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大空のフィア  作者: マッチポンプ
中編 少女と皇と超越者
179/1603

23

「ふぁああ……そろそろ出ないとな」


 善大王は大欠伸をすると、宿の窓から外の様子を見た。

 日が昇ってからしばらくした朝。昼までには少々時間があるが、欠伸をするには遅い時間である。


「(それにしても一カ月も休んで本当に良かったのか……俺にはやらなければいけないことがあるんじゃないのか)」


 らしくもなく深刻そうな顔になった善大王は、今更としかいえない程の時期に後悔していた。

 早めに帰っていれば、善大王としての仕事を進めることが出来ていたはず。そうすれば、もっと多くの人を助けられていたかもしれない。そんなことを考えていたのだ。


「らしくもないことを考えちまったな。今日は存分に楽しむか……」


 急に内から湧き上がってきた正義感に違和感を覚え、自分の顔を少し叩いて眠気を払うと、すぐさま出発の準備を始めた。


 ──同日の昼前。


「おー中々可愛いじゃないか」


 善大王は海に到着する。そして、長い道のりを歩いてきた彼を待っていたのは、水着姿のフィアとミネアだった。


「そう……かな? でもこれ下着みたいだから少し恥ずかしいよ……」


 恥じらいを含んだフィアの仕草を見た直後、善大王は鼻の下を伸ばした、間の抜けた顔をする。


「間抜けな顔」

「ミネアも可愛いぞ?」


 善大王の何気ない一言で、ミネアは顔を真っ赤にした。もちろん恥ずかしかったわけではなく、単純に怒っていただけなのだが。


「善大王、そう言うのはフィアだけに言うようにしなさい!」


 恥ずかしそうに胸を隠しながら、何かを呟いているフィアを見ると、ミネアの方に一歩近づいた。


「どうして?」

「どうしてって……う、浮気はよくないからよ!」


 馬鹿正直で真面目なミネアを愛らしく思ったのか、人差し指で彼女の額を突く。


「ミネアって意外とピュアな子なんだな」

「だから……そういうことはフィアだけにしておいてって言っているの!」


 彼女の怒りとして《魔導式》が展開されていく。そんな最中、フィアはといえば善大王に褒められたのが嬉しかったのか、顔を隠して恥ずかしがっていた。


「謝るの!」

「誰に?」

「えー……っと」

「ミネアに?」

「ぐぅ……」


 謝れとは言ったものの、実際誰に謝らせるべきかを全く考えておらず、ただ唸ることしか出来なかった。

 自分に謝らせても特に意味がないことは分かっていたのだろう。


「謝る相手が分からないんじゃ、謝れないよな?」


 ミネアが何も言えないことを分かっていてもなお、意地悪として彼女にそんなことを言った。


「フ、フィアよ! フィアに謝りなさい!」

「やだ」


 即答した瞬間、展開されていた《魔導式》は起動し、巨大な火の玉が善大王目掛けて放たれた。


「ろっと……」


 しかし、ミネアの使う術も術の軌道も、全てを事前に読んでいた善大王にはあっさり回避される。


「そうやって回避するの止めなさいよ」

「だって当たったら危ないだろ」


 彼の場合は平気で避けているので何も起きていないのだが、《火の星》としての力を持つミネアの攻撃を人間が受けてしまえばただでは済まない。

 それこそ、下手を打たずとも殺すだけの力があるのだ。


「フィアがアンタの為にどれだけ頑張ったかを知らな──」


 瞬間、ミネアの脳裏にフィアの努力が蘇り、そして彼女が今日の今日まで料理修行を隠していたことを思い出す。


「ン? フィアがどうしたって?」

「なんでもない」


 ミネアは不満なまま彼の傍から離れた。これ以上の踏み込みはフィアの為にならないと考えてのことなのだろう。


「そろそろいいかの?」


 話が終わったことを確認したヴェルギンが、ミネアと入れ替わるように善大王に近づいてきた。


「いやぁ、うちのフィアが世話になって……」

「緊しなくていい。それにしても、火の国はどうじゃ?」

「暑いことを除けば良い国かと」

「ハッハッハ、言ってくれるのぉ。まぁワシも暑いのが嫌なんじゃがな」


 世間話を始めた二人の声を聞き、やっとフィアは我を取り戻した。

 

「(ライト……もっと褒めてくれてもいいのになぁ)」


 自分の平面な胸──善大王はむしろそれを好んでいるのだが──横を見て気を落としたフィアは、二人の長話が終わるまでの暇つぶしとして海に入っていく。

 なんだかんだ始めての海なのだが、それでも押し寄せる波などに興味が湧いたのだろう。なんというべきか、見た目通りの子供だ。


「フィアはそちらで迷惑をかけていないかが心配で」

「何、頑張っておるようじゃぞ」

「ふーむ、それなら改まる必要もないな」

「善大王殿は彼女が何かすると思っていた様じゃな」

「あぁ、あいつは俺と一緒に居てもう一年くらいだ。必要最低限の常識は教えているが、さすがに幼少期のほとんどを城の中で過ごしたとあってはな……だが、無事にやっているようであれば俺としても一緒に居た甲斐があるってものだ」


 ヴェルギンは善大王が真剣にフィアのことを考えてると聞いて感心したのか、それとも意外だったのか、愉快そうに笑うと彼の肩を押す。


「ほれ、女子を一人で遊ばせておくべきではないぞ」


 肩を押され、よろけながらも後ろの海でつまらなそうに遊ぶフィアの姿を確認した善大王は僅かに笑い、彼女の方に向かいながらヴェルギンに呟いた。


「分かっている」


 話を終えた善大王は上着を脱ぎ捨てると、海辺に浸かっていたフィアの顔に水をかけに行った。


「フィア、ちょっと待たせたな」

「……」

「おい、フィア?」


 反応のないフィアを不審に思った善大王だったのだが、すぐにその意に気付いて同じ調子で話を続けた。


「フィア、何やってるんだ?」

「……」


 黙っていたフィアは振り返ると、彼の顔に海水をかけた。


「女の子一人で放っておくなんて最低!」

「悪い悪い……お前が心配だったからさ。フィアのことだ、どうせ何かがあっても俺には言わずに隠していただろ?」

「ライトぉ……」


 涙を浮かべ、喜ぶフィアだったのだが、すぐにその目はじとっとした疑いの目に変わる。


「心配って、実は私じゃなくてヴェルギンさんの方にしてるわけじゃないよね」

「フィアのことを心配していた。まぁヴェルギンの方を心配していないわけではないのだがな」

「むぅー……怪しい」

「最近は妙に疑り深くなったな……女の子は少し馬鹿な方が魅力的だと聞いたことがあるぞ」

「そんなの知らないもん!」

「そっか、フィアは元々馬鹿っぽいから問題ないな」


 善大王はフィアの感情を怒りに向かせ、疑いを僅かにでも逸らそうとした。

 賢さというものは正常な精神状態において発揮されるものであり、何かしらの感情が大きく現れている際にはその機能はほとんど生かされない。

 彼はフィアをお飾りとして扱いたいが故に愚鈍な娘にしたいわけではなく、子供としての性質が失われてしまうことを危惧し、思考の単純化を図っていたのだ。

 それは巡り巡って、彼女を永久に愛し続けるということに繋がるのだが、前提がいろいろとおかしい気はしなくもない。


「…………ライト、せっかく海に来たんだからあそぼ!」

「っ! ……そうだな」


 予期せぬフィアの返答に驚きながら、彼女の思考を読んでいた。

 本来ならば怒ってもおかしくない挑発。それに対して、ある意味でいえば理想の返答をしたというのは、あまりにも異常だった。


「(大人になったということか、俺としては望まない展開だが……)」


 本気で悔しそうな顔を善大王はした。

 そこには少女の成長を喜ぶという感情は一切感じられず、枯れゆく花を前に何もできない者のような悲しみが感じられる。

 彼には分かっていたのだ。フィアの反応は付け焼刃のものではなく、本物の──彼女の身に染み込んだ対応だったということを。

 もしも付け焼刃であれば、それを修正させることも可能。学んだとしても、それは同じ。

 だが、無意識などでその選択肢を選ぶようになれば、それはもう修正が利かない──そう、彼女を構成する一部品に変化してしまうのだ。


「ライトーはーやーくー!」

「………………ン、あぁ……今行く」


 この状況に不満を覚えたまま、少し先で彼を呼ぶ少女の元へと走る。

 浜辺からフィアと善大王の様子を眺めていたヴェルギンは微笑ましい光景を見たからか、朗らかに笑った。


「お前がちょっかいを出す必要はなかったようじゃのぉ……」


 少し離れた場所から、先程のヴェルギンと善大王のやり取りを見ていたミネアが近づいてきたことに気付いているヴェルギンは、背を向けたままそう言った。


「ふんっ、あんなのその場限りの嘘よ」


 ヴェルギンは振り返りながら顎に手を当てると、何かを考えるような様子でミネアの顔を見る。


「ふむ、少し前に善大王殿が火の国から帰っていった時は、あんなにも寂しそうにしていたのにのぉ……しばらくほったらかしにされて拗ねているのか?」

「むっ……そんなんじゃない!」

「善大王のことになると感情的になるのは、そういうころなんじゃないかのぉ。恋は若いうちしか出来ぬから、後悔せんようにな」

「だから違っ……違います。私はただ、あんなに真面目なフィアが傍に居るのに、他の女の子にちょっかいを出す善大王に腹が立っただけで……」

「恋ではないのか! ハッハ、つまらんのぉ! てっきりワシは善大王にメロメロだと思っていたのじゃがなぁ」

「師匠、その言い方なんか古いです」

「むぅ……ナウな若者には分からんか。四代前の火の星の頃では流行っていたのだがなぁ」


 何処か残念そうなヴェルギンは、事前に設置しておいたビーチベッドで横になると、大いびきをかけて眠り始めた。


「(……師匠は寝てしまったわね。私はどうしようかしら)」


 ミネアは海で遊ぶ善大王とフィアを見ると目を細める。


「海……ね」


 彼女は憂鬱そうに座り込むと、二人の様子を何もせずにただ見ていた。


「せっかくなら遊んできたらどうだ?」


 突如背後から聞こえてきたヴェルギンの声に、ミネアは驚いて体を大きく震わせた。


「ヌッ! し、師匠起きていたのですか」

「ワシは寝ておらんぞ。それで、どうだ?」

「私は……いいです」

「よくはない! いっちょ行って来い!」


 ミネアの細い手を握ったヴェルギンは勢いを付けて彼女の体を持ち上げ、海のある方向に目掛けて彼女を投擲する。

 ヴェルギンより戦闘の訓練は受けているのだろうか、ミネアは飛ばされながらも綺麗な着地をした。それはティアと比べれば当然見劣りはするものの、ミネアのような少女がしたとあれば、中々素晴らしい出来と評することができる程だった。


「師匠、いきなりはやめて下さいよ」

「そんなに嫌ならあれを借りればよかろうが」


 あれとはなんなのか、疑問に思った彼女はヴェルギンが指差す海の方を見る。

 海の方ではフィアと善大王が相も変わらず遊んでいた。しかし、先程とは少しだけ違う光景になっている。


「ぷかぷかー」

「……全く暇な遊びをしているな」


 善大王の足すら付かないような深さの場所にて、フィアは丸みを帯びさせた木の輪に乗り、海に浮かんでいる。それを見た善大王は呆れ顔で、絶賛満喫中の彼女を見ていた。


「だってライトさっきからやる気ないんだもん。水かけても全く反応しないしさー……これじゃ面白くないよ」

「いやそれは悪かった」


 善大王の謝罪を聞いたフィアは怒っていないと言うべく、彼の声が聞こえた背後へと方向転換をしたのだが、そこには誰も居なかった。


「あれ? ライトどこー?」

「ここだ!」


 水中に潜っていた善大王はフィアが乗っている木の輪を沈め、彼女の体から分離させる。


「あわわあ……溺れる! 溺れるよ!」


 体の支えを失ったフィアは足の付かない恐怖と焦りに駆られ、意味もなく足掻いていた。


「フィアは泳げないのか」

「うわわ……助けてライト!」


 天の国には遊泳できるような海は存在しない上、そもそも彼女は海を泳げるような年の頃には城の中に閉じ込められていたのだ。初めての海、それもここまでの深さで慌てないという方がおかしい。

ただ、善大王がそんなことを知らないはずもなく、それであってもなおそうしたのは慌てふためく彼女の姿を見たかったというひどく単純な理由だった。


「ほら、俺の手を掴めよ」


 溺れかけているフィアの姿を見て一安心し、彼は手を差し伸べた。

 実際に溺れさせる気がなかったとはいえ、ひどいことと言われれば言い逃れの出来ないことをやっているのだが、まったく悪びれる様子がない。

 冗談のように笑う善大王に抱きかかえられたフィアは頬を赤らめ、過ぎた悪戯をされたばかりだというのに、あっという間に気持ちを切り替えていた。


「《火ノ二十二番・炎矢(フレイムアロー)》」


 遠くより術の詠唱が二人の耳に届く。善大王は水中に潜ろうとしていたのだが、フィアは一切動かず、彼の体を踏み台にして海面から出た。そして、そのまま水面を足で強く叩く。

 地面が土ではなかったのだが、橙色の魔導式が展開された。それは、彼女が得意とする天属性の迎撃術。

 直線に伸びる赤色の炎、フィアにより発動された橙色の光線。それは二人──善大王とフィア──の近くで衝突し、天属性の性質により対消滅された。


「(あの声はミネアか……一応様子を見てみるかな)」


 かなり遠くからの声だったにもかかわらず、善大王は発せられた声をミネアのものだったと判断し、彼女が居る砂浜の方へ目を向ける。

 彼の見たその場所には予想通りにミネアが立っていた。そして、声の出し方から判断した通り、その顔は怒りの感情に支配されている。


「フィア、ちょっと向こうに戻るけどここで待っているか?」

「私も一緒に行く。……私を連れて向こうまで泳げる?」

「あぁ、任せておけ」


 自分の背をフィアに貸すと、全力で浜辺に向かって泳ぎ出した。

 戻ってきた善大王とフィアを──実際は善大王に限っていたのだが──睨みつけているミネアに声をかけたのは善大王ではなく、フィアだった。


「ねぇ、ミネア……なんで善大王を攻撃したの?」

「……フン」


 機嫌が悪そうなミネアはフィアの介入でこれ以上踏み込めないと察したのだろうか、ヴェルギンが横になっているビーチベッドの方に向かって歩き出そうとする。


「待ちなさい」


 フィアの話し方が変わっていた。料理修行をした時とも、先程までのものとも違う、威圧感を含んだ《天の星》としての話し方。


「もし私のライトを傷つけたら……いくらあなたでも容赦しないわ」

「…………」


 振り返り、フィアの目を見たミネアは恐れた。

 以前のような絶対的恐怖ではない、無差別に振りかざされる恐怖でもない。純粋に恋をする少女が、大切な人を守ろうとする覚悟を恐れたのだ。

 フィアであれば、この言葉に偽りを入れることはないだろう。そして、次に攻撃しようものなら本気で、一人の女の子として自分を始末する。そう感じ取ったに違いない。


「ごめん」

「…………うん! 今度からはちゃんと気を付けてよね。ライトは私の大切な人なんだから」


 ミネアは口に出さずに頭の中だけで考えていた。

 フィアはかつての恐怖の塊でもなく、脆すぎる儚い少女でもなくなっている。そればかりは善大王の功績といえるのだが、彼に対してここまでの執着を抱くに至ったことに限っては彼の干渉が産んだ負の副産物だ。


「それで何で攻撃したんだ?」


 二人の会話が終了したと判断した途端、善大王は気になっていた話題を切り出す。


「なんとなく」

「なんとなくってことは……」


 彼はミネアの、なんとなくという言葉から答えへと至る情報の一片を掴んでしまったのか、黙り込んだ。


「おいミネア、お前も海で遊んで来い」


 そう言ったのは、現在進行形でビーチベッドの上にて横になっているヴェルギン。


「でも師匠」

「早く行って来い!」


 威圧に押されたミネアは渋々海の方へと歩きだした。海には入りたくないらしく、彼女は気乗りもせずにとぼとぼと歩く。

 そこで、彼女は見つけた。海で遊べという命令に従い、それでありながらも楽に過ごせる最良の方法を。


「(これってさっきフィアが乗っていた木の輪ね。波に流されて漂流したみたいだけど……使えそうね)」


 ミネアは木の輪に乗り、時間を稼ごうとしていた。それは是が非でも海に入りたくないが故に選択した答えと思われるが、どうも本質的には間違っているような気がする。

 ミネアが木の輪に乗ってもフィアは何も言わず、むしろ善大王との遊べるようになって嬉しそうだった。

 自分が助かる為、許可も取らず勝手に使ったのにもかかわらず、何も後ろめたいことがなかったのはミネアとしても有難いことだったのだろう。

 善大王とフィアが飽きることもなく遊んでいる最中、ミネアはその様子を退屈そうに眺めていた。


「なんで師匠は……」


 木の輪に乗りながら不満を漏らすミネアはまどろみ始める。こうしている時間をどう過ごすか、彼女にそれを見つけることはできなかったのだ。

 彼女が眠るか眠らないかという瀬戸際の時、善大王とフィアの二人はそんなミネアの様子など知る由もなく遊んでいた。


「ねぇ、砂のお城作ろ?」

「いいぜ。俺はこう見ても芸術は得意な方だからな」


 フィアが城の形にしようと砂を集めていくのとは正反対に、善大王は城の形とは思えない砂の山を作っていた。


「フフッ、ライトへたっぴだね」

「それはどうかな?」

 その後、二人は雑談を交えながら黙々と作業を続けていく。海に来たというのに海に入らないというのはこれまた如何に。これはこれで、海の楽しみ方ではあるのだが。


「ライトっ! できたよ」


 フィアは誇らしそうな顔で、自慢げに自分の作った砂の城を善大王に見せようとしていた。

 だが、善大王はというと彼女の声に気付いていないのか、それとも気付いていて敢えて反応しないのか、未だに作業を続けていた。


「ねーライトー」

「ン、出来たか?」

「うん。ライトは?」

「今出来た所だ」

「おぉっ見せて!」

「ははは、だいぶ久々だから満足行く出来じゃないがな」


 善大王はその場から少し離れると、自分の作っていた砂の城をフィアに見せつける。

 彼が作った砂の城は精巧だった。先程積み上げられていた砂の山を彫刻のように少しずつ削っていき、そうして作られたのは光の国の城。

 スケールから再現の限界はあるものの、彫刻を行っている者が真っ当な石を切りだして作る作品程度のクオリティを誇っている。


「どうした? ちょっとがっかりか?」


 別に嫌味でこういったことを言っているわけではない。

 彼としては、実際にこの出来では不満足だったのだ。別段芸術活動を好んでいるというわけではないらしいのだが、自分の腕が落ちていたことを多少気にしているらしい。


「ライト……すごい!」

「そ、そうか?」

「うん! すごいよ」


 目を輝かせ、善大王の作った砂の城を見るフィアは誰がどう見ても、ただの幼い少女でしかなかった。

先程感じた変化の予兆は気のせいだったのか、と察知能力の低下を憂いながらも、子供のままでいるフィアに安心せずには居られない善大王。

安堵する善大王、目の前の芸術作品を心の底から素晴らしいと思っているフィア。両者とも、自分の意識に集中していてもおかしくないはずだったのだが、突如としてそうした考えが全てが吹き飛んだ。


「ライト」

「あぁ、強い波がくるな……この場からは離れた方がいいかもしれない」


 二人が危機感を感じる程の波。これは直感や能力で気付いたわけではなく、二人がなんとなく眺めていた海──その遠くに目で見て分かる程の大きな波が来ていたのだ。

 火の国の海に港が存在しない最大の理由、それは火の国の存在するガルドボルグ大陸と光の国があるケースト大陸間に広がる航海不能海域、通称《嵐の海域》がある為だ。

 《嵐の海域》は名の通りに凄まじい嵐が常に吹き荒び、その影響で大波が来ることも多々ある。

 その場から退避しようとした善大王とフィアだったのだが、善大王は気付いてしまった。ミネアが辺りに見当たらないことに。


「(ってミネアはまだ海に居るのか!)」

「ねぇライト、ミネアは──」


 ミネアが居ないことに遅れて気付いたフィアが声をかけた時、既に善大王の姿はそこにはなかった。

 彼は海を泳いでいた。遊びではない実践的な、それであって無駄のない泳ぎ。そのフォームからは、目的地が一点に絞られていることが如実に現れている。

 少しでも早くミネアの元へ到達する為に泳いでいる最中、ミネアは迫る大波に気付かずに木の輪の上で眠っていた。

 善大王には叫ぶ余力はあったのではないか、もしそれにより彼女が起きれば接触の時間は短縮できるのではないか──この場を見て感じる疑問なのだが、彼にはそれが実行不可能であることが分かっている。


「ふぁ……少し眠っていたみたいね」


 ここに来て漸く目を覚ましたミネア。しかし、それは善大王にとって最悪の状況だった。

 起床後に自分がどこにいるかを確認し始めたミネアは、砂浜までの距離が大きくあることから自分が沖にまで流されてしまったことを知る。

 次に手をオールのように使い、木の輪を旋回させながら周囲を確認していた。そこで彼女は見てしまう。信じられない程の大波が自分に迫っていると。


「…………」


 大波を見たミネアは硬直していた。微動だにしなかった。いや、動くどころか反応することすら出来なかったのだ。

 迫る恐怖、逃れられない状況、それらは彼女から思考を全て丸ごと奪い取り、意識ある人形へと変貌させた。


「(チッ……ミネアが眠っている最中に事を終えられれば良かったのだがっ……)」


 次に起きることが分かっていた。そう、ミネアが硬直の次に起こす行動を。

 ミネアは彼が想定した通りに慌てだした。しかし、それは全く予想通りというわけではなく、大きく予想を外れた反応である。


「助けて! 誰か助けて!」


 いつもの強気な彼女からは予想もできない恐れ方。誰かに助けを呼ぶなど彼女らしくもないと善大王は思いながらも、ここまでの状況になってしまった以上、木の輪より落ちてしまう前に到着しなければならない。

 呼吸の回数を減らして、泳ぐ速度を速めていった。

 善大王が助けに来ていることを知らないミネアは、一刻も早く逃げなければならないと木の輪から降りる。

 普通に考えれば、速度を落とす要因を外したのだから良い選択にも思えるのだが、彼女の場合は完全な失策でしかなかった。


「(クソっ! あいつ泳げないくせに降りやがって……)」


 こうなることを分かっていたらしい。例によって例の如く、少女限定に発動する超判断能力、それによりミネアが泳げないことを知った。そしてなぜ泳げないか、という部分も含めて。

 木の輪より降りたミネアは僅かな時間すらなく溺れた。泳法すら知らない彼女が沖まで来てしまった時点で回帰は不可能だったのだ。

 海中に沈んでいく最中、彼女の瞳には一人の少女が映る。

長い青髪の少女、その少女は沈みゆくミネアに手を伸ばしていた。

 薄れていく意識の中、ミネアはその少女の手を掴もうと、動かぬ手を必死に動かそうとする。

 そして、手は触れた。ミネアが触れたわけではない、手を伸ばしていた少女が完全に静止していたミネアの手を掴み、引き上げたのだ。


「ミネ……きろ……おきろ……起きろ! ……ミネア起きてくれ!」


 善大王は意識を失ったミネアに人工呼吸を行っていた。未だに彼女は死んでいない、だがこのまま放置していれば間違いなく死ぬ、そう確信した焦りからの行動なのだろう。

 それ故か、常に彼が放つ変態的な雰囲気は一切出されていなかった。


「ライトぉ……こう言うのは女の子同士の方がいいんじゃないかな?」

「フィアはできるか?」

「……できないけど」


 いくらミネアが瀕死とはいえ、独占欲の強いフィアからすれば善大王が救命活動を行っていると分かっても、口づけしていることが許せなかったに違いない。

 しかし、フィアでは彼の代理は務まらないのだ。人工呼吸の仕方など知るはずもない彼女には、ただミネアの復活を祈る以外何もできない。


「お前にはまだやることが残っているだろ! 帰って来い……帰って来い! 帰って来いミネア!」


 次の瞬間、ミネアの目は見開かれ、水が吐き出された。


「けほっ……けほっ……シアン! シアンどこにいるの?」


 未だに意識がはっきりとしないらしく、この場に居ない少女の名を呼んだ。

 だが、その声に答える者はなく、この場にシアンが居ないことを理解する。

 そして、ミネアは自分の唇に残る感覚──自分の目の前に居る善大王を見て、咄嗟に蹴りを放った。


「げふっ! 何するんだよ」

「こ、この変態! 私に何をしたのよ!」


 何が起きたのかを分かっていないミネアは、善大王が如何わしい目的で自分に口づけをしたものだと思い、威嚇をしながら距離を取る。


「可愛い少女が抵抗出来ないって時を見逃す俺じゃねえぜ……ミネアの唇は俺が美味しく奪わせていただいた」


 ミネアは自分が倒れている間にどれだけのことをされたのかを考え、恐れを抱いて青ざめた。


「(なんで私が倒れたのよ)」


 彼女は自分で考えたことがおかしいと気付いた。

 どうして倒れていたのか、いくら考えてもその答えに辿りつく道筋が存在していない。そうして、彼女は記憶を遡った、何故自分が気を失っていたかを思い出す為に。


「(私は海に居て……木の輪に乗って……波が……波?)」


 そこでミネアの記憶は完全に修復された。

 始点と結果のみで構成された彼女の思考は形を変え、経過を加えられた完成品へと昇華された。それは同時に、自分の愚行を強く実感させることにも繋がる。


「(……あの手は、善大王のだった……のね)」


 真実に辿りついたミネアは、あの光景が意識を失いかけた自分が見た幻だったのだと気付いた。

 認識していたものが幻覚だったと思った途端、彼女の記憶の中にあった光景は改竄されたものから正真正銘──本当に起きていた光景となって再び頭を巡る。

 大波にのみ込まれ、瞬間的に海へと引きずり込まれたミネアは自身の中に眠る海への恐怖心を思い出し、思考が完全に乱された。

混乱状態の中、慌て、足掻いた彼女は体温の接近を察知する。

 昔──彼女からしてみれば遥か昔の出来事──これと同じようなことが起きた為、接近した温度の正体を少女と見間違えた。だが、実際は善大王が彼女の手を掴んでいたのだ。

呼吸ができずに海の底へと向かい、ただ沈むことしか出来なかったミネアを彼は救い出した。一歩間違えば命を落とすかもしれなかったその状況で。


「……善大王、ごめんなさい。私が海に溺れた時に助けてくれたのは、あなた……だったのよね。そして今も」


 過去の出来事、だがそれでも彼女は、自分の愚を呪わずには居られなかった。命を賭けて助けた善大王、そんな彼を蹴り飛ばし、変態と罵ったことに。


「ははは、そんなことか。いちいち謝らなくていいっての……それに、俺が唇を奪ったのは紛れもない事実だしな、こっちこそごめんだ」


 彼は笑っていた。その笑いからは憎しみや怒りの感情は全く感じられず、ミネアの復活を素直に喜んでいる──少し変態的で気さくな感情があった。

 ミネアは不意に善大王から何をされたのかを思い出し、辺りを見やる。善大王が唇を奪ったのが事実といった以上、ある一人の人間はこの状況を良しとしていないと感じたのだ。

 彼女が探していた人は善大王の傍に居た。あまりにも予想通りの場所、しかしその表情のみは予想に反している。

 善大王が別の人間と口づけを交わしたと知ったのであればフィアは怒る、少なくとも不機嫌な顔をしている、とミネアは考えていた。だが、今のフィアはその両者にも当てはまらない、心配そうな顔をしていたのだ。


「フィア……」

「っ……ミネア!」


 友の復活を喜ぶ機会は訪れたとばかりに、フィアは善大王の傍を離れ、ミネアの元へと駆け寄る。


「ミネア、本当に良かった」

「その……心配かけてごめん」


 照れくさそうに謝るミネアをぎゅっと抱きしめたフィアは耳元で囁いた。


「体の調子はどう?」

「え?」


 フィアの発した言葉の意味を考えた。彼女が治療の術を使った形跡は一切無い、善大王もおそらく使っていないだろう。

 つまりこの場合はそろそろ調子は戻ったか、という意味で発せられたのだろう、とミネアは自己完結する。そして、その体で話を進めようとした。

 だが、その時。


「(……これって)」


 善大王にも、ミネアにも見えない場所、だが見えずともミネアには今何が起きているのかが分かっている。フィアの体より伝わる人の温もりと、それとは違う暖かさにより。


「(体の違和感が抜け行く……これがフィアの力?)」

『そう、これが私の力』


 自身の頭に響くフィアの声にばかり気を取られ、心中を見通されていることにすら反応出来ずにいたミネアは口頭では話さず、思考での会話を開始した。


「(あれの応用なの?)」

『いや、こっちの方が普通の使い方。あれは星の五感全てを操作しているから』


 あれ、という分かり辛い表現すらも相手の心を読むことで察する。このようなことをするフィアは、まさに非人間だった。

 善大王に使うことを嫌がるのもまた必然だろう。


「(今私に使っている力は?)」

『星専用の掃除みたいなもの。あなたの体の異物を可能な範囲で取り除いているけど……でもこれだけじゃ限度はあるから安静にね』


 海を背にしたミネアは人ならざる力を振るうフィアに対し、一つの感情を抱いた。それは恐怖ではなく、純粋な安心感だった。

 以前の彼女は表立って力を振るうような人間ではなかった。だが、その裏に潜む何かの影のが、ただ一人の少女を恐怖の塊へと変えさせていた。

 だからこそなのだろう、いくら今のフィアがどれだけ異常で、人間らしくない力を振るおうとも恐ろしくはない。その奥に、フィアという恋をする少女の姿が捉えられる限り決して恐れたりはしないのだ。


『ねぇ、ミネア』

「(なに?)」


 髪で目元の隠れたフィア。だが。その頬が赤く染まっていることは僅かに存在する首の可動範囲からでも確認することが出来ていた。


「……友達に……なって欲しいなって」


 その声はミネアの耳に聞こえている。脳へと響く音ではなく、鼓膜を通じて伝わる振動として、彼女の声がミネアに届いたのだ。

 ミネアは考えた。その思考の速度は刹那ともいえるほど速く、是非を決断したのみにすぎない程単純であることを示している。


「私は星として生まれてから、ずっとそう思っていたつもりよ」

「ありがと……」


 両者の間にあった見えない壁は完全に取り攫われた。

 何処かで理解できない、何か違和感のようなものを覚えていた──それはフィアが自分以外の《星》をただの《星》としてしか認識していなかったから、自分と同じ年の友達などと思ったことがなかったからだ。


「なら気兼ねしなくていいね。……ねぇ、私のライトと何してくれてるの!」

「え……」

「いくら危なかったからって……あなたも星なら自力で復活するくらいの無理してよ! そもそもあんな沖に行かなければ! 波に気付いていたら! ぷんすかぷんすか!」


 塞き止められていた濁流が溢れだしたかの如く、次々と放たれる怒りの言葉。

 先程までと一変し、ここまで攻めに転じる時点でフィアが如何に切り替えが早いのかが──善大王を愛しているかが明らかになることだろう。


「勝手に私の木の輪も使って、挙句どっかやっちゃうし!」


 彼女の怒りは未だ休まることなく続いていている。それに対し、ミネアは何も言い返すことも出来ず、ただ彼女の怒りを受ける他なかった。

 全て事実だからということだけではなく、もしシアンの唇を誰かに奪われてしまったのであれば、いくらその者が危険な状態だったとしても正気ではいらないということを分かっていたからだ。

 同類、同志の間での思考共有というものは、心を読む力などというものを要さない。今の二人は形勢の違いからはそうは見えないが、完全に同じ気持ちだった。

 そして、ついにフィアの攻撃は止む。水の動きでは表現できないような完全な瞬間停止、無論言葉によるそれが止まっただけではなく、フィアの感情も無事に違うものに戻っていた。


「でも、助けられなかったのはホントだし……私もごめんかも……」

「じゃあ、お相子ということで」

「えーっ! それはちょっと話違うよー!」


 子供同士の微笑ましい喧嘩の様子を離れた場所にて眺めていたヴェルギンと善大王は、互いに顔を合わせると、同時に笑いだした。


「ハッハッ、あのミネアが押されておるわ」

「はは、まったくだ。それにしてもああいう平和な喧嘩は見ていて明るい気持ちになる」

「平和な喧嘩……か。まぁ善大王殿の言い分も分からんではないのぉ……」

「それ程に二人の関係は拗れているわけか」

「そうじゃな……師匠として何かすべきなのだろうが、過剰な干渉は可能な限り避けたいと思っているからのぉ……」


 何気ない会話に託け、ヴェルギンよりミネアがどういう状況に置かれているかを再確認した善大王。彼は憂鬱そうに、フィアとミネアの観察を続行した。


「そう言えばミネアって何で海が苦手なの?」

「…………」

「海に落ちてあんなだったってことはそうだよね?」

 フィアの無神経な質問を止めようと足を踏み出した善大王だったが、自身の前を遮るように伸ばされたヴェルギンの腕により、その場に止まる。


「(やっぱり友達のことは知っておいた方がいいよね?)」


 踏み込むべき場所と、踏み込んではいけない場所──そんな区別をフィアができるはずもなく、友達であれば全て何もかも曝け出すものという彼女の中だけの常識に従っていた。


「ねー教えてよー」

「……前に今日みたいなことがあったの。その時はあたしがただ海で遊んでいて、気付いたら沖まで流されていたわ。浜辺までの距離はその昔のあたしにとって遠すぎた──世界から切り離されてしまったように思って、慌てて溺れたのが原因で今も入れないのよ」

「むー? じゃあミネアが今も無事ってことは……そこで誰かに助けてもらったの?」


 聞いてはいけないことを問答無用に聞いて行くフィアのスタイルには、善大王も頭を抱えてしまう。


「……シアン」

「え?」

「シアン! シアンに助けてもらったわ!」


 シアンに助けてもらった、この言葉はフィアの心を捉えて離そうとしないのだ。


「(ミネアは今確かシアンと……)」


 彼女なりに調べていた情報はここに来て繋がる。

何故ミネアはシアンに固執していたのか、その答えはあまりにも単調で、よく知りつくした当たり前のこと・他の誰でもない、フィアだからこそよく分かっていること。

自分と同じ、命を救ってくれた人を愛した者として。

 理解してしまったからこそ、フィアは考えた。ミネアと自分は同じなのだと。

 そして同じであればこそ、善大王が自分の傍から去ってしまったら、という潜在的恐怖が彼女の身を包んでいった。

 その恐怖反応は今まで存在していた、彼女の浮いた気持ちを一片すら残さず消滅させる。


「(ミネアはそんな気持ちで……なのに私は……)」


 心配、不安、悲しみ、後悔、そんな感情が彼女を満たしていくと、それは体にも現れ始め、俯きという形を持ってして誰の目にも分かるものになった。

 所詮彼女は子供なのだ、何時まで経っても子供だからこそ──引きこもっている時間が長いからこそ、肉体以上に幼い精神になってる為──それはしばらく続くだろう。


「今ならフィアの考えていることが分かる」

「えっ、なんで?」

「シアンのこと話させたからって申し訳ないとか思っているんでしょ?」


 ずばり、ミネアの読みは的中していた。

 とはいってもここまで明らかに表情に出しているフィア、そして状況を加味すればそれは容易なことだ。

 ただ、少なくともフィアには自分が表情に出している自覚はないので、この読みは不思議に見えている。


「他の星にこんな力があるとは思ってもみなかったんだけど……各個体の意思が共通管理されて……」


 悩む方向が明後日へと向かっていたフィアはぶつぶつと呟いていた。

 自分の中でも思い当たる節がある、もしくは《星》であるのならば心を読む力を持っていてもおかしくないのではないか、という懸念があるのかもしれない。


「あ、あのさぁ……別に変な力とかは使っていないけど」

「あれ、そうだったの……ふぅ、少しだけびっくりしちゃった」


 ミネアが何かしらの能力を使っていないということだけに気を取られ、本来ならばするはずだった謝罪を忘れていると、すぐにフィアは気付いた。


「……ごめん、だね」

「謝らなくていいわよ」

「それでも謝らせて! じゃなくて、謝る! ごめんなさい」


 フィアの我の強さが表れた言い方。自分が謝るべきだと思ったら、相手の気持ちなどお構いなしに謝る。悪いと思ったからには謝らずには気が済まないのだろう。


「じゃあ今度こそお相子! これでいいわね?」

「うーん…………しょうがないなぁ」


 意外に長考した末、フィアは善大王の唇略奪の対価として、それを認めた。

 ここまでしても迷う程、彼女にとって善大王という存在は大きい。明らかに大きすぎるとしか思えないのだが。


「そろそろお昼ご飯ね、フィア……あなたの実力を善大王に見せてあげるといいわ」

「うん!」


 二人の和解、そして修行の結果を示すという形で、これまでの全ては水に流された。それだけ二人はこの時を待ち焦がれていたのだ。

 自分の実力が如何に上がったのか、自分の教えがどこまで通じるのか、二人の期待は頂点へと達している。


「ラーイートー!」


 フィアは走りながら善大王の場所まで一直線に向かった。


「おうおう、どうした?」


 走って来るフィアの到来に対し、前代王は歩み寄りながら彼女を抱きしめようとする。

 ただ、フィアはそんな彼の動作など気にも留めず、ヴェルギンが横になっているビーチベッドへと走っていた。

 そう、彼女が善大王の居た場所へと向かっていたのは言うまでもなく、彼が目的地に丁度立っていたから。

 気付いたのは通り過ぎてすぐのことだった。若干落ち込み気味の善大王はがっかりしながらも、手持無沙汰に耐えきれずに再度フィアへのコンタクトを試みる。


「なぁフィアー無視するなよー」


 ビーチベッドの下に置かれた荷物を調べるだけで、フィアは善大王に構おうとはしなかった。だが、善大王の目は全てを見通している。


「(そういえばさっき昼飯の話をしていたな……)」


 分かったからには深くは言うまいと、準備中のフィアの傍から離れて待つことにした。

 敷物の用意、食器の用意、そして本命の弁当箱の用意を済ませると、辺りに散っていたミネアと善大王を呼び寄せる。


「おっ、また(、 、)ミネアが作ったのか?」


 善大王は意味深なことを言った。

この場合のまたというのは、以前ミネアに作ってもらったことのようにも思える。しかし、ヴォーダンとの会談中にフィアが持ってきたものの正体を看破している、とも取ることができるのだ。


「誰が作ったかなんてどうでもいいことよ。ほら、さっさと座る」


 フィアの返答の先制を取り、ミネアが善大王の質問を先送りにする。

 事実は食べた時にすぐ分かる、そう思っていたからこそ、サプライズ的な意味で伏せていたのだろう。


「それもそうだな。じゃあ食べさせてもらおうかな」


 敷物に座り込むと、すぐさま弁当箱に手を伸ばした。

 複数人に食べさせることを計算に入れていると思われる二つの大きい箱。彼はそのうちの小さい方を選択して食べようとしていた。


「そこ、まだ食べるのは早いわ。……師匠、ご飯ですよ」

「…………ワシは大丈夫じゃ、どうぞ若者だけで食べるといいぞ」


 ヴェルギンは普通に眠かったらしく、大欠伸をしながらそう言い、寝返りをうつ。


「あの……ヴェルギンさんも食べてもらえないでしょうか?」フィアは言う。

「…………食べてくれと頼まれて断るのはいかんか。では有難く頂くとするかのぉ」


 ミネアが要求した時には動こうとはしなかったヴェルギンなのだが、フィアの頼みとなった途端にあっさりと了承し、ビーチベッドより降りた。


「そろそろ食っていいか?」善大王は問う。

「え、あっ、うん……でもいただきますはしようね」


 その場に居た全員は合掌すると食事を開始した。


「じゃあ俺がお先に行かせてもらうよ」


 善大王が弁当箱の蓋を開けた途端、目で見て分かる完成度に驚嘆する。そして、それがフィアの作ったものだと分かったからこそ、その驚きは倍化した。


「ほう、なかなかうまそうな卵焼きだな」


 焦げている部分が一つたりともない、黄色の卵焼きに彼は目を奪われる善大王。

 彼はこれを作れないわけではないのだが、料理をそれなりに行ってきた善大王にはこの形成、焦げの少ない状態で完成させることがどれだけ困難であるかが分かるのだ。


「(フィア、立派になったな……しかし味が一番の問題だ)」


 既に善大王は以前までの彼ではない。

 ここまでの技術を持ちし者だと分かったからには、不味かろうとも食べるような甘えは一切しない覚悟だった。

 つばを飲んだ後、舌の感覚を鋭利にし、一齧りする。


「うん、うまいな。……フィア、よく頑張ったな」

「えっ?」

「これはお前が作ったんだろ? すごく美味しかったぜ」


 そう言うと、齧った卵焼きを口に放り込み、咀嚼し始めた。これ以上は言わない、という意思表示なのだろう。

 フィアにはそれで十分だった。善大王が自分の作ったものだと分かったこと──そして、それを美味しいと言ってくれたことが嬉しかったのだろう。

 以前のような過剰な反応ではないことから、彼が嘘偽りを含めて褒めたのではなく、真実の意味を持った称賛であることを知ることとなった。


「えへへ……ライトが褒めてくれて嬉しいな」

「ははは、これで前みたいな変なものを食わずに済むな」

「もぉ! そんなこと言うならまたあんなの作っちゃうんだから」

「ははは、悪い悪い。今度からも美味しい料理を頼むよ」


 楽しそうに話す善大王とフィアを見ていたミネアは悔しそうな顔をすると、すぐに笑顔になる。


「あの二人が羨ましいのか?」


 背後から聞こえたヴェルギンの声に対し、一切驚くこともなくミネアは応えた。


「……そんなことはありません」

「ふむ……在りし可能性の結果を見て後悔しているようじゃな。その笑みは過去の自分に重ねてみているのかのぉ」

「……」

「ワシからすれば、この数年は大した差だとは思わんがの……思う所があるのであれば仲直りをしておくといい、後悔したまま終わってしまえばそれまでじゃ」

「…………」

「年寄りの言い分は聞いておいて損はないぞ、何せ長年生きておるのじゃからなぁ」

「……はい、分かりました」


 長き沈黙を破り、ミネアは了解の言を伴い、口を開いた。それがこの場限りの言葉であることは、ヴェルギンに見破られている。


「時間とは限られたものだ。短き時を生きる人間の考えは分からぬが、楽しく生きるのが正解じゃ。ミネアよ、お前は後悔の残らないように楽しむべきじゃな」

「はい」


 見透かされていると分かっていても、否とは言えないのは苦痛でしかなかった。

 己が師匠が自分の為を思って言っていると、分かっている──分かっていても素直になれないのは、結局のところミネアの臆病のせいなのだ。

 そう自覚しているからこそ、彼女は俯くしか出来ない。


「ならば飯を食っておけ。食事は人の一生において、無視できない至高の時間だ」


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