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読みどおり、逃げ出した者は救援を呼んできた。その数は三百、前後中衛に数人の騎士がいる。
大貴族の配下だけに、兵までも騎馬兵。後方からは歩兵部隊が目視五百から千の大群で押し寄せてきている。
「この地はブランドー様の領土だ。冒険者風情がそれを汚そうだなどと、おこがましい」
意気揚々と言葉を発した騎士は、途端に馬上から落ちた。
「御託はいいの。早くかかってきて。勝てないと思ったら、増援を呼ぶなり好きにしなさい──ティアをさらった人間の屑は一人残らず殺すから」
優秀な兵であっても、エルズが何の行動もなく相手を殺せると分かれば震え上がるしかない。
ただ、それでもゴロツキとは違う。すぐに理性で恐怖を押さえつけ、剣や槍を構えて圧殺の体制に入った。
「殺せ! 子供であろうとも、容赦はするな!」
「何かしらの小細工をしているだけに過ぎない! 手を打たれる前に殺せ!」
「小細工なんて失礼ね。幻術を、あまり甘く見ないものよ」
ここまでは普通の術者と同じ方法での、簡単かつ単純な恐怖。刃や炎をみて覚える恐れだ。
心理掌握や恐怖による支配を得意とする闇属性使いが、それだけで終わるはずがない。
「撤退だ! 撤退するぞ!」
「何を言っている! ブランドー様への忠義を忘れたのか!?」
騎士同士が言い争いを始めた途端、戦線を放棄して一人の騎士は逃亡した。
一つ投げ入れた石は瞬間的に広がり、波紋は大きなものに変化する。
指揮が完全にバラバラになり、兵は誰に従っていいのかが分からなくなった。忠実なだけに、上が崩れるだけで完全に行動ができなくなる。
「撤退だ! 命を捨てられるか!」
「ですが──」
反論しようとした兵は騎士の槍に貫かれて死亡した。
「従わない奴は全員殺す!」
「何をやっている! 気でも触れたか!? 敵は目の前、圧殺すれば勝てる!」
近付いてきた騎士に対し、血の付いた槍を握った騎士は攻撃を行う。もちろん、実力が拮抗しているだけにその攻撃は弾かれた。
「貴様……逃亡は死だ! こいつを殺せ!」
「やれるものならやってみろ!」
あっという間に内部での闘争が始まる。ただ、それは一部であり、戦線続行を優先した騎士の数名は部隊の括りで兵を率い、エルズの元へと向かおうとした。
だが、一斉に馬が転倒し、将棋倒しのように攻め込んだ騎馬部隊の半数が馬上から転落する。三分の一は脳天や胸部を馬に踏み付けられ、絶命した。
「まだこないの? ブランドーの持っている兵力はこんなものなの? これじゃあ、エルズはなにもしなくても終わっちゃうよ?」
「追加を呼びにいけ! この戦力では不足だ!」
「ですがっ!」
「いいよ。どっちにしろ、ティアを助ける為に全員を殺す予定だから。ここに呼んでくれたほうが手っ取り早いよ」
恐怖で逃げる者に混じり、伝令の兵が走り出すが、事故に遭うこともなくそのまま屋敷の方角へと向かって行く。
「じゃあ、もっと派手にしようか」
エルズの言葉に続き、独自に武器を構えていた兵達が同士撃ちを始めた。騎士を狙う者や、味方を狙う者、怒り狂って剣を振り回す者。
場は混沌に満ち、集団戦における最重要である指揮系統は完全に沈黙した。
綿密に、全員が一糸乱れぬ動きで動くことにより、無数の兵は相乗効果で強度を増す。だが、全員が全員、バラバラで味方を殺し始めるようなことになれば、人数は場を不利にする要素でしかなくなる。
もはや、誰が敵で誰か味方なのかも判断がつかなくなるのだから。
言ってしまえば、これは集団戦の詰みの状態。全員に同時、かつ直接意見を送れるような伝達手段がなければ立て直すことはできない。
それがいくら名将であろうとも、武勲の凄まじい猛将であっても例外ではないのだ。
聡明な騎士の数名が、この血と肉が飛び交う光景を見て、槍を投げた。
「地獄……だ。なんなんだ、これは……」
もう勝てない。それをこの段階で完全に察したのだ。後方にまだ大量の兵がいるという、盤上でいえば序盤の序盤で。
全速力で走れば二十や三十を数えるよりも前に到達できるような距離に居ながらも、誰一人としてエルズの場所にまで到達できない。
彼女は仮面をつけ、ただ立っているだけ。邪悪な骸骨な仮面を被りながらも、その仮面の裏に歪んだ笑みがあると、容易に判断できるような気配を漂わせながら。
「魔女だ……人間を狂わせる、魔女」




