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「とりあえず、海月亭の傍に居を構える医者に連絡したぜ」
「ありがとう。もう一回聞いておくわ。額面はそっちもちで、いいわね?」
「目ざといな。分かってるよ」
再確認を済ませ、エルズは酒場を出た。
子供の振りをし、海月亭という宿屋を見つけ出したまではよかったが、どうにも診療所らしきものはない。
そうして彷徨っていると、件の海月亭から一人の青年が出てきた。
「おばちゃんありがとう」
「はいよ。また追い出されたら家にきな」
「うん! って、今度はできるだけ追い出されないようにするよ」
どうにも、宿屋の主と思わしき中年の女性と仲が良いようだ。
都会の、それも空気が荒んでいる水の国でこのような好青年をしているなど、珍しい動物のようにもみえる。
しかし、同時にエルズは誰かに似ているような気がして仕方がないと感じていた。
「(支援者がいないんでしょうね。ティアも、エルズがついてないとああなっちゃうかも──それにしても、あの髪……まるで)」
瞬間、エルズはその青年に重ねたのがティアではない、と気づく。
黒い髪、黒い瞳。濃度こそは違えど、それは夢幻王と同じ容姿だった。
彼の血族なのか、と警戒しようとするが、奥深くに根付く恐怖でエルズは呆然としてしまう。
すると、その青年は近付いてきた。妙な笑みを浮かべながら。
「(殺される前に)」
「ん? 君どうしたの? 迷子?」
瞬間、警戒が消えた。
次に、それが本当に自分へ向けられた言葉かどうかを調べる。
「えっ、私?」
青年は優しく笑い、頷いた。そのまま、屈みこんで視線を近づけてきた。
「お父さんとお母さんは? 迷子ならお兄ちゃんが探してあげようか?」
「い、いいわよ!」
咄嗟に、エルズは拒否を入れた。
相手が恐怖するに値しない人間と理解した時点で、その態度を取ったのだ。
だが、これはフィアのようにコミュニケーションもできない無愛想娘という性質とは違い、純粋に親友を思っているからこそ。
早く医者を見つけ、体を調べてもらう。十全であるかどうかは、素人目には分からないだけに、早ければ早いほどいいと考えていたのだ。
「そんなこと言って。ここら辺はならず者もいたりするから、君みたいな可愛い女の子を一人にするわけにはいかないな」
お世辞を言われたのは初めてだったらしく、エルズは年相応に頬を紅潮させる。しかし、それは僅かなこと。
すぐに真面目な表情に戻し、断りを入れようとした。
「いいって! ……いや、おにいさん、案内して欲しいところがあるの」
この近くにいるということは、医者についても知っているかもしれない。エルズはその可能性に賭け、見知らぬ男に頼むことにした。
「オーケー。俺は池尻海人、カイトって呼んでくれ。君は?」
「私はエルズっていうの」
「よろしくな、エルズちゃん」
差し出された手を見て、エルズは一応の警戒をしながらも握手に応じる。
先導して行くように歩き出したカイトについていくエルズなのだが、少し歩いた時点で海月亭から離れていることに気づいた。
「待って、どこに行くの?」
「え? お父さんとお母さんを探すんじゃなかったっけ?」
エルズも、ここで自分がどこに向かいたいかを告げていないことを思い出し、すぐにカイトの傍による。子供特有の甘えるような態度を演じながら。
「あの……エルズはね、この近くにいるっていうお医者さんを探してるんだけど……」
「そうだったのか! 悪い悪い、じゃあ付いてきて」
今度こそ、と思うが、やはりカイトは海月亭から離れて行く。
しかし、ここまで離れていこうとしているからには、医者は存外近くではないのかもしれない、などとエルズは考えるようになった。
冒険者ギルドの不手際か、それとも目印が少し遠い海月亭しかなかったのか、もしくはその医者が外出中でその居所をカイトが知っているのか。
何はともあれ、今は彼に付いて行くのが無難だった。
エルズは冒険者として、比較的悪い意味で名前が広まっている。
残虐、冷酷、事務役、《放浪の渡り鳥》の腰ぎんちゃく、もしくは彼女の活躍を利用する者──どれにしても、悪いものばかり。
だからこそ、顔を表立って向けることはできず、俯くようにして歩いた。
「なぁ、エルズちゃんはどこから来たんだい?」
「えっ?」
なんの探りかと訝しむエルズだったが、内面に気づかれないように演技に戻す。
「エルズはね、アックアから来たの」
「へぇ、じゃあシアンって子は知ってるかい?」
何故ここでシアンの名前が出るのか、エルズには全く理解できなかった。
ただ、それは彼女が知らないだけで、とある事件の際にシアンがアックアの防衛に参加していたからだ。
表向きには、彼女の活躍でアックアは無事だった、ということになっている。
「フォルティスのお姫様のことぉ?」
「おぉ、よく知ってるね」
カイトは全く遠慮する様子もなく、エルズの頭を撫でた。
別段褒められることではないので、彼女も喜んだりはしない。それらしい仕草をしてはみせるが。
それからさらに歩き続けたが、どうにも医者と接触する様子もない。
それどころか、カイトは雑談に花を咲かせていた。
「──で、シアンの部屋で一緒にいたんだよ。そしたらミネアって子に出ていけっていわれちゃってね。それで、昨日は宿屋に泊めてもらったんだ」
「おにいさんはなんでお姫様に会えるの? エルズもあったことないのにー!」
エルズは頬を膨らませ、羨望の眼差しを向ける。
ただ、実際はうらやましくはない。エルズもまた、ティアという巫女と常にいるのだから。
とはいっても、この黒髪であることを除けば一般人にしか見えない男が、どうして二人の姫──巫女と関係性を持っているのかが気になるようだ。
「こっちに来てからシアンに拾ってもらって、それから世話になっているだけさ」
田舎から出てきたのだろう、と短く解釈する。
つまりは、姫が何かしらの目的で田舎者を雇った──それも、個人で動かせる駒として。労働員か戦闘員か……それについては態度からみて前者。エルズの推測はそのようなものだ。
しかし、問題はここではない。
いつまで経っても医者に会えないことだ。雑談は二の次、三の次。
「一つ質問していい?」
足を止めたエルズに気づき、カイトは振り返る。
「ん? いいけど、なに?」
立ち止まり、しばらく黙ったまま固まるカイトを見兼ね、問い詰めることを決心した。
「あのぅ……おにいちゃんは本当にお医者さんのことを知ってるの?」
「え? うーん……水の国で知っているお医者さんは多いけど」
「あの……エルズは海月亭の近くにいるお医者さんを探してたの」
「それは知らないかなぁ……」
カイトの言葉を聞いた途端、エルズの顔から血の気が引く。
ここまで浪費した時間は、決して安くはない。手当たり次第捜せば、もっと早く見つかっていただろう。
もし見つからなかったとしても、ティアの傍に一瞬でも長くいたい、彼女は層考えていた。
「エルズはッ──」
「じゃあ、シアンに頼んで医者を呼んでもらえば解決かな?」
「えっ……いいの? お金、あまりないんだけど」
「大丈夫大丈夫! 困った時はお互い様だよ。それくらいは出すさ」
ここに来て、予想を遥かに上回る展開がやってくる。
カイトがシアンの知り合いというのは聞かされていたが、まさか口添えを行えるほどとは思ってもいなかったのだ。
こうなると、冒険者ギルドが紹介する医者なんてものではない。王宮付きの、高名で高い技術力を持つ医者が診てくれる──それも無料で。
「友達は今、すごく苦しんでいるの。だから、早く呼んでね。場所は──」
宿の場所を伝え終わると、カイトは何度も頷いてから歩き出そうとした。
「じゃ、少し待ってて」
「おにいさん……通信術式は?」
姫と互角か、良好な関係である以上、通信術式程度は使えて当たり前とエルズは考えている。
これに関しては術者でなくとも、比較的容易に取得できるので、あながちおかしな考えということでもない。
さらに言えば、カイトから放たれている魔力の量は凄まじいのだ。それこそ、《選ばれし三柱》と同等と思われる程に。
「あーごめんね、俺使えないんだ」
「え、その魔力で?」
「俺はどうも、術ってのがよく分からないんだよ」
確かに、魔力が多い人間が総じて術者であるということはない。それは、この魔力を全く抑制していない様子からもよく分かることだ。
城は遠く、そこまで徒歩で向かうとなるとまた時間がかかる。ならば、とエルズはカイトの袖を引っ張る。
「エルズが繋ぐよ?」
「エルズちゃん、使えるの?」
当たり前のことなので、きょとんとしながらもエルズは頷いた。
善は急げとすぐに通信術式を展開していく。
ソウルを導力に変換させず、。そのまま放出し、《魔技》の要領で条件を調律した。視覚的には、手元に青白い光が広がり、《魔導式》の形式に整っているように見える。
「すごいなぁ、どうやって使うの?」
「わ、分からないかなぁ」
手間を掛けたくないので、エルズは適当に受け流した。
「お姫様のことを思い浮かべて。そこに繋げるから」
「えっと、分かった。よぉーし! フンッ!」
そこまで気を込める必要はないのだが、と思いながらもエルズは手早く接続を行う。
意識の接続はカイトとシアンで行われる。エルズには、その会話の内容は聞こえない。
カイトは展開されている青白い──かなり白に近い──《魔導式》を覗きこむと、会話を始めた。
「あっ、俺だよ俺! カイトだよ」
「単刀直入に言うけど、優秀な医者を寄こしてくれないかな。困っている子がいるんだ」
優秀な医者、という言葉が出た時点でエルズは安堵する。
「そう! えっと……何歳?」
視線がエルズに向けられたので、質問がシアンへのものではないと気づき、すぐに返答した。
「私は六歳だよ。友達は十三歳!」
「ふむふむ……と、いうわけなんだけど。とりあえず、危ないらしいから早く送って欲しいんだ」
カイトは通信術式を指差した。おそらく、どこに送るか、という話になっているのだろう。
音は聞こえずとも、こちらの音は伝えられる。ただ、向こうの認識としては、自分に離しかけられている感覚の乏しい声なのだが。
「えっと……冒険者ギルド付属の宿嫌まで。医者が必要な者で尋ねれば、たぶん分かると思います」
カイトがサムズアップをした時点で、エルズは飛んで跳ねて喜ぶ。これでティアもきっとよくなる、と明るい未来に高揚していたのだ。
「おにいさん、ほんっとうにありがと!」
「いやぁ、どういたしまして」
その後、エルズは何度かお辞儀をした後、満面の笑みを浮かべてその場を立ち去った。




