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「おーきーてー」
「…………」
「もう起きてるでしょ?」
「………………ん? フィアか」
善大王は目を擦ると辺りを確認した。どうやら、今自分がどこに居るのかが気になったのだろう。
「ビーチベッド……なるほど」
体に痛みが残っていないことに違和感を覚えながら、善大王は一気に起き上がった。
「大丈夫?」
「あぁ、どうにかな」
「ふー……ライトが砂漠で倒れたって聞いた時はびっくりしたよ。熱に当てられてカラカラだったんだよ」
「(カラカラ? 砂漠で倒れて?)」
善大王は咄嗟にヴェルギンが居ないのではないかと危惧し、再度周囲を見回すと、ミネアの横にて何事もなかったかのように立っていた。
ヴェルギンは善大王がと目が合ったと気付くと、アイコンタクトを送ってくる。おそらく二人には嘘を言って誤魔化したとでも言いたいのだろう。
「(世話を掛けたな)」
善大王は返事のようにアイコンタクトをすると、ベッドから降りた。
「よっし、まだ遊ぶ時間はあるな」
早速万全であることを示すとばかりに、素早い動きでミネアの横を通りすぎ、彼女の肩を数回叩く。
「ミネアも遊ばないか?」
「嫌よ。またあんなことになったら面倒だから」
「その時はまた俺が助けてやるから、な?」
「(前会ったときから思っていたけど、変な奴……《皇の力》を使わずに私を倒した、人間でありながら強い男……そして今は──)」
差し出された手を前に、ミネアの心は揺らいでいた。善大王なら自分を助けてくれるかもしれない、そんな気持ちがほんの僅かだが生まれていたのだ。
「…………じゃあ、ちょっとだけなら」
ミネアは善大王の手へと自分の手を伸ばしていった。少し残る恥ずかしさが手の動きを押さえながら、それでも少しずつ彼の手を握ろうとする。
そして、彼女の指先が善大王の手に触れた瞬間。
「こっちの手は私のだから!」
フィアがミネアの手を押しのけて善大王の右手を握る。我儘な行為、だがそれによってミネアの緊張や躊躇いは吹き飛んだ。
ミネアは素早く善大王の左手を握ると、恥ずかしそうに頬を赤く染める。と、その時。
「……なんか持ってない?」
「持ってないぞ」
「じゃあ私が今触っているのは?」
ミネアの指は確かにそれと接触していた。善大王の手に握られていた小さめの布地、具体的に言えば水着。
そして彼女は気付いた。胸に妙な解放感があることを、そしてそれまで着ていたはずの水着がなくなっていたことに。
水着がないことで恥ずかしくなったミネアは両手で胸を隠すと、顔を真っ赤にして怒りだす。
「か、返しなさいよ!」
「やーだぷー」
善大王はそう言うとフィアの手を離し、ミネアの水着を手に持ったまま海に向かって走っていった。
「ちょっと待ちなさいよ!」
自分の進路を確認せず、後ろ歩きする善大王に腹を立てたミネアは水着を取り返す為、片手で胸を隠しながら全力疾走を開始する。
「…………え?」
ほったらかしにされたフィアは口を開けて呆然と立ちすくんでいた。
「こっの、返しなさいよ!」
癖というべきなのだろうか、ミネアは《魔導式》を展開しながら善大王から水着を奪おうとしていた。
普通の人間を相手にすれば、非常に危険な行為としか言いようがないのだが、感情が昂ぶっている時には未だに力の使用を優先してしまうらしい。
「返してほしけりゃこっちまで来いってのー」
善大王の足は海に浸かっていた。つまり彼が今居る場所は海、ミネアが入ることができない場所、彼女に対しては逃げ切りとして扱ってもいい場所である。
「くぅ……あ、あたしが入れないと思っていい気になって!」
意を決したミネアは善大王に対する怒りで海への恐怖を上書きし、石のように重い足を動かした
「ひぐっ……」
足先を海に付けただけでミネアは声を上げた。本能に刻まれてしまった恐怖というものを、その人間が随意的に外すことなど出来るはずもない。今更ながら当たり前すぎることだ。
「へーい返して欲しけりゃこっちまで来てみろって」
「い、い、い、い……行って……やる……から」
彼女の声は震えていた。声だけではない、その体、足先から頭頂までの全てが震えている。そのせいか、常より気が弱くなっているようにも感じられた。
「怖くていつものように怒れないかー?」
足が鉛になったかの如く、鈍い動きで一歩ずつ進む度、ミネアの口数は減っていく。
「(……そろそろ余裕はなくなったか。遊ぶにしてもここまでだな)」
善大王はミネアが止まった場所へと向かった。
彼としては、ミネアが海に入れるようになれば──海への恐怖を断ち切れるようになれれば、と思いこのようなことをしていたのだが、危険な状態で無理にやらせるような鬼の指導をする人間ではない。
「怖かったか? ……ごめんな」
完全に固まっているミネアに水着を着せると、彼女を背負い、浜辺へと戻っていった。
「ライト! ミネアは海が苦手なのにあんなことさせるなんて意地悪だよ!」
「フィアの言うとおりだな。ミネア、ごめんな」
「……二度は言わなくていいわ」
「…………ははは、そうか。わかった」
ミネアと善大王のやり取りの意味が分からず、フィアはアホ毛でクエスチョンマークを表すと、首を傾げていた。
「そういえばミネアには聞きたいことがあったんだが」
「何?」
「なぜコアルが先に生まれたはずなのにお前が星になれたんだ? 先着とかじゃないのか?」
「……それは」
ミネアは一度フィアの顔を確認すると、そのまま続ける。
「姉様が生まれた時には鴉が啼かなくて、あたしが生まれた時に啼いたから……と父様から聞いたわ」
「鴉……か、そういえばヴェルギンも前に言っていたな。俺が捕まっている間に鴉が入って来たとかなんとかって。火の国だと吉報を知らせる動物なのか?」
「そう言うわけじゃなくて……」
言い淀んでいたミネアの代行という形で、フィアが口を挟んできた。
「私知ってる! 私知ってるよ!」
「じゃあフィアお願い、私はそろそろ帰るわ」
ミネアは抑圧から解放されたとばかりに伸びをすると、その場から立ち去ろうとする。
「善大王、泳ぎを教えようとしてくれてありがとう。じゃあね」
ミネアは気付いていたのだ。善大王が自分に泳ぎを教える為、態々憤らせて海に向かわせたことに。
そしてそんなやり方を得意としている者の傍に居たからこそ、その行動に素直な気持ちで感謝することが出来たのだ。
善大王は驚いたような顔をしていたのだが、鼻で笑うと背を向けている彼女に手を振った。
「おう、また気が向いたら教えに行ってやるよ。泳げるようになるまでは俺が助けてやるからな」
「フ……いらないお世話よっ!」
ミネアは背を向けたまま走り去る。善大王だけは気付いていた。彼女は顔を見せなかったが、笑っていたことを。
三人のやり取りを遠くから眺めていたヴェルギンはミネアが去ったことを確認すると、善大王に近づいた。
「善大王には借りができてしまったのぉ」
「借りなんてもん気にしなくていい。俺はただ、そうすべきと思ったからやっただけだ」
「ハッハッハ、やはりお前は変わっておるのぉ。いや、善大王なのであればそれらしいとも言えるがなぁ」
「ははは、そうか? っとそれはそうと……今日まで世話になった。ちょっと早いが光の国に帰らせてもらう。じゃないとうちの国の宰相が怒るからな」
割と冗談でもない冗談を含ませ、笑いながら言った善大王に対し、ヴェルギンもまた笑いながらも別れとは違う言葉を彼に返した。
「そうか、またいつでも来るといい」
「おう、じゃあな」
善大王はフィアの手を握ると、火の国の方面に向かって歩きだす。
手を引かれて歩いていたフィアはヴェルギンとの別れを告げる為か、善大王に手を離してもらうと、その場で振り返った。
「その、ヴェルギンさんありがとうございました」
フィアは深く頭を降ろしてお辞儀をすると、急いで善大王の手を握り直す。
「ハッハ、オヌシもまた来るといい。その時は客として泊めてやるからのぉ」
そうして、二人の火の国での休暇は終了した。
善大王としては良い羽休めに、フィアとしては自分の不得意だった家事全般を取得して善大王の嫁になる道へ一歩前進、と二人ともこの長い休暇は有意義なものとなった。




