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善大王は裕福な家庭に育った。彼からすればそれが普通の家族、十分に満たされ、かつ不足もなく生きていく生活。
フィアの場合、王女として生まれた。数々の過去を背負いながらも、彼女は幽閉生活を余儀なくされている。彼女の場合、ギクシャクした父との関係が普通の家族。
ただ、フィアはそれを普通の家族とは認識していない。家族の関係の一つ、という程度の見解だ。
少なくとも、フィアが理解の足りないことは善大王も知るところ。ということで、善大王主導の元、飽くまでも一般的な方向の普通の家族を演じることとなった。
「とりあえず手配はできた」
「え、まさか本当に用意したの?」
「ああ。善は急げだ」
宿屋の一室にて、フィアは唖然としていた。
前日、善大王はフィアに一つの提案をした。むしろ、彼の言葉、前提を考えるならば当然の提案だ。
それはつまり、家を購入するということ。
足の軽さを考えれば宿を移動するほうがまだマシなのだが、とてもではないが、そのようなものを普通の家族とは言わない。
さらに付随すれば、一戸建ての家とはいえ、町から離れている為に値段も高くはない。数ヶ月単位で滞在するならば、十分元が取れる計算だ。
ただ、それを一両日中に終えてしまうのが彼のすごいところ。手際も良さもそうだが、行動力が尋常ではない──ひとえに、少女の為か。
「ふわぁあっ……おはよぉ」
寝ぼけ顔で起きてきたのは、新しい家族──臨時ではあるが──のアイだ。服装もこれまた一日でそれなりのものを揃え、様になっている。
白いワンピース。シンプルながらも、少女性と清楚さを際立たせるコーディネートだ。
ただ、この服を購入したのは善大王ではなく、フィア。そう、前日の時点で善大王とフィアは服屋を訪れているのだ。
目的はただ一つ、普通の家族というものになりきる為の準備。
「あれ? パパとママ、なんかお洋服変わっているね」
「ああ、そうだな」
「ええ、いいでしょ?」
二人の服は、まさに地味そのもの。茶や綿色の──所謂、村人が使うような服を着ているのだ。
お世辞にも、元の二人の着ている服が普通の家族とは相容れているとは思えない。そう考えると、これは正しい判断かもしれない。
「なんかいいね! でも、リボンはそのままなの?」
「ええ、これは……まぁ、うん。そうよ」
空色のリボンのせいで、どうにもフィアの子供っぽさは抜けていない。ただ、彼女としても善大王の心を繋ぎとめておく為に、譲れないところだったのだろう。
さてはて、格好こそは村人だが、残念ながら二人の容姿は凄まじく優れている。
フィアは王族の気品が隠しきれておらず、善大王も他を圧倒する容姿端麗さをあふれんばかりに表現してしまっていた。
幸い、アイも高貴な外見をしている為に浮いてはいない。
「フィア、そろそろ出るぞ」
「あっ、ちょっと待ってて。料理作ってくるから」
「なに……厨房はどうするんだ?」
「大丈夫。昨日の内に予約しておいたから」
ミネアとの修行でこうした交渉術──というよりも対人コミュニケーション能力──を少しは上げたらしく、こうした準備も周到に済ませてある。
「食材も頼んでいるから、すぐに作ってくるわ」
「おう、じゃあ頼んだ。俺はもうハラがペコペコで……なぁ、アイ」
「ぺこぺこのぺー。ごはんたべたあい」
「はいはい、少しだけ待っていてね」
そうして厨房に降りていってから、善大王は改めてアイの顔を見た。
「なぁ、アイ」
「ん? どうしたの、パパ」
「いやな、アイはママのことをどう思う? なんか、小さいだろ?」
善大王は少女の心が読めるので、答えは聞くまでもない。ただ、今に限ってはできるだけ先読みしないようにし、彼女の言葉からの回答を待った。
「んとね、ママはちっちゃくて可愛いとおもうよ!」
「う……それ、いいのか? 普通はもっと大きいと思うが」
「可愛いからいいの! パパはママきらい?」
「好きだよ」
そう答えると、アイは笑みを浮かべて善大王に抱きついた。
「アイはパパのことすきー! だーいっすき!」
人懐っこいアイの直情的な態度に、善大王は優しい表情で笑みを浮かべる。いつもの彼とは違う──異性としての愛情ではなく、父親としての愛情。父性に因する表情だ。
「そう、か。うれしいよ」
「うんっ!」
しばらくすると、フィアがかなりふらつきながら料理を運んできた。子供が三人分の食事を運んでいるのだから、心配を煽る様になるのも当然。
ただ、善大王は深く気にしない。彼女の動作であれば、間違いなくこぼれたりしない、そう判断できたからだ。
フィアはミネアとの修行で、明らかに料理に不必要そうな修行を終えてきている。数人分の食事を運びながらとはいえ、きちんとした地面があるからには──修行時代は綱渡りしながらでも運べていた──ミスはないのだ。
「はい、朝ごはんだよ」
「おお、うまそうだな」
「わああ! すごおい!」
二人は上機嫌になり、フィアも自慢げに胸──皆無に近いが──を張る。
豚肉とキャベツの野菜炒め。細切り人参や薄切りのたまねぎがエッセンスとして入っている。
白身魚のスープ。コンソメベースのスープに、一口サイズのさらに四分の一ほどに切られた白身魚が入れられているだけ。
ただ、事前に焼いた魚を入れている為、短時間だがしっとりとパリパリとした触感を維持できている。
付け合わせのレタスサラダ。茹でたトウモロコシとプチトマトで彩りも上々。
これをさほど遅い感じない──量を見てから判断すると、かなり早い──速度で提供している辺り、フィアの調理技術の上達が伺える。
「あの短時間で良く魚を焼けたな」
「焦がさない程度に術を浴びせたのよ。そういう制御は得意だから」
朝食時の時間節約の為ならば、できる工夫を施しておけ。ミネアからの助言を忘れず、こうした料理とは思えない工程も含まれている。
「さ、どうぞ」
「いただきます」
「いただきまーす!」
フィアは二人に続いて小さく「いただきます」と言い、三人はほとんど同時に手を付けた。
「さすがはフィア。上等だ」
「ママすごーい! おいしい!」
「えっへん! ま、こんなものよ」
ひたすら天狗になっていくフィアを見兼ね、善大王は意地悪にも指摘点を見つけようとする。
ただ、それは姑じみた過剰な観察を必要とせず、見て──食べて明らかに感じる違和感だ。
「(炭水化物が足りないな……ここはパンか麦がほしいところだが)」
しかし、そこは善大王。指摘点に気づいてすぐ、その答えを発見した。
「(サラダの中にクルトンを入れていたのか。なるほど、少し不足気味ではあるが、とりあえずは揃えていたわけだな)」
クルトンとはサイコロ状に切ったパンを焼き、揚げるなどの手順を踏み、味付けが施された品だ。サラダに使われることも多い為、相性に関しては問題なし。
素直に成長するフィアを喜びながら、善大王はどこか寂しさを感じていた。
それから少しして、食事を平らげた三人は早速新居へと移ることになる。
新しい場所に行く不安はあるのか、アイは少しばかり嫌がった。
そこは善大王、少女の相手は手馴れたもので、如何に新天地が素晴らしきかを子供でも分かるように説明してみせる。
こればかりは経験と才覚の勝利。齢六歳程度のアイはあっさり丸め込まれ、忌避感などどこ吹く風か、あっさりと楽しさに転化させて善大王の手を握った。
娘の小さな手を優しく握る善大王。嬉しそうな顔をするアイ。そのアイに嫉妬するフィア。
誰がどう見ても、これは家族ではない何かだった──いや、歪んではいるが、家族に見えなくもない、か。




