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エルズからの否定という初めての体験に恐れ、あの場を離れてしまったが、ティアがブランドーに挑むだけの勇気を手に入れたわけではない。
怖い、怖い、怖い、と何度も頭の中で巡り、ティアの歩む速度は遅くなっていった。
しかし、ティアは自分がここに来た理由を思い出す。何を覚悟し、誰のおかげで生きているのかを。
誰も待って居ないからと絶望していたリーフに、伝えなければならない。母親は待っていると、決して忘れて居ないと。
二度も助けられ、それでも恐怖に震える。人間ならばよくあることと一蹴できるが、彼女の場合はそれを良しとしなかった。
両頬を叩き、辿りついたブランドーの部屋の前で大きな声を出す。
「リーフ! 助けにきたよ」
扉を叩き開けると、そこには椅子に縛られたリーフの姿があった。
緑色の髪のかつらを被せられ、目は隠されている。一見するとティアに間違えそうにもなるが、彼女をよく知る人物であれば見分けは容易だ。
「……冒険者ギルドからは、エルズという冒険者がくると聞いていたが、まさか本人が戻ってくるとはな」
「リーフを返して!」
「……うむ、別に構わない」
あまりにもあっさりとした反応に、ティアは次の言葉を失う。
「だが、その場合は君を縛らせてもらおう。エルズという冒険者は君の相棒なのだろう? 全軍が壊滅したことは知っている──恐ろしい使い手だ」
余裕を持った様子で顎に手を置く。「だが、足枷があればどうだ」
「……本当に、リーフを返してくれるの?」
「急ごしらえの偽者で誤魔化せるとも思ってはいない。本物ならば、その方が丁度いい」
ブランドーが望んでいたのは、判断する一瞬の時間。
相手が人間である限り、物理的耐性は人間と同じ。なればこそ、一瞬の判断を奪うことにより、部屋に仕込んだ上級術を発動して消し去ることが可能だと考えていた。
壁や家具には青い文字が煌き、今にも術を発動することができる、という状況に調整されている。
もしもエルズが来ていたのであれば、彼の計画通りに事が進んでいたかもしれない。いや、エルズが追いついてしまった場合にも、同じことは言えるのだ。
ただ、ティアはこの状況で唯一の幸運を拾った。
ここに来たのは、ティア本人だった。迷いの時間こそ生まれても、ブランドーが術を発動する理由のない存在。
「分かったよ。リーフを開放して」
「お前が先だ」
「……うん」
ティアはリーフの座っている椅子に近付いていく。そして、その近くに立っているブランドーの傍に到達した途端、下着にはさんでいた《呪符》を三枚投げた。
予想外の不意打ちに対し、ブランドーはサイドステップで回避を行い、二発を完全に空振りに終わらせる。
だが、一本はリーフを縛っていたロープを切断し、拘束を解除する。
ティアはすばやく目隠しを取ると、ブランドーが立っていた場所に突き刺さったナイフを抜き、リーフに手渡した。
「ティア、さん?」
「ごめん、遅くなって」
ブランドーもこの攻防は完全に予想外だったらしく、部屋に張り巡らせていた《魔導式》が維持できずに消失した。
崩壊し、周囲に青い光の粒子が舞う中、ティアは呟く。
「リーフのお母さんは、忘れてなんかないよ。今も、待っているから」
「っ……!」
「《呪符》……そんな骨董品をどこから出してきたかは知らんが、タネが割れていれば恐れるものではない」
この言葉は真実であり、不意打ちや予想の範囲に含まれていない事象以外では、彼に術で勝利することは不可能。
《呪符》はミスティルフォード内で使用者が一割すら居ないような、まさに古の技術。
発火機構でマッチを用いず、火打石や摩擦式の火起こし機を使うようなものだ。当然、そのような技術を考慮に含めるはずがない。
だが、今の一撃でその存在が明らかになった。もう、ブランドーに《呪符》は通用しないと考えて、間違いないだろう。
そうなると、ティアの攻撃手は完全に死ぬ。体技において卓越した能力を誇っていたティアとて、いまではただの子供。
そんな状況にありながらも、ティアはまだ諦めていない。逆にいえば、それは生来の彼女が持つ、単純さ故の蛮勇だ。
リーフの救出に成功した時点で、ティアはある意味の流れをつかんでいる。これは決して悪いことだけではなく、シアンの目論見が成立するとすれば都合のいい状態だ。
「リーフ、逃げて」
「でも」
「いいから。私の友達も、リーフを助けられれば勝ちだって言ってたから。だから、リーフが逃げ終わったら、すぐに私も行くよ」
「私が、逃がすとでも?」
口を挟んできたブランドーを睨みかえし、ティアはただの虚栄でしかないファイティングポーズを取り、威嚇して見せる。
「絶対に逃げ切るから」
強い覚悟を含ませた言葉が出たからか、リーフは一度頭を下げてから部屋の外へと出ていった。
攻撃態勢に入っているティアなど恐れるに足らないが、それでもブランドーは警戒を解かない。
相手が《風の一族》であることは明白。その上で、まったく攻撃性を見せないことに、奇妙な違和感を持っているのだろう。
子供だからと最初は考えていた。恐れているからとも考えていた。
しかし、どうにもそうではないとブランドーは直感で悟っている。ならば、あえて力を見せなかったのは大きな意味があるのではないか、という答えに繋がった。
ブランドーは実力者であるが、それは地力の強さというよりかは、戦闘に至るまでの道作りの巧さにある。
強者とは、ほとんど負けない者のことではあるのだが、彼の場合はラッキーパンチすら許さない。
勝負は前戦全勝、数少ない黒星は権力などによる試合拒否ができなかったものだ。
「(手を抜くべきでも、油断するべきでもない。私は着実に、この娘を制圧すればいい。厄介であれば、殺すことも厭わない)」




