19
修行開始から数日経ったある日のこと、フィアはミネアに許可を取らず、善大王と会う約束を勝手に取りつけていた。
もちろん、仕事をサボる口実も用意されている。
今回は善大王とコンタクトを取って自分が無事であることを伝える機会にしたい、とそれらしいことを言って説得していた。
だが、ミネアは善大王との接触を良しとしていない。
未だ料理技術を完全に取得しきっていないフィアを善大王に会わせてはいけない、もし会わせてしまえば一体どんな有害物質を生み出すかもしれない。そんな起こり得る可能を考えたミネアは彼女を善大王の元へ行かせまいと戦っていたのだ。
「じゃあそろそろライトに会って来るね」
「まだ行かない方がいいと思うけど……」
善大王に会いたい、というフィアの想いは思春期の少年に日々蓄積されてく欲望のように強まり、たった数日間という期間で我慢は限界に達したのだ。
そして、そんな彼女を止められる人間など、おそらく善大王を除いてこの世界には居ないだろう。
「大丈夫! それにライトに連絡しちゃったし、早く行かないと」
「うーん……火は使わないように」
「もう大丈夫だよ! 三回は成功したんだし」
「九十四回も部屋にシミを付けて、おまけに黒炭を作ってよく言えるわね」
「ぎくっ……」
フィアは確かに三回成功させている。しかし、それまでに多くの廃棄物を生みだした。
それだけにとどまらず、完成した料理も焦げ付いていないというだけ。生に近いものや若干焦げ付いているものなどと、お世辞にも美味しそうには見えない品ばかりだったという始末だ。
「そ、それでもライトなら喜んでくれるもん!」
「その考えが甘い! 善大王ならフィアの作った物を喜んで食べるかもしれない。でもそんなのがあなたの求めていたものなの? 本気で善大王の胃を掴みたいなら、もう少し修行しなさい!」
「……うん、じゃあ火は使わないようにするね」
「出来れば料理も作らない方がいいと思うけど」
フィアは明確な回答をせず、少々離れた位置まで走ると、振り返ってミネアに手を振った。
「じゃあ行ってくるね」
「ちゃんと言い付け守りなさいよ」
「考えておきますよー」
あからさまに守る気がないと宣言したのも同然な、適当な声でそう言うフィアは逃げるように善大王が宿泊している宿がある方面へと走っていく。
「大丈夫……じゃなさそう」
自分の教え子の失敗を無心に捉えることの出来ないミネアは、後に悪報が来るということを自分に言い聞かせるように呟き、非常に不安な気持ちのままヴェルギンの待つ家へと戻っていた。
善大王は宿の前に立ってフィアの到着を待っている。元々の待ち合わせ場所は宿の中だったはずなのだが、いち早くフィアに会いたいと考えて外で待っていた。
久しぶりに会うことを楽しみにしていたのは、フィアだけではなかったというわけだ。
人混みの中で、明らかに挙動不審な動きをしている一人の少女が目に入る。
その周囲より浮いた出で立ち、そして上品な雰囲気、引きこもり生活をしていたからなのか、まったく日に焼かれていない白い肌。見紛うこと無き、善大王の待ち人である。
「おっ……おーい! ここだー」
人混みの中からでも見えるように善大王は大きく手を振り、誰にも道を聞くこともできずに困っているフィアへと助け舟を出した。
「あっ、ライトっ!」
善大王に気付いた途端、フィアは目に涙を溜めてから駆け寄る。わざわざ儚げな女の子を装い、体よく彼に甘えようとでもしているのだろうか。
「ライトぉ……怖かったよぉ」
「お前もそろそろ人に慣れてもいいんじゃないか? 一人になった時に困るぞ」
甘えてきたフィアの頭を撫でながらも、彼女の今後のことを考え、善大王は言う。
しかし、フィアからすればこの善大王の言葉は不安が押し寄せる性質を持っていた。所謂、捨てられるかもしれないという話だ。
「ライト私を捨てちゃうの?」
先程までの、半ば演技によるものなどではない、正真正銘の涙目。彼女は今、本気で泣いている。人混みが僅か先にある宿の前で。
「お、おい! 俺はフィアを捨てたりしないから泣くなって!」
「だって……だってぇ……ミネアが言ってたもん。ライトは私が年取ったら捨てるだろうって」
幼い少女を好む善大王ならば、年齢が自分の好みから外れた時に、無情で無慈悲に捨てるという展開は彼をよく知る人物であれば想像するに難しくない。
「そ、そんなことするわけないじゃあないかー」
「ほ、ほんと?」
フィアは涙を拭き、善大王の顔を見た。愛しの彼が自分のことをここまで愛してくれている、その喜びから来た行動だったのだが……。
「……ライト、何で目だけ私の方を見てないの?」
「い、いやー……何のことやら?」
「本当に見捨てない?」
「…………うん」
「今すごく間が開いてた! やっぱりライト、私のこと捨てるんだ! うわぁああああああん! やだぁああああああライトいないと私しぬううううううううう」
その後、善大王は宿の前を歩いていた人達に疑惑の目を向けられた。
宿の店主には申し訳ないと思いつつも、泣いたままのフィアをお姫様抱っこで持ちあげてから宿の中に逃げ込む。
そして、外で今の二人が一体何だったのか、という騒ぎが収まった頃……。
「ぐすん……」
「あんなところで泣くなよな」
「だってライトがぁ……」
「フィアがその場限りの女だとしたら、もっと優しくしてるっての。だから安心しろ」
「たしかにそうかも……」
善大王の言葉を鵜呑みにしたフィアはあっさり納得した。
ただ、何の確証もなく信じているわけではない。善大王が自分以外の少女と遊ぶ際、自分と接している時よりも優しいことをフィアは知っている。そして、そうした少女と再度遊ぶことがほとんどないということも。
「それで、今日はどうするの?」フィアは切り変える。
「特にやることも無いしなぁ。じゃあ久しぶりにフィアを……」
「嫌」
「即答かよー……いいじゃないか」
「よくない!」
フィアの絶対的な拒否を受けてまで無理強いするような善大王ではなく、若干残念そうな顔をして引き下がった。
「じゃあ、のんびり散歩でもするか?」
「そうだね。私もそっちの方がいい」
善大王の手を握り、早く出かけたいと言わんばかりに、フィアは掴んだ手を引っ張った。
「そんな焦らなくてもすぐ行くから! 安心しろって」
気だるそうに立ち上がった善大王はクローゼットから上着を取りだすと、手早く羽織ってフィアの手を握り直す。
「よっし、じゃあ行くぞ」
「うん!」
騒ぎの鎮静化こそしたものの、未だに彼が少女を泣かせたという情報は道行く者達の中にはきっちり残っている。
彼はその対策として、この太陽光線照り返り、蒸し暑い火の国の中で上着を羽織ったのだ。
白い服を着ることで余計に目立つのではないか、そう思うのは至極当然な考え。
しかし、火の国においては多くの旅人や冒険者が集う為に、若干変わった服装だとしてもさほど怪しまれることはない。
「ライトっ!」
「なんだ?」
「フフッ、何でもないっ」
久しぶりの再会に喜んでいるフィアは、数日分の鬱憤を発散しようと善大王に甘えていた。
手を繋ぎ、歩む時に何度も何度も彼の方を見て微笑む。大抵の浮き方では問題ないはずの火の国であっても、この光景は恐ろしく異常なものであった。
自然と避けて行く人々の道を歩むフィアは善大王と違ってその状況を一切気にせず、彼の腕に顔を擦り寄せて戯れている。
特に何をするでもない二人は町を歩き回っていたのだが、その時に一人の少女が善大王を見た。
途端、驚いた様子をして彼の傍へと駆け寄ってきた。
「あっ、昨日のお兄ちゃんだ!」
「やぁ、怪我は治った?」
善大王はフィアを腕から引き剥がすと、片膝をついて話し始める。
「うん! お兄ちゃんのおかげで治ったよ」
「ははは、それはよかった」
「……ライト?」
背後から聞こえたその声に気付いた瞬間、彼は身を震わせ、振り返った。
「その子……誰?」
目は笑っている。だが、彼女の身より放たれている雰囲気、僅かに引き攣っている笑顔、それは彼に全てを悟らせるに足る十分な情報となった。
「こ、この子はそういうのじゃない。昨日困っているところを俺が助けただけで……」
「怪しい……」
「怪しくない」
彼の焦りを見たフィアは薄々感づいていた。彼はきっとこの少女に何かをしたと。そして、その何かは絶対に自分には言えないことだと。
フィアが疑っている善大王の白黒についてなのだが、彼の言葉通りに何もおきていない。
ただ買い物に出かけた彼が泣いている少女を見つけ、怪我をしていたので光の術を使って治療を行った。その後には如何わしいことが行われず、ただ見送って終わっている。
「私には分かるよ? ライトが嘘ついているかどうか」
「分かるなら……もう何も弁解しなくていいか?」
「自分の胸に聞いてみてよ!」
機嫌が悪くなってきたことを察した善大王は少女をその場から逃がすと、今にも怒りだしそうなフィアの手を引いて裏路地に入った。
「離して! ライトなんて大嫌い!」
善大王が如何わしいことをしたと思い込み、フィアは必至に彼から離れようといていたのだが、彼は決して彼女の手を離そうとはしなかった。
フィアは善大王が自分以外の女と遊んだことが気に入らなかったのではなく、何かをしているにもかかわらず、本当のことを言わない彼が許せなかったのだ。
「聞け、聞け! 俺は本当に何もやっていない」
「口だけなら何とでも言えるよ!」
「なら心を覗くなり何でもしろ。俺は嘘をついていないという自信がある」
「……本当に見るけどいいの?」
フィアは心配そうな顔でそう言っていた。彼女がそんな顔をした理由、それは善大王の嘘を見抜いてしまうことを恐れているからだ。もう一つは、その力を使いたくなかったから。
「お前にとっても辛いことなのは分かる。だが、このままいい加減な気持ちでいるよりましだと俺は思う」
フィアは黙り込むと、自分の目を手で覆った。
泣いている、という風にも見えるのだが、彼には彼女が泣いているわけではないと伝わっている。
「…………ライト、ごめん」
「分かってくれればいいよ」
「でも私……」
「分かったからには、隠しておくのも無駄だな。じゃあ、これ」
彼は上着のポケットに手を入れると、リボンなどでラッピングされた手のひら大の小さな箱をフィアに手渡した。
彼女はその中身が何なのかがを知っていた、見てしまった。
フィアは能力を使って彼の心の中を覗いた。彼の心の中から記憶を辿り、前日に起きた出来事を高速再生のような形で自分の頭の中に流して何が起きたのかを知ろうとしたのだ。
善大王は前日、買い物に出かける為に町を歩いていた。その時に人混みの中、一人泣いている少女を見つける。
彼はすぐに駆け寄り、光の術を使って治療を行った。少女はお礼を述べてその場を立ち去る。
この時点で彼が何もしていないことをフィアは知った。だが、彼女の力はそこで終了せず、さらに先へと記憶を再生する。
小さな店の中に入っていき、善大王はフィアへの贈り物としてブローチを購入した。
つまり、彼が今手渡した箱の中には小さな店で買った、今まさに見たばかりのものと同じブローチが入っているはずである。
「……ライト」
「もっと大人なデザインが良かったか?」
彼は一切恐れていなかった。いくら親しい人間でも、心を読む力を前にしては恐れを隠せない。それが臣下であっても、父であっても。
「ごめん……なさい」
「謝るな、お前は悪くない」
「でもライトは……私の為に……。なのに私は、ライトを疑って──」
善大王は素早く屈むと、フィアを無言で抱きしめた。彼のその行動により、フィアは何も言えなくなり、沈黙する。
抱擁の後、善大王はゆっくりとフィアの耳元へと口を近づけ、こう囁いた。
「困っている顔も、怒っている顔も、泣いている顔も好きだが、俺はフィアが笑っている顔が一番好きだ」
彼は一切恥じる様子もなく、平然とそんなことを言う。
歯の浮きそうな台詞でも本気で発せられ、なおかつ相手にその気があるのであれば、思いのほか有効だったりもするのだが。
「俺の為に笑ってくれ」
フィアは鼻を啜り、目を擦って涙を拭うと、地平線より昇る太陽のような眩しい笑顔を善大王に向けた。
「ありがとな。……それで、不満じゃなければ、それを付けてほしい」
手に握られた小さな小箱を一度確認し、再度善大王を見たフィアは彼の頷きにより、すべきことを理解して小箱を包んでいでいた空色のリボンを解く。
箱の中に入っていたのは、空色の宝石が鏤められた花形のブローチだった。
いつものフィアであれば、素晴らしきサプライズプレゼントに過剰な喜びの仕草で善大王に甘えていたところだろう。だが、そうはならないことは善大王も分かっていたので、ただのプレゼントとして贈っていた。
「不満なんかないよ……すごく嬉しい! ライトありがとう」
「ははは、こっちこそ、そんなに喜んで貰えて光栄だ」
くるりと一回転したフィアはブローチを襟元に付けると、善大王の片手に抱きつく。過程こそは違えど、結局同じような事象が発生したのだ。彼を愛するが為か。
そんなこんなで無事に若い二人は和解し、裏路地から出た。今度こそいろいろな店を回り、喫茶店でお茶を飲み、美味しい物を食べる。
フィアは最初に抱いていた望みを達成しようと気合を入れていた。
「(気合入っているなフィア。まったく……愛らしくて仕方がない)」
善大王は内から滾る欲望を、自制心というあってないような鎖で縛りつけている。この飴細工──紙で作った鎖よりも脆く、壊れやすい自制心はどれほど持つのだろうか。
荒い息使い、血走った眼、怪しく震える指。フィアに向かって伸び、引き戻しを繰り返す腕。
彼の自制心という鎖は、前述した比喩の方がむしろ強固だった。例えるのであれば、ふんわりとした綿で鎖を作ったような千切れやすさと言うべきか。
「ふ……フィア、頼む……一度だけでも──」
限界に達しかけた善大王は人混みの中で見知る顔を見つけてしまった。彼女と接触してしまえば、せっかく復旧したフィアとの関係は修繕不可能となるまでに砕かれる。
焦り、唾を呑む善大王。この場をどう乗り切るか、どうすればこの中で気付かれないか、どうすればフィアが傷つかないか。その答えを探して、対策を何度も初めから考えなおす。
彼が知るその少女の横を通る瞬間、善大王の体中からは汗が吹き出し、心臓の速度が加速し、周囲の世界が減速していくかのように見えていた。
彼が歩く石畳の道。その石畳の隙間には、風によって飛んできた砂漠の砂が大量に詰まっており、それが音を鳴らす。その音は、全ての感覚を研ぎ澄ましている神経を掻き乱した。
「(あと四歩で、彼女の視界に俺の姿は入らなくなるっ……)」
ザリッ、ザリッ。彼はひたすら歩く。走れば全てが水泡となる可能性があった。
善大王は失敗を恐れている。本来この人混みの中で、背の低い少女が一人の男を見つけるということは高難易度のはずなのだ。しかし、単純な事象の発生確率などというものは不安定、絶対に起きえない確率すらも零でなければ起こりうるのだ。
「(あと一歩……勝ったッ!)」
「ねーライトー……あそこで何か飲み買おーよー」
「ッ!」
この場で唯一異色な存在、フィアの発言は何の目的もなく座っていた少女の注目を集めるには不足しない。
少女の注意はフィアに向き、次にその横に居た男へと視界が移動した。それこそ彼が望まなかった展開、信頼崩壊の始まり。
「あれ、この前のお兄さんだ!」
そう言いながら駆け寄ってきた少女を避けるように、善大王はフィアの手を引くと全力で走りだした。
一時期は聖堂騎士だっただけあり、その速度と人混みの隙間を掻い潜る運動能力、判断能力は凄まじいものだった。
「ねぇ……ライトっ……なんでっ……走るっ……のっ」
善大王の走りに付き合わされているフィアは、息を上げながらも理由不明の疾走の理由を聞こうとしていた。
だが、そんな彼女の都合など知らぬとばかりに、善大王はペースを一切落とすことなく走る。
バレてしまえば全てが終わる。その焦りは、元来彼が持つ少女を思いやる心すら封印させるに至った。
「いい店を思い出しただけだ!」
その場限りの嘘ですらいいと考え、店など知らないにもかかわらずそう言った。
多少の嘘ならともかく、あそこまでやって嘘ではないと証明した直後に別の日にはしていた、などということを知られるよりはマシだと言い聞かせているらしい。
「ライト! もう休ませてよ!」
「…………そうだな、そろそろ休もう」
頻繁に辺りの様子を窺うと、丁度道の脇あったベンチにフィアと共に座った。
「ごめんな、ついつい……」
「謝るなら最初からしないでよ……まったく」
「(フィアの機嫌が僅かに悪いといったところか、まぁこのくらいは安い支払いだ)」
こうなることを見越していた。いきなり走らせて機嫌が悪くならない程、フィアは人の気持ちを無意識に察することの出来る少女ではないと、善大王は理解している。
「それで、さっきの子だれ?」
「え?」
「だから、さっき誰かが声掛けてたでしょ? 誰なの?」
「……そんな子がいたなんて気付かなかったな」
「うーん……こんな子だったけど」
必死に知らぬ存ぜぬを押し通そうとする善大王に対し、フィアは何か手があるとばかりに《魔導式》を展開した。
「というかフィア、お前あの動作しないで術使えたんだな」
あの動作とはフィアの癖のようなもの、地面を叩くような足の動作のことだった。
これには深い意味がないことは善大王の観察眼によって見切られていたのだが、する理由ややめない理由については深く調べていなかっただけに、素直な反応で驚いている。
「攻撃するわけじゃないから……」
フィアは真剣な顔つきで地面を見ていた。ベンチが道から少し離れた位置に置かれていたのが幸いしてか、彼女が見ている地面に影が掛かることや、人が通りかかることがない。
それは、フィアからすれば集中する為に丁度良かったのだろう。
カッ、と彼女の目が見開かれると、展開されていた《魔導式》から通常の何倍も細く、高出力の光線が放たれた。
「ちょっ、フィアなにやってんだ」
フィアは一切集中を乱さずに、光線の出力を乱さないように動かしていく。
しかし、町中で術が使われて驚かない者はそう多くないのだ。少なくとも、今この場に居る大多数の人間はそうではなく、全員が足を止めて少しでも彼女から離れようと後退りをした。
ジリジリジリ、と橙色の光線は砂を溶かし──焼き、移動していく。
かなり狭い範囲に絞って光線を放ちながら、最大限の細さに集約して動かす、という技は実はかなり難しい技法だ。《天の星》のフィアとて集中を乱すことはできず、一切返答を行おうとはしない。
「よっし、これこれ! こんな子が居たんだけど」
「ん? ……フィアには驚かされることが多いな」
そう言いながら地面に描かれた少女の絵、というよりもその風景をモノクロにして地面に写したようなものを見ていた。
砂は光線の熱量で溶け、硝子板のような物に変化している。白と黒の再現として、砂の部分を黒として、白として溶かして作ったガラス部分を使っていた。
術のみで風景の完全再現となると、本格的に人間の域を越えてくる。そして、完成されたそれは周囲の者達をも驚愕させていた。
「あれなんだ?」
「風景のようだぞ。でもあんな風なことが出来るなんて普通じゃないぞ」
野次馬が集まってきても気にすることなく、フィアは彼に少女の正体を聞きだそうとしている。
ただ聞きたかっただけでここまでするというのも、偏にに彼女の独占欲の強さから来ているのだろう。
「いやー……うーん……覚えてないな。俺は未来に生きている人間だから、数日前のこととか思いだせないしな」
「ほんと……じゃないよね」
「っ……本当だ」
フィアには既に真実が見えていた。今から数日前、彼女は善大王が誰かと遊んでいたということを予見している。
証拠などはないのだが、彼のことならば大体何でも分かるようになっているだけに、それはほとんど事実と言っても過言ではないのだ。
「少し前、私が連絡をした時に言ったよね。詳しいことは会った時にでも聞こうって」
「い、言ったな。そうだな、じゃあ俺が寄った酒場とかに行こうな、なっ」
「本当に行ったの?」
「行った。詳しくはそこで話そう」
そうして二人は酒場へと向かうことになった。意外に素直なフィアなのだが、嘘であればすぐに指摘できるという自信があったのだろう。
二人が訪れた酒場はクレムソン。以前、善大王がヴェルギンと共に訪れた店だ。
「マスター、ひ……数日ぶりだな」
口を滑らせかけた善大王は素早く財布より札を取り出すと、マスターに手渡した。
「とりあえずこれでボトル開けてくれ。あと……フィアはどうする?」
「私はお酒飲めないよ」
「大体何でもあるから言ってみろよ」
「じゃあ、アイスティー」
「マスター、アイスティーは?」
「ありますとも。そっちのお嬢さんが満足できるかどうかは不安ですが」
「大丈夫だ。あと、客を少し離して貰えるか? 彼女といろいろ話すから」
マスターはしばらく考えた後、頷いてみせると、善大王の近くに座っていた客を奥の席へと逃がした。
あっさり移動した客達なのだが、冒険者ギルドの支部として営業している酒場において、喧嘩は割と頻繁にある。それによりマスターが退避を要求するということは、何かしらが起きる前兆があると知らせるという意味を持っているのだ。
人が離れてからしばらくすると、フィアは早速攻撃に移る。
「あの……マスターさん?」
「マスターでいいよ」
「はい。その、ライトは近頃……ここ数日中に来ましたか?」
何も隠さず、単刀直入に聞きに行く辺り、フィアは常識や暗黙の了解は理解していないのだろう。
「ライト……というのは?」
「この隣に座っている人です」
「なるほど、ライトという名前だったんですな。……はい、ちゃんと来ていましたよ」
二人の会話の最中、善大王は口を挟まなかった。挟む必要がないと考えていたのだろう。
彼は金を渡す際に、札で紙を挟んでからマスターに渡したのだ。その紙に書いていたこと、それは何かを聞かれた際に自分が来ていたという証明をしてほしい、というものである。
「ふぅーん……一応ライトは来てたのね」
「おう、嘘じゃなかったろ?」
「……そうかもね。それはともかくさっきの子は?」
フィアは少し時間を置いただけで、攻撃を再開する。今回ばかりはあっさり流されたりはしないようだ。
「細かいことは良いじゃないか。それで、ヴェルギンの家で何してたんだ?」
「えっ……まー細かいことは良いじゃない」
「フィアも何か隠しているじゃないか!」
「ライトと違って負い目はないもん!」
「俺だって……負い目はないぞ」
その後もフィアの尋問紛いの行動は続き、フィアは不利になる度に《魔導式》を展開して喧嘩を始めようとする。この様子をみると、マスターの読みはそこまで間違いではなかったように思えた。




