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「やだ……殺さないで。もう、あなたを襲ったりしない……だから」
歩みを止めず、善大王は迫る。
「許して……あなたを騙していたことも謝るから」
何を言っても、善大王は一切乱れない速度で近付き、エルズの眼前に到達した。
「ごめんないさ……ごめんなさい! 殺さないでください!」
命乞いをするエルズをみて、善大王は悲しそうな顔をしただけで、手を上げたりはしなかった。
「誰から命令された」
「それは……」
善大王が沈黙して見せると、エルズは焦ったように言葉を探す。
「組織の主から……」
「組織とは、なんだ」
「非公式の、組織……」
「嘘をつくな、気づいている……お前が嘘をついていることに」
少女の心を読める、という善大王の言葉を思い出し、エルズは思考が完全に停止した。
そんな彼女を見て、善大王は呆れたような態度を取る。
「夢幻王から命令された、か。再確認する、お前はそいつにまだ尽くすつもりか?」
「それは、それは……」
「はぁ……好きにしろ」
「え」
「俺はアイの父として意見している。アイが何をしようとも、俺は止めない。このまま組織に尽くすことも、人を殺すことも、悪事を働くことも止めない」
善の王らしからぬ発言に、フィアも驚いたような顔をした。
「何故、善大王がそれを許すの」
「俺は善大王として言っているんじゃない。父親として言っているんだ。親としては、自分の娘がやりたいことを応援してやるのが筋だと思っている──が、俺は応援はしない。だが、否定もしない。自分で選んで、自分で決めろ」
そこで一度言葉を切り、善大王は続ける。「だが、少なくとも生き残ることを最優先にしろ。それだけは強制する」
「エルズを……逃がしてくれるの?」
「ああ、勝手にしろ」
ありえない対応に驚き、どうしていいか分からなくなっていたエルズ。そんな彼女に寄り添い、フィアは耳元で囁く。
「ライトは父親なのよ。口下手に聞こえるけど、きっとアイのことを想っているわ。私としてはずっと一緒にいてほしいけど、アイにやりたいことがあるなら、ライトみたいに止めないわ」
世間的に、甘ちゃんと言われてもおかしくない二人。ただ、二人は紛れもない親なのだ。
あれだけのことをされながらも、エルズを子供として考え、子供として扱って処遇を決めている。
ここにきて、エルズは本当に自分が子供として扱われていることに気づいた。
演技などではなく、本心からそう考えている、と。そして、本心から愛してもらえていることも理解した。
「パパ……ママ」
「残っていたいなら、そういってくれ。その時は、俺が──いや、俺とフィアがエルズを守る。だが、戦いたいなら俺達は止めない。助けてと言われれば、その時は助ける」
「……エルズ、戦うよ」
それを聞いた時、善大王は口許を緩めた。
「だろうと思ったよ。ほら、じゃあ行った行った」
手で払うような所作をしてみせると、エルズは二人に頭を下げてから、その場を立ち去って行った。
空には太陽が昇り、世界に光が満ちている。それがエルズの未来を示しているのであれば、尚によいことなのだと、と善大王は考えていた。
そうして、エルズの姿が見えなくなった頃、善大王とフィアも家に戻っていく。
善大王は全てを終えたとばかりに、書斎の整理から始めた。フィアもまた、キッチン周りの清掃を済ませる。
この家の役割はもう終わった。しかし、ここに一生戻らないというわけではない。
またいつか、エルズが戻ってきた時にでも使おうと、二人は考えていた。
掃除を終えたフィアは書斎へと入った。
「ライト、終わったわ」
「おう、俺も終わるところだ」
事前にシナヴァリアへと伝言を送り、近日中に戻ることを伝えたので、追加の書類がこの家に送られることはない。
ただ、ここに残った分は確実に処理してから帰らなければならなかった。幸い、大きなバッグに収まりきるだけの量だったので、持ち帰りで済みそうだが。
「ねぇライト」
「なんだ」
「ライトは、はじめからこうなることが分かってたの?」
「ああ」
片付けを続けながら、善大王は適当に答える。
「ねぇ、ちゃんと話を聞かせてよ」
「……分かった。じゃあどっかに腰を掛けてくれ」
言われたとおり、近くに置かれていた丸椅子に座ると、善大王が答えるのを待った。
書類をバッグに詰め終わった時点で、皮椅子に座りこみ、善大王は静かに語り始める。
「エルズは《選ばれし三柱》、だろ?」
「ええ、最後に分かったわ。でも、なんでライトは分かったの?」
「……あいつは、ムーアという男に似ていたんだよ。そいつは《邪魂面》という神器を持った、《選ばれし三柱》だった」
あの容姿の時点で、善大王は気づいていたのだ。
そして、暮らしていく間に彼女の体を観察し、遺伝子的にも一致することが判断できた。その時点で、エルズが自分を暗殺しようとしているという確信に至る。
「フィアから聞いた、神器ホルダーの移動で、ピンと来たんだ」
「……じゃあ、ムーアさんは」
「ああ、かつて世話になった礼を返そうと、極秘裏に闇の国の情報を調べたが──既に、死亡していることになっていた」
机の上に置かれた《自由の翼レイヴン》を一瞥した後、善大王は小さな声で言った。
「死人に礼はできない。俺にできたのは、あいつの娘に愛情と、生きていくだけの覚悟を教えてやることだけだった」
「……そう、ね」
「フィア、悪かった。いくらエルズの本心を探る為とはいえ、あのような態度を取ったこと……それを、事前に教えなかったことも」
素直に頭を下げる善大王を見て、フィアは茶化すこともなく、笑みを浮かべる。
「いいよ。ライトが私を信じてくれた、だからあんなことやったんでしょ? なら信じてくれたことで帳消しにしてあげる」
「……ありがとう」
「いまさら、そんなこという関係?」
「はは、そうだな」
フィアは席を立つと、善大王の腕に抱きついた。愛らしく、それであって母親のような母性を持って。
「それに、あんなに可愛い子供ができたんだから……文句なんて、ないよね」
「ああ、本当にそうだな」
二人は顔を見合わせて、大笑いした。




