喪失の渡り鳥と幻惑の魔女
冒険者、それは権力などを持たない、弱き者達、困った人達を守る者である。
……と、言うのは新米の冒険者が考えること。実際の職業倫理にも、そのようなことは書かれていない。
正しくは、困っている人の為に手を差し伸べよう、といった類のものだ。
その性質からか、仕事の主は雑用が占めている。
部屋の掃除、農作物の収穫、店番などなど、冒険者の冒険の文字も入っていなさそうな仕事ばかりだ。
そんな、理想を一撃で打ち壊すような仕事だが、それを受け入れて戦う者もいる。
《放浪の渡り鳥》、ティアはその一人だ。
──水の国、アムネの町郊外にて……。
「やっと追い詰めたよ! 観念して捕まっちゃって!」
「そうは行くか、貴様等を殺し、この場から逃げおおしてやる」
ボロボロの黒い皮コートを半分だけ羽織った、人相の悪い男はティアに威嚇していた。
ただ、ティアは恐怖せず、勇敢に構えを取る。
「ティア、こいつは《紅点》だから、最悪の場合は殺して」
「こ、殺すなんて! そんなことできないよ!」
エルズは、そうだろうな、という風な顔をして見せた。
もし万が一、命に危機が訪れたとしても、ティアは人を殺したりはしない。彼女はそれを経験則でしっているのだ。
ともあれば、それは自分の役目となる。
純潔絶対正義のティアを支えるには、その影や闇を背負う人間となる必要があったのだ。
男はいきり立ち、手に持ったロングソードでティアに切りかかる。
しかし、ティアは凄まじい反射神経でそれを知覚し、完全なタイミングで蹴り飛ばした。刃は、一撃で折られる。
飛んでいく刃先を目で追ったティアを見た途端、男の口許が歪んだ。
「死ねぇ」
手首から暗器と思われる、鏃のような太い針が伸び、ティアの喉元を狙う。
だが、寸でのところでティアは拳で男の腕の軌道を逸らした。
「もう諦めて」
「くそっ……」
ティアは最前手を打った。もしも、ここで別の防御手段を取っていれば、一撃で決着が付いていた。
針は男の手首より放たれ、ティアの右胸に突き刺さる。
「ティアッ!」
一撃死には至らないが、ティアの表情は見る見る内に青ざめていった。
いくら《風の星》とはいえ、痛覚は人間のそれと大差ない。少なくとも、彼女はそれを減退する手段を今は使っていないようだ。
流れ出す鮮血、失われていく生命力、それらを感じながらもティアは殺しの一手を打たない。
この距離、攻撃終了時、ティアの蹴りが持つ殺人的な威力。それらを考えれば、反撃だけで葬ることは可能だ。
「これで、もうおしまいだね……ほら、もう諦めてよ」
歪んだ表情のまま、ティアは作り笑いのように笑みを浮かべ、投降を呼びかける。
本来、エルズはティアに被害がいった時点で動こうとしていた。ただ、それをしていないのは、彼女から念押されていたことが原因なのだろう。
「捕まれば全てが終わりだ! お前のような冒険者には分かるまい」
「それでも、悪いと思って反省しないとダメ……だよ」
「甘いことばかり言いやがって! 纏まれ、合わせろ《完全調和》」
男の体が光る……ただ、それは発光現象ではない。彼の体に刻まれた、無数の《魔導式》が煌めき、彼の体が発光しているように見えるのだ。
このような瞬間的な《秘術》の発動は初めてだったらしく、エルズは手段を選ばなくなった。
素早く髑髏の仮面をかぶった途端、男は意識を失う。しかし、体は未だに発光したままだ。
「(術者の意識に関係せずに……しょうがない)」
「待って!」
制止の声を無視し、エルズは《邪魂面》の効果を発動する。
瞬間、男の生命活動は停止し、術も停止した。
生き絶えた男の死に顔を確認した後、エルズはティアに駆け寄る。
「ティア、大丈夫?」
「ころさ……な」
胸に受けた一発が効いていたのか、ティアは呻きながら地面に倒れた。
「ティア!」
返事はなく、エルズの焦りは極限に至る。
急いで治療しなくては、という考えがすぐには出ず、町に戻るまでに多くの時間を費やすことになった。
それはエルズが悪いというよりかは、この状況でそこまで冷静な判断ができるものなどいない、ということで考えるべきだろう。
よく言えば、エルズはその常識に乗っ取った人間であるのだ。幸いなことに。




