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「ブランドーの屋敷はこの辺りかしら……でも、ティアは」
魔力の探知を行うが、やはりティアのそれは微塵も感じられない。
この場合、嘘や別の場所にいるという可能性よりも、既に殺されているという線の方が強くなる。
焦りが増し始めながらも、エルズは聞きこみから開始することにした。
ブランドー領の村だけに、情報収集できる可能性が高いと踏んでいた。事実、ブランドーについて黒い噂がある、という程度の情報を入手するに至る。
ただ、それくらいのもので、ティアについては話題にも上がらない。
実際そこにいるかも分からない状態で踏み込むしかないか、と判断し始めた瞬間、僅かにティアの魔力が検知された。
すぐに意識を集中させ、その魔力を辿るように走り出す。
そして、出会った。一度離れ離れになった、冒険者の相棒と。
「ティア?」
「エルズ……来てくれたんだ。よかった」
「ん? ティアはなんでこんなところにいるの? 捕まっているって聞いたんだけど」
エルズからすれば、ティアとこの場で遭遇することは完全な想定外だった。
殺意を高めていたにも関わらず、踏み込みは行わなくてよくなる。良いことではあるのだが、どうにも拍子抜けするオチではあった。
「リーフって子に助けてもらったの。だから、今から私があの子を助けに行く」
「……力は戻ったの?」
事情が知れていると察し、ティアは首を横に振る。嘘をつけばついてこなくなる可能性を理解しながらも、それでも親友に偽りたくなかったのだろう。
「やっぱり、まだなんだね」
「エルズ。お願い、手伝って」
「……そんなの、お安い御用よ。でも、相手はブランドー、水の国の大貴族よ」
「それでも、助けたい」
「分かってる。ただ確認しただけ」
互いに互いのことをよく知っているだけに、止めたりはしない。
「現実的にみて、今のティアは足手まとい。実際、ここに残っていてもらったほうが、エルズとしては楽だけど」
「でも、エルズだけだとリーフも逃げていいか分からないかもしれないし。それに、兵士がすごく多いから、エルズだけだときついと思う」
「なるほどね……じゃあ、なるべく戦わずに逃げて。リーフって子を連れて逃げたら、それで勝ちだから」
エルズは勝利条件を確定させ、ティアの行動を論理的に抑制した。常のティアは、こうでもしなければ余計なことにまで首を突っ込んでしまうのだ。
「でも、敵にあっちゃったらどうしよう」
「……これを持っていって。念の為だから、あまり使わないように」
エルズが手渡したのは、十数枚の《呪符》だった。
もちろん、ティアは古典体系に造詣深いわけでもなく、これが何なのかも理解していない。
「導力の操作は?」
「まだ……きついかも」
「思ったとおりね。それには起動分と発動分の導力をしみこませているから、攻撃対象を定めて投げるだけで術が発動するのよ。エルズがよく使う、ナイフの奴ね」
「あーあれね。でも、私でも狙い打てるかな」
「心配御無用。追尾も付加しているわ」
シアンの言葉を聞き、エルズは戦う力を持っていないであろうティアの為に武器を用意した。
移動中の馬車にしても、本来ならば集中力を回復させる為に眠るのが最善だが、ティアのことを第一に考えて全てを《呪符》作成に費やしている。
「作戦についてだけど、まずは正面突破を提案するわ」
「なんで?」
「ティアが遭遇する敵の数を減らす為。ティアの脱走には気づいているかもしれないけど、それと同じように、エルズの襲撃も予見しているはずだから」
これを読み、あの冒険者は殺さなかった。ただの感情論だけで選択しない辺りは、さすが元プロフェッショナルというべきか。
冒険者が向かうと分かっていれば、警備は強化されているはず。その上でいざ目的の人物が現れたとして、少数で迎撃するとは思えない。
今、この状況でエルズに力を貸す人間はいないのだ。ティアが不在である以上、それは確定的。
冒険者ギルドがエルズの交友について知っていることすら考慮し、ティアを救い出すプランを建てていたのだ。
ただ、今回は本当に幸運でもある。ティア奪還においての最大の障壁は、護衛を排除することが不可能だったこと。
ティアが狙われていると分かり、その上で護衛戦力を迎撃に回すとは思えない。さらに言えば、ブランドー本人が最後の砦になる展開すら想定されていたのだ。
その点、ティアが抜け出しているからには、その分は無視しても構わない。相手も全軍でエルズを迎撃しにくる──そして、所詮は人間なのだから、どれだけ束になっても《選ばれし三柱》を撃破することは不可能だ。
「とりあえず、私も行ったほうがいいのかな?」
「ティアは裏から回って。逃げてきたってことは、裏口があるんでしょ? ならその裏口から進入して……もちろん、少し経ってからね」
それまでに敵を殲滅する、というのがエルズの本音だった。
「分かったよ。じゃあ……エルズ、無事に帰ってきてね」
「エルズの強さは知ってるでしょ? むしろ、いまのティアの方が心配かも」
「もー! ……でも、確かにそうかも。今の私に何ができるかは分からないけど、出来る限り頑張ってみるよ」
聞いていたよりは前向きな性質に安堵しながらも、エルズは思い出したような注釈を入れる。
「ティア、一つだけ覚えておいて」
「うん」
「今は辛いかもしれないけど、強く在って。エルズは、強くて優しいティアが大好きだから」
「できるだけ……頑張ってみるよ」
「妥協なし! ティアは妥協なんてしないでしょ! だから、絶対なるの。はい、約束!」
熱く言ってみるが、やはりティアの本質そのものが切り替えられているらしく、反応は芳しくなかった。
已む無く、エルズはティアの象徴を手渡す。
「これ。世界の多くの人が、このパーカーを纏ったティアを見て、感謝して、憧れているんだよ。だから、着ていって」
「そ、それはエルズが持ってて。これから、一杯戦うことになるんだし。お守りだよ! それに、この服のままのほうが誤魔化せそうだし──っていっても、ちゃんと返してよね!」
「う、うん」
そう言い、ティアはさっさと離れていってしまった。
一人残ったエルズは釈然としないまま、ゆっくりとブランドーの屋敷に向かって歩き出す。
魔力を放出し続けていたからか、すぐに私兵が集まってきた。前方で壁のように広がり、行く手を遮ろうとしている。
ただ、それは無意味でしかなかった。ティアは、見ていない。
「邪魔」
エルズが仮面を被った途端、三十人の軽鎧の兵が一斉に首を抑えながら地面に倒れた。精神を操作し、肺の機能を完全に停止させている。
ただ一人残った兵は恐れをなし、逃亡して行った。エルズは、それを追いはしない。
「(さぁ、なるべく派手にやらないと……ティアの為に)」
悪への裁き、ティアに尽くしたいという意志。二つの大義名分が並んだエルズは、かつての諜報部隊所属時代のそれに等しかった。




