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「エルズ、どうしたんだ?」
「……パパ、ママが!」
善大王は焦った様子で近付いてくると、フィアの様態をすばやく確認した。
「(瀕死の重傷……早く手当てをしないと、間違いなく死ぬ)」
《魔導式》を展開しながら、善大王は傷口の止血などの応急処置を開始する。
「パパ、ママは助かるの?」
「分からない……だが、やれるところまではやる」
眠っている時とは違い、完全な隙ではなかった。しかし、今の善大王は二つの作業を同時並行的に行い、他所に注意を向けられる状態ではない。
今にも消滅しそうな藍色の刃を拾い上げると、エルズは黙ったまま善大王の脊椎に突き刺そうとした。
「なぁエルズ。これ、誰がやったんだ?」
振り向かない。気づいていないと思えるだけに、エルズはそのまま突き刺すこともできた。
しかし……。
「さぁ」
「俺、かもしれないな」
「どういうこと──なの?」
咄嗟に子供の言葉に言いなおすが、善大王は何も反応を示さない。
「俺がフィアに辛く当たったのが、悪かったのかもしれないな」
「……うん、パパはひどかったよ。パパのせいで、ママはずっと泣いてたから」
「ああ、知っている」
「なら、なんであんなことしたの! パパ最低だよ」
「それも、知っているさ」
「パパがママを殺したんだ!」
そう言われ、嘲るように善大王は笑った。
「なら、エルズが俺を殺すか?」
「……ッ」
エルズは善大王の唐突な発言により、自分がエルズと呼ばれたことには気づけなかった。
殺す、殺せる、そう判断した途端に彼女の脳には無数の感覚が通り過ぎる。
自分のターゲットであり、フィアを痛めつけた存在。殺すことに、何の躊躇もない、と。
「なんで、そんなこと言うの?」
「殺したいんだろ? 俺を──そんなことは誕生日の時から気づいている。だが、俺を殺すなら何故殺したいかを言え」
誕生日、それはエルズが記憶を取り戻した日。初めて、善大王を殺そうとした日。
ただ寝ていただけにもかかわらず、善大王はそれに気づいていた、とエルズは考える。
事実、フィアが気づいたのは今日。それまではそうした素振りを一切見せず、敵対者として扱うようなことをしていなかったので事実だ。
だとすれば、善大王は途轍もない食わせ者である。
「……見逃していたのはどうして?」大人な口調に切り替えた。
「俺の質問が先だ」
「あなたが答えたら、こちらも答える」
しばしの沈黙の後、善大王が口火を切る。
「お前がどういう人間かを調べたかったから、だ。さぁ、お前の番だ」
「……エルズは、主の命令としてあなたを殺す」
「そうか。残念だよ……それなら、殺されるわけには行かないな」
エルズは口許を緩ませ、《魔導式》を起動した。
「あなたもそこの女も、両方とも大甘ね。警戒していれば、気づけたであろう術を見逃すなんて」
「子供のことを分からない親がいるか?」
地面から無数の針が伸びるが、善大王はそれを軽く回避してみせる。運動能力において、フィアと彼とでは桁が違う。
全て回避し終え、術が終了すると同時に善大王は静かに告げた。
「俺だけじゃない。フィアも気づいていただろうな……その上で──エルズの罠にはまりながらも、勝利することで実力を示そうとしたんだろうな。恐れて逃げてくれれば万々歳、か」
「なんのこと」
「フィアとエルズの戦いだ。見てはいないが、エルズの考えていることから、おおよその状況はつかめた」
思考の中にさえ存在していれば、記憶ですら探ることができる。幸い、エルズは精神干渉系使いであるからして、記憶の内容も明瞭だ。
「戯言ばっかり言って」
「なら、どうしてフィアは一度もエルズに攻撃を命中させなかった? 途中から使わなくなった? 針を後退することで避けなかった? 何故、最後の一撃でトドメを刺さなかった?」
無数の質問、一度に何度も言うのは常識のない行動だが、今回に限ってはそうではない。
全ての問いの答え、それが一つの答えに繋がっている。
「くだらない妄想ね」
「じゃあ、俺もゲームを──遊びをしよう。どうせエルズのことだ、素人じゃないんだろう? なら俺が完膚なきまでに叩きのめしても、納得なんかするはずないな」
「なんのつもりよ……」
「俺はエルズに攻撃をしない。ただ、全ての術を回避する。成功した暁には、おとなしく負けを認めろ」
エルズは笑った。それは純粋な笑いでも、苦笑でもない。
ただの、滑稽なものをみるような笑い。道化の演技に示すような、馬鹿にする笑いだ。
「そんなことができると思うの? あの天の巫女でさえ、エルズの攻撃を回避できなかった。全部防御したのよ?」
「ああ、そうだろうな。フィアはひきこもりで運動不足だからな……治った時には運動もさせておくよ」
「冗談のつもり? それとも、エルズの油断を誘う作戦?」
「エルズみたいな子供相手に作戦なんかいるかよ」
疑惑の目を向けながらも、エルズは《魔導式》を展開していく。当然、魔力の察知も欠かさずに。
その際に善大王は一切妨害しない。ただ見ているだけ、ただ、観察しているだけだ。
「さすがはエルズ。術の構築は合格点よりも遥か上だ……本当に、いい師匠がいたんだな」
「あなたに何が分かるのよ」
「なんでも分かるさ、幼女のことなら」
エルズは事前調査で善大王が少女愛好家であることを知っている為、驚いたり気色悪がったりはしない。
実際、彼女もその性癖を利用し、自身の記憶を消してから接触したのだから。
「さて、お話もこれくらいだ。さっさと使ってくれ、四十五番」
「《闇ノ四十五番・死弾》……ッ」
詠唱の僅か手前に善大王は順列を言い当てる。
藍色の銃弾が放たれるが、宣言どおりに善大王は軽く回避して見せた。それも、紙一重で。
「知っているかもしれないが、俺は全ての術の、全ての《魔導式》を完全に暗記している。どの術を使っても違えはしないさ」
「(嘘、というわけではなさそうね。だとすれば……本当に厄介)」
完全に阿呆だと判断していた善大王がこの実力。これでは、先ほどと何も変わってはいない。
ただ、エルズはそう考えていない。
フィアの方が遥かに強かった。こんな男よりも、遥かに……と。
母親の役者となっているだけに過ぎないフィアに対し、彼女は無意識的に好意を抱いていたのだ。そして、父親役の善大王には明確な怒りを示している。
「命乞いをしたら助けてくれるの?」
「命乞いなんていらないさ。ただ、家族に戻ってくれればいい。フィアもそれを望んでいる」
「そして、また天の巫女をいびるつもり?」
「いや、もうその必要はないさ。さ、どうする?」
長考してみせ、エルズは地面に這わせた《魔導式》を高速で構築していった。
不意打ちの一発ならば、善大王に届くかもしれない。そもそも、《魔導式》が確認できなければ暗記の意味もないのだ。
「記憶を取り戻したのが今のエルズ。アイなんていうのはただの偽りでしかなかったのよ」
「俺は偽りでも構わなかった。それはフィアも……そして、俺はエルズでも娘として迎え入れたいと思っている。これもまた、フィアも思っていたことだ。じゃなきゃ、命を張らなかっただろうしな」
「もう潮時ね」
「ああ、闇ノ四十番・栓抜程度の速度なら余裕で見切れる」
「ッ……」
善大王は全て見切っていた。何故、エルズが自分の話に乗ったのか、どういう手で勝利を狙ってくるのか、それらも全て承知の上。
少女の思考が読める時点で、《魔導式》の識別など必要ない。ただ、何の術を使うか、それを覗き見ればいいだけのこと。
だからといって、それに過信しているわけではない。放たれる魔力の量から、それが正しい情報かも調べている。まさに、完全な包囲網。
「見られてバレるなら見せなきゃいい、それは少し頭の悪い考えだな。それに、隠されただけで判断できないくらいじゃ、自慢にならんよ」
「精神干渉系でも使っているの? 光属性使いがどういうトリックでやっているかはわからないけど」
「敵に答える義理はないさ。ただ、俺は幼女には優しい、教えてやるよ。俺の能力は術由来ではない、俺自身がその認識能力を持っている……さ、幻術かけるなりしなきゃ何も当たらないぜ?」
光属性使いからすれば、相手が使ってくると分かっていれば防ぐ手段はいくつもある。つまりは、それは効果がないという意味だろう。
術は当たらない、洗脳もできない、この時点でエルズは詰んでいる。
「なんで……なんなのよ! どうしてあなた達は、それだけ絶対の力を持ちながらも、エルズを殺さないのよ!」
「何度も言っているだろ、エルズは俺達の娘なんだ。殺せるはずがないだろ」
「偽善はやめて! エルズは家族なんていらない! お母さんもお父さんも、みんなエルズを置いていった! だから、だからエルズは一人で生きていたのよ」
「ああ、なんとなくだが分かる。全部を見知っているわけではないから、知ったかぶりをするつもりはないが」
この言葉に偽りはない。善大王の頭には、エルズの思考しか読み取られた情報しかないのだ。
それでは、当然ながら過去の全てを知るには至らない。それでも、まったく知らないと言うわけではない。複雑な立ち位置ではあった。
「小競り合いをいくらやっても意味がないな。さ、使ってこいよ──最上級術」




