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宴の終わりし翌日、エルズはダイサ城に来ていた。
城下町までは容易だったが、城の内部ともなると番兵や門、警備兵を掻い潜らなくてはならない。
しかし、それは無用の心配だ。
エルズは番兵の目に入らない位置にまで行くと、城壁の高さを軽く確認する。
「これなら、登れそうね」
誰も見ていないことを確かめ、エルズは四肢の先に導力を集め、壁をよじ登り始める。
エネルギー操作で言えば中級程度の技だが、エルズの場合はその練度をかなり上げていた。
導力が城壁に使われている石材──その石材に空いている目にも見えないような微小な隙間──に浸透する。密度を高めている為にエルズの体重を支える程度は容易だ。
その浸透、解除を高速で行っていき、飛び跳ねるように壁を登っていき、越えた後はすぐに物陰に隠れる。
突入に要した時間は本当に僅かな時間だ。誰も気づいていない。
元諜報部隊なだけに、こうした進入はお手のものだ。
見張りの視線を見切り、別方向に向こうとすると同時に移動を開始して走りぬける。音こそ聞こえていても、何も姿がないのでは疑問に思うしかないのだ。
洗練された部隊ならばこの時点で連絡を入れるが、それがないことをエルズは予見している。そして、これはある意味の実験だった。
「(防衛に対する意識は低い、わね)」
瞬間的に評価を下し、本来ならば一度二度使う程度の走りぬけの技術を乱用し、スピードを重視した突入をやってのける。
そして、児童売買場──場所は城にいた者を数人洗脳し、調べている──に訪れたエルズは場の違和感に気づいた。
人の気配は存在するが、明らかに少なすぎる。ティアの魔力は残滓のようなものが残っている程度。
「(もう連れ去られた? ……だとしても、動かないと)」
第一目標としてティアの魔力の残滓を辿り、物影に隠れながら移動していき、人目につきやすい大階段を一気に駆け抜ける。
音に気づき、清掃や残った奴隷の給餌をしていた者達が一斉に大階段に目を向けた。
しかし、そこには誰もいない……大きめの猫が階段を登っているだけ。
「なんだ? こんなところに猫?」
「とりあえず捕まえるぞ」
清掃をしていた二人は猫を追い、上へと移動する。他の者達はくだらないと一蹴し、作業を続行した。
そうしている間にもエルズはティアがいた牢屋──の傍にある、荷物置き場に辿りつく。
「これ……ティアの」
ここに来る子供は全て裸に剥かれる。それは顧客を喜ばせる為だけではなく、目視で外傷などがないことを調べられるようにしているからだ。
危険な感染症の類も、大抵が体の表面で判断できるものなので、それで十分だと貴族達含めて考えている。
もちろん、初期段階という線もあるので、後々再検査を自主的に行う者が大半だが。
そうした都合から、ティアの服はここに来た時点でまとめて置かれていた。本来ならば捨てられるか、着せられるか、どちらかが選ばれるわけだが、どうにも忘れられているらしい。
「(……ティア、絶対に助けるから)」
ティアが纏っていた衣類を小さな背嚢に入れると、エルズは振り返った。
「あなた達に質問があるの」
「し、侵入者……?」
「お、おい! 来──」
助けを呼ぼうとした瞬間、藍色に輝く鋸状の刃が襲いかかり、男の片腕が吹っ飛ぶ。
しかし、痛みはなく、自分の腕がなくなったという事実に目を白黒させる。
「ここにきた、緑色の髪の子はどこにいったの?」
「そんなの言うわけが」
瞬間、エルズの足元が藍色に輝き、藍色の螺旋刃がまだ無傷の男の左目に突き刺さった。
片目が見えなくなり、地面でのた打ち回るが、痛みはない。
人間というのは極度の恐怖に陥ると声もでなくなるのだ。それでも、痛みがあれば叫びを上げる──なまじ痛みがないからこそ、恐怖の支配で発声が封じられている。
「どこいったの?」
「お、俺はしらない!」
瞬間、別の角度から鋸状の刃が出現し、片腕のない男の首を跳ね飛ばした。
「あなたは?」
「お、俺も……いや! 聞いた! 貴族が買ったんだ!」
「へぇ、何って貴族?」
「聞くのも驚くくらいの大貴族で……確か、確か……」
作業員内でも雑談はするらしく、軽い情報は流れている。事実、彼もその貴族の名前を聞いているのだ。
ただ、こんな末端の労働員がそのようなことを深く考えるでもなく、覚えない程度に聞き流している。
「はぁ、他の人探さないと」
「ま、待ってくれ! そ、そうだ! 水の国の大貴族!」
「名前は」
「名前は……名前は……ブラ、ブラ……」
「ブランドー?」
「そうだ! ソイツだ!」
エルズは眉を潜めた。
ブランドーといえば、水の国でも上位に入ってくる、まさしく大貴族だ。
硝子加工の技術が凄まじく、文化が評価されていた時代の水の国ではステンドグラスなどの強化、補強を行っている。
本人も芸術に造詣が深く、かつオリジナルの構造を大きく変えずに強化できだけに、芸術部門でも高い地位に登りつめていた。
彼自身、現フォルティス王も認める程に有能な男であることも影響し、大貴族内ですら三番目以内には確実に入ってくる者だ。
適当な商人、貴族であれば奪還は容易だった。しかし、こうなってくると一筋縄では行かなくなる──主に、冒険者としてのしがらみにより。
「ありがとう。じゃあね」
螺旋状の刃は男の心臓を貫き、壁に突き刺さった。導力で生成された物質だけに、すぐに証拠も残さず消滅する。
「……ティア、今すぐ行くから。あなたのところに」
袋にしまう前、緑色のパーカーを見つめたエルズは、それを羽織った。




