳しい問いだ。
もちろん、厳しいというのは口頭に出ている内容ではなく、それを答える善大王の気持ち。
しかし、善大王は迷わなかった。
「今の俺ならば対処ができる」
「……私がフィアを任せた理由、それを理解しているか?」
「信頼、ではないな。先行投資でもない──フィアはよく分かるだろう?」
言葉を投げるが、フィアは頷くだけで留める。善大王がそれを自分の口で言おうとしていることを、理解しているからだ。
「フィアを通じて善大王としての成長に期待した」
「正解だ」
「俺は成長だとは思わないけどな。ただ変わっただけ。この年になると成長はなくなる、それはビフレスト王の方がよく分かっているんじゃないか?」
善大王のポテンシャルからするに、この言葉に驕りは含まれていない。
既に知識というピースがほとんど全て揃えられているからには、後はそれを組み変えるだけだ。手札が増えているわけではない。
考えようによっては成長ではあるのだが、少女至高主義の彼からするとその定義から外れているようだ。
「今ならば対処できるという言葉、信じよう。だが、信頼を裏切ってくれるな」
「嘘やその場しのぎを言うような度胸を身につけるくらいなら、実力で踏破したほうが気が楽だ」
ビフレスト王を怖い人物と知覚しているからこそ、善大王はこれを素で言った。
しかし、当のビフレスト王からすれば、ここは嘘でも大見栄が張れれば十分と見ている。つまりは、善大王は試練的思想を持つビフレスト王の前提を越えていた。
「件の逃亡については見逃そう。事実、私も安直だったと思っていた」
かつても言ったが、天の国と光の国──二カ国の明確な同盟など、近代ミスティルフォードには存在していない。だからこそ、それは知られれば危険が迫る情報なのだ。
ただ、善大王が大丈夫と言ったからには、知られても尚、大きな問題に発展させないだけの策があるのだろう。
「……言いたいことだけを言ってしまったな」
「いや、こっちの落ち度もあった。フィアを勝手に連れ出したことも事実──」
「本来ならば優先すべきだったが、王として全てを言わせてもらった。ここからは父親としての問いだ──何故、フィアが善大王への問いを理解できると思った」
人の世話を焼くと成長する、ということはよく言われていることだ。その問いに対し、善大王はフィアも知っていると答えている。
あのビフレスト王が、可能性という選択肢の中でm正解を引き当てていることは確定的。だが、それでも父親としては認めたくないのだろう。
「去年に娘の世話をしていた。フィアと共に」
「娘? ……まさか、フィアを身篭らせたのではないのだろうな? だからこそ、ここに来たわけか。貴様は親の許可もなく、このような幼く可憐なフィアを──」
「フィアが産んだ子ではない……です。本当の子供じゃないというべきか……うーむ」
「フィアが傍にいるにも関わらず、どこの馬の骨とも知らん女を孕ませ、その上──その上、その娘の世話をフィアに押し付けるなど……」
「養子です! 養子! 旧友の娘の世話を見ていたんですよ。今は自立していますが」
鬼気迫るビフレスト王の気迫に、善大王はついつい敬語で話している。
王として話している時には知性的な恐怖だが、今は直接的な恐怖なだけに少したじろいでしまったのだろう。
「旧友……養子──なるほど。そうか……旧友殿には悪いが、フィアには良い経験になったことだろう」
その旧友が死亡した、というところまでビフレスト王は読んだ。
善大王の旧友が娘を捨てるような者ではないと察し、さらに善大王とフィアが育てたことで、重い事情があると読んだのだろう。
「手を出していないのであれば構わない」
「そ、そうですね」
他人行儀の善大王。それまで不機嫌だったフィアも頬を紅潮させている。
「手を出したのか?」
「出してません」
「何回だ」
「覚えていません」
「なるほど」
長い沈黙の後、《魔導式》が展開された。
「安心しろ、殺しはせん。だが、貴様が手を出した回数は蘇生を繰り返してもらう」
瀕死に陥らせるほどのダメージを叩きこみ、その上で体力を瞬時に回復させ、再度攻撃。これを繰り返そうとしているのだ。
思った以上に、ビフレスト王は憤っている。
知りません、やっていませんではなく、覚えていませんといったのが失言だったようだ。事実、善大王は覚えていないのだが、そこは問題ではない。
「お父様」
フィアはビフレスト王の前に立ち塞がった。
「フィア……私はお前のことを思っているだけだ」
「私、ライトにならされてもいいと思ったの」
「だが、フィアは天の国の姫だ。他国の姫に手を出すという意味、この若造もわかっているだろう」
闇の国を除く、全ての国の姫に手を出している善大王を見るに、その配慮はないように思われる。
「お父様。話があります」




