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窓を叩きつける雨音を聞きながら、フィアは安堵したようにため息をついた。
襲撃者を追跡するにしても、善大王の身の安全を最優先にしなければならない。少なくとも、フィアが展開したそれは城壁防衛級の《魔技》だ。
不意に、アイの姿が見あたらないことに気づき、フィアは最悪の状況を予測する。
「(まさか……アイから記憶を奪った人が?)」
善大王とフィアは一度、どうしてエルズが記憶を失ったのかを話し合ったことがあった。
その時、二人にとって重要だったのは一つの単語だった。紛れもない、アイが口にした言葉だ。
『パパ、ふのじゅつって知ってる?』
『いや、知らないが』
最初は理解に至らなかった善大王も、フィアとの会話でこれの意味に気づかされる。
『なぁフィア、どうしてアイの記憶がなくなったと思う?』
『ショックとかじゃない?』
『あの子が一度だけ言っていたんだ。ふのじゅつ……という言葉を。これは、《皇の力》と関係があるんじゃないか?』
善大王は負の力を打ち消すという、《皇の力》のことを覚えていた。だからこそ、負の術という技術が存在している可能性を危惧する。
ただ、フィアの回答は簡単だった。
『そんなものが開発された記録は、まだこの世界に存在していないわ。少なくとも、この時代、今いるこの世界では』
未来と過去、かつ他の平行世界は別とし、この世界ではその概念が生まれていないことをフィアは示唆する。
《天の星》が取得できる《世界の情報》は本来口外すべきではないが、これについてはさほど問題ではなかった。
『……だが、もしもこの世界で生まれようとしているなら、それを知っているアイが厄介がられてもおかしくはないな』
アイの記憶が消され、善大王の命が狙われ、そしてアイが攫われた。ともなれば、その答えは一つに絞られる。
負の術を隠蔽する者による計画。その者はなにかしらの方法で善大王が情報を手に入れたことを知り、潰しに来たに違いない。
分かったからには黙っていられずか、フィアはすぐさま家の外へと飛び出した。
意気揚々と挑みかけた時、家の目の前で倒れ込んでいるアイの姿が視界に飛び込む。
「アイ!?」
返事はなく、アイの様子はひどく衰弱しているように見えた。
フィアはすぐにアイを抱え上げ、使用していなかった子供用ベッドを急いでキッチンまで運び、そこに寝かせた。
能力使用の負荷が表在化し始めてきたとはいえ、取っておきたいとっておきの出番は、まさに今。
目を閉じ、瞬間的に世界へと繋がり、フィアは真実へと到達した。
「(急性水霊疾患……早く手を打たないと、アイは死ぬ……)」
急性水霊疾患。それは水霊、つまりは水属性のマナを浴びすぎることによって発症する病だ。
かつて、天属性のマナが満ちる天の聖域に踏み込んだ善大王がそうなったように、マナを多量に浴びると、その属性の性質が症状として現れてしまう。
この水属性で言えば、異常なまでの正常化。正常とは世界に近付くことであり、世界に溶け込みやすくする為、生命力が著しく低下するのだ。
火では発熱などによる各種症状の発生。
風では肉体の硬化による血流機能の低下。
雷では創傷などの発生、外内ともに負傷してしまう。
光では過剰な強化による肉体の急速な老化。
闇では幻覚や精神錯乱……など、どれも過剰に浴びてしまうと悪い結果をもたらすのだ。
属性を司る《星》に関しては、それらが強力な聖域に居ながらも影響はほとんどない。
閑話休題、今この状況で最も大事なのは、この病の対応は急を要する、ということ。
「(水属性のマナを取り除き、肉体の環境も再調整。減ったソウルの供給も……)」
光属性使いであり、医療に造詣が深い善大王が居れば簡単なのだが、彼に事情を説明する時間すら惜しかった。
《魔導式》を幾重にも展開し、平行してタオルなどによる肉体管理などを行っていく。
その処置は、夜を跨いで行われた。
そして、次の朝……。
「肉体の正常化を確認……はぁあああ終わったぁあ」
ぐったりとした様子でフィアはアイのベッドに突っ伏し、すぐに起きあがってから愛しい娘の顔を撫でた。
「アイ」
声に応えるわけもなく、アイはぐっすりと眠っている。
追跡者はいまや遠き彼方へと行ってしまったに違いない、と油断と安心を混じらせながら、フィアは小さなベッドへと入った。
目覚めた時、アイが心配しないように、と。




