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「やっぱりここだったのね」
「……ミネア?」
浜辺に座りこみ、ただ一人夕陽を見ていたフィアは顔を向けずに反応した。
「よく海があるって分かったわね」
「…………なんとなく歩いていたら着いたの」
「……そう」
気の利いた言葉が頭に一切浮かび上がらない、そんなことで悩んでいたミネアはフィアの隣に座りこむと、フィアの肩を軽く叩く。
「わたし……私は……」
「話したいことがあるなら言うといいわ。善大王にさえ言わなければ二人の関係が崩れることはないから」
フィアは──彼女は話を聞いてほしかったのだ。相談に乗ってほしかったのだ。
だが、こんな初めての土地で相談できる人間などいない。そもそも彼女は善大王以外とはうまく話せないのだ。
相談できそうなのはただ二人だけ、その二人も相談できる状態ではなかったのだ。頼りになるコアルも今はどこにいるかが不明、ミネアには料理の失敗ということで顔に泥を塗ってしまったので顔も合わせられない。
誰にも相談できないという状況は彼女を不安にした。今ここでミネアが来て、話まで聞いてくれるなどとは考えてすらいなかったのだろう。
「私……あんな物を作っちゃったのが悔しい。それに、ライトにあんな物を食べさせてしまったことが許せない。私がミネアの言うことを聞いて作らなかったら──違う、私がもっと上手に作れていたら、こんな気持ちにならなくて済んだのに!」
「……」
ミネアはただ黙って頷いていた。励ましの言葉が思い浮かばず、そうするしかできない自分を心の中で恨みながらも、それでも自分にできる限りのことをする為に彼女はフィアの言葉を聞く。
「ねぇミネア! 私は……私は料理なんてしちゃ、駄目なのかな……やっぱり私は、ダメダメな子なのかな……」
フィアは善大王に対して──否、この場合は善大王とミネア、そして自分に対して、誰もが幸せにならないことを引き起こしたことが許せなかった。
そして、それを引き起こしたのが全て自分だと理解しているからこそ、罪をかぶせてしまったミネアに否定してほしかったのだ。自分の愚行を、無駄な努力を、そして自分自身を。
「答えてよミネア! 私にはどうせ何も出来ないって言ってよ! 言ってくれたほうが……諦めが付くよ……」
フィアは隣に座っていたミネアの服を掴み、引っ張ると、彼女の体に自身の顔を埋めた。
何も答えぬミネアに憤っていたフィアは、もはやなぜこのような話を始めたのかを覚えていない。昂った心が押さえきれず、押し寄せる感情のままに動くことしかできなくなっていた。
今までの彼女には大きな挫折や失敗というものはなかった。《天の星》という存在であるが故、彼女は才能に溢れており、術を使わせれば勝る者はだれも居なかった。
いつも孤独で、頂点に居た。
だからこそなのか、頂上に居る存在、天敵などが存在しない大空を舞う大鳥からしてみれば、天敵という未知の存在に対して何の抵抗もできない。
日々襲われる危険性を孕んでいる地上の生命は策を講じ、逃げ、防ぎ、返り討ちにすることが出来る。彼女がそれを行うことはできないのだ。
自分でも理解できない感情に恐怖し、否定されることで思考を停止したかった彼女は黙ってミネアの声を待つ。それで全てが吹っ切れると信じて。
「……りなさい」
ミネアはフィアに何かを言う。しかし、その声は小さく、近くに居るはずのフィアにすら声は完全には聞こえなかった。
自分を否定したのか、それが分からなかったフィアは涙で濡れた顔をミネアの前に出すと、口を開いた。
「な……なにかいったの?」
「黙りなさいって言ったの」
自分の望んだ通りの展開に──悪いはずの展開に喜び、フィアは目を閉じた。
ミネアはこの後、きっと自分を否定する言葉を言う。そうすれば、心の中にある正体不明の感情が消えてなくなる。そう考えたフィアは涙を流しながら、笑った。
「ミネア、続きを聞かせて。あなたが言おうとした言葉を」
「あなたは愚かよ」
「……うん」
「人の言うことも聞かずに、結局失敗するなんて」
「…………うん」
「馬鹿よフィアは」
「………………うん」
ミネアは激怒した。長い沈黙の後、涙を流しながら発せられたフィアの返答に。
「馬鹿、馬鹿フィア! 何で怒らないのよ、ここまで言った奴に何で何も言わないのよ!」
「だって、私が全部悪いから……」
「悪いなんて分かっている癖に何もしないなんて馬鹿よ! そうやってすぐ逃げようとするアンタが昔から嫌いだったのよ! 王子様がいつか助けに来てくれる、昔のアンタはそんなことを言っていたわね、でもそんなの来る訳ないじゃない。本当に馬鹿じゃないの?」
フィアに影響されたのか、ミネアも歯止めが利かなくなっていた。励ます為に来たはずなのだが、今の彼女はフィアに不満をぶつけているだけにしか見えない。
しかし、そんな本気の言葉、感情だけに任せて放たれる本心からの言葉はフィアの心を動かした。
「馬鹿馬鹿って、私は馬鹿じゃないもん!」
「馬鹿よ! 偶然に善大王が来たから助かったけど、もし来なかったらどうするつもりだったの? 死ぬまでただ待っているつもりだったの?」
「そうよ! 私には何も出来なかったんだからしょうがないでしょ? それにライトが助けに来てくれるのは運命だったんだもん! ライトは私を助けてくれる王子様だから」
夕陽が沈み、夜の帳が降りようとしている静かな浜辺にその音は響き渡った。
「ミネア……なにするの」
赤くなった頬を押さえながらも、フィアはミネアを睨む。
「なに、その怒った顔……何もできない癖に虚栄まで張って」
「何も出来なくない!」
「ならアンタも叩いてきなさいよ! どうせ出来ないわよね」
フィアのビンタがミネアの頬に直撃した。
「…………」
「……どう? ミネアが思っているように……私は弱くないんだから……」
叩いておきながらも、不慣れなことをやってしまった自分自身を理解できず、震えた声でミネアへと自分なりの答えを返す。
「……良いじゃないその顔……それでこそ叩きがいがあるってものよ!」
叩かれる、そう感じたフィアは身構えた。
だが、ミネアは決してフィアを叩こうとはしなかった。それどころか、彼女の表情は怒りに支配されておらず、素直な笑顔だけが存在している。
「迷いは断ち切れた?」
「ふぇ?」
「だから、モヤモヤは吹っ切れたかって聞いているの」
「……うん」
ミネアに言われて漸くフィアは気付いた。
諦めることで苦しみから逃れることしか出来ないはずだった彼女が、自己の存在を言い争いの中で肯定出来たことを。これは今までの彼女であれば出来なかったことだ。
「温室育ちのお姫様には、少しだけ手荒だったかもしれないけれど」
「ううん……私、こんな風に本気で言い争ったことがないから。特に同じ年の子とは……だから、嬉しいかも」
「……そう、少し安心したわ」
自分の仲間はこんなにも信用出来る人間だったのか、と今更なことを知ったフィアは微笑み、片手を差し出す。
それが握手を求めての行為だと分かったミネアはフィアとは逆の手を伸ばした。
パチィン、と先程までの比とはならない高い音のビンタが炸裂した。
「な、なにするのミネア!」
「一回は一回よ……」
そう言うと、ミネアはフィアの手を握った。
「フィアが本気で、どんなにつらい修行にでも耐えられると言ってくれるならば、善大王を見返す程の腕にすることはできるわ」
「それ間違いない?」
ミネアは決してこの場限りのこととしてフィアに嘘をついたわけではない。
正真正銘、本気で可能だと思っていたのだ。それに必要なことが覚悟、そしてその覚悟も今のフィアならば持っているとミネアは考えている。
「フィアの覚悟が本物ならね」
「どんなつらい修行にだって耐えるよ」
「そんなにすぐ決めていいのかしら? ちゃんとじっくり考えたほうがいいわよ」
「あんな気持ちになるよりは何倍もいいから」
想定通りの返答。しかし、実際に言うかどうかは彼女の声を聞くまでは分からなかったらしく、ミネアはその言葉を喜んで受けた。
「私は厳しいわよ、善大王と海で会うまでの一カ月くらいで決着を付けるわよ」
「うん!」
二人は善大王を見返すという約束をし、約一カ月後に迫った再会の日までに修行を終えることを心に決めたようだ。




