18
──五年程昔の火の国の城、その一室がそこには映っていた。
ただ一人、何もかもが揃った部屋の中で座り込んでいる、赤い色をした長髪の少女。その少女こそがコアルだった。
「誰も来てくれない……」
幼きコアルは部屋の隅を見る。そこには山積みの箱が置かれていた。
綺麗に包装されている物、包装などされていない大きな木箱、それらは全て彼女に宛てられた物である。
その送り物は本日、この部屋へと届けられた。そう、この日はコアルの誕生日だったのだ。
だが、誕生日だというのにその場には誰も居ない。祝福してほしいはずの日にただ一人、自室にて過ごさなければならない理由があったのだ。
『みんなミネア、ミネアって……』
本来誕生日に来るはずだった来客の大半はミネアの方へと向かっている。誕生日が同じ、というわけでもなく、砂漠より噴き出た溶岩を止めに行くミネアをを見守る為に。
何もせず、俯いていたコアルが外の様子を確認した時には、空は漆黒に染まっていた。
迷い、悩み、苦しみ続けていた彼女は時が立つのも忘れていたのだ。
コアルは気付かなかったが、この時には既に日を跨いだ翌日になっている。彼女は誕生日に誰にも祝福されることなく、大切な日を過ごしてしまったのだ。
もう何もない、そう思った彼女はベッドへと向かおうとしたのだが、外の騒ぎが耳に入った瞬間に改めて窓の外を見る。
そこにはミネアを心配した民達がミネアの名を呼んでいた。コアルではなく、ミネアと。
「やっぱり……私は必要ない子だったのですね……」
コアルの顔は絶望に染まっていた。この世界に居ても何も良いことはない、王族としての生まれは自分にとって多くの恩恵を与えることにはなるだろう。
しかし、その恩恵は所詮情けから来るもの、巫女の力すら持たないただの子供でしかなくとも、役に立たなくとも、王族として生まれたからには安易には消すことができない。だから生かされている。彼女はそう考えて疑わなかった。
何もかもが嫌になったコアルは眠ることで全てを忘れようとする。明日には黙ってこの城から出て行ってしまおう、などとも考えていた。
ただ、城の中まで騒がしくなってくると眠ろうとしても眠れず、仕方がなく大きな声が聞こえる場所へと向かって行く。
そこにはミネアが寝かされていた。体中にひどい火傷を負い、目も開かず、声も弱々しいという重体の状態にて。
「お父様、ミネアちゃんは……」
「安心しろ、まだ息はある。だが後遺症は残るとのことだ」
焦る様子もなく、冷静にミネアの状態を説明するヴォーダンの声を聞きながら、コアルは笑っていた。声は出てはいなかった為に多くの者に知られることはなかったのだが、ヴォーダンには気付かれている。
『……しばらくは騒がしくなるが、コアルは寝室で寝ていろ』
『はい、お父様』
大勢が集まる部屋を出て、暗い廊下を一人歩いていたコアルは人気の少ない所まで来ると、声を出して笑いだした。
『ふ……ふふふっ……一人だけ贔屓されていた罰ですね。神様から祝福された? それであの様子ではそれすら疑わしいですね』
後遺症が残ることが確定する程の大怪我、それは先日届けられた感情なき品々よりも、よっぽど彼女の心を満たしていた。
今日の今日まで、自分は貧乏くじを引かされ続け、比べられ、劣っていると感じながら生きてきた彼女にとって、その対象の絶対的な失敗は何よりも嬉しかったのだろう。
若き少女がそのようなことを感じるという例は普通ではありえないのだが、それ程にコアルはミネアと比べられることを嫌がっていた。
巫女でもない、いい加減な失敗作として過ごした人生は彼女の心を歪め、血の繋がった妹の危機を喜びとして捉えるほどに捻じ曲げていたのだ。
その日、コアルには別の部屋から聞こえる騒がしい音すら、心地よき祝福の子守唄のように感じていた。今後訪れる幸福を考えてしまえば、寝ることが恐ろしく楽しみになっていたのだ。
そうしてしばらくの間、公式の場に立てないミネアの代わりに火の巫女を務めていたのは、言うまでもなくコアルだった。
火の国の王家の娘ということで代役をするには申し分もないだろう、と彼女は本来ミネアが来るはずだった場所にも訪れ、彼女の代理として働いた。
無論、それについて不満など出るはずもなく、むしろミネアよりも節度を弁え、王族の娘として精進していた彼女は結果的には好かれることとなった。
人々に持て囃され、巫女様と呼ばれる快感に浸りながらも、彼女は毎日ミネアの部屋を訪れていた。自分の代わりに不幸になった者の姿を見ることで、以前まで自分が感じていた劣等感を同じように与えたかったのだろう。
目を覚まさない彼女の様子を毎日見に来ていたコアルは心優しい少女として、さらに人々より好かれていき、多くの人望を得ていった。
火の巫女の代理を務めて数カ月、彼女の華々しい生活は、この時を持って終焉を迎えることとなる。
もう二度と立って生活ができなくなると思われていたミネアは、なんと完全復活を遂げていたのだ。
多くの名医と呼ばれる医者や、高名な術者ですら無理だと匙を投げた程の重傷だったはずにもかかわらず。
ただ一人、水の国より訪れた水の巫女、シアンが面会に来た翌日に完治したのだ。
多くの者は水の巫女の力だとも考えたのだが、彼女が術を使えないことは周知の事実だった。その為、民の多くは口を揃えてこう言ったそうだ。
神の奇跡が巫女様を救った、と。
火の巫女の復活を記念し、火の国では大きな祭りが開催されていた。民は喜び、酒を飲み交わし、楽しく踊り明かす。当然、この祭りに火の巫女として現れたのはミネアだった。
祭りの楽しい雰囲気の中、一人だけ楽しめなかった者がいた。言うまでもないが、コアルだった。
「(一時の夢、それでも……もう少しだけ夢を見ていたかったのですが、やっぱり偽物には神の奇跡は起こり得ないということですか)」
いずれこうなるのではないか、そのくらいは彼女にも予測できていた。自分とミネアは根本的に運の固有量が違うのだ、と。
コアルが苦しみ抜いた長い時間は、この数カ月の幸福で差し引き零として扱われてしまった。
何もかも、運という不確定要素すら妹に吸いつくされてしまったかのように思ったコアルは夜を待った。
そしてその日の夜、コアルはナイフを服の内に隠し、ミネアが休養している部屋へと向かった。いくら十全になったとはいえ、それですぐに治療終了とはならなかったのだろう。
静まり返る部屋の中、王族限定の治療室だけあって人の気配は全くなかった。
こればかりは偶然と言うべきなのだろうか、コアルの部屋と治療室は同一の階にあり、その為に防衛術式などに引っ掛かることもなく忍び込むことに成功する。
寝息を立てて横になっているミネアの姿を確認した瞬間、コアルの内に眠っていた憎悪の感情がナイフに宿ったかのように、彼女の手を吸い寄せていった。
「(ここでミネアちゃんを殺しても誰も困りませんよね。なにせこの子が眠っている間、火の巫女は私がやっていたのですから……だから、何も心配せずに──)」
コアルは服の中に隠していたナイフを掴んだ。その行為が何を意味するかを理解しながらも。
だが、再び運という不確定要素がミネアに味方をした。まさに神の奇跡を体現しているかのように、彼女は目を覚ます。
「姉……様?」
「っ……」
自分が暗殺を企てていたのだと気付かれてしまえば、もう二度と火の巫女になることができなくなってしまう。それだけは防ぎたいと、必死に頭を巡らせていた。
彼女にとって、昔から憧れていたものになれるチャンスを失ってしまうことは何よりも重く、王族として過ごす生活というハリボテの栄華の喪失とは比べ物にならないほどの恐怖だった。
「姉様……今日も来てくれたね」
「えっ」
今日も、という言葉に違和感を覚えたコアルは不意に声を出してしまった。だが、出してしまったものは仕方あるまいと、そこで再び黙り込んだ。
「みんなから聞いたの。あたしが眠っている間、毎日姉様があたしの所に来てくれたって。それを聞いてあたし、すごく嬉しかったの」
「…………」
「あたし、姉様に嫌われていると思っていたの。せっかくのお誕生日にもお祝いできなかったし、プレゼントも渡せなかったから」
「………………」
「けど、姉様がそんなあたしの所に来てくれたって聞いて、すごく安心したの。こんなあたしにも優しくしてくれる姉様がいてくれて、一人だったら……たぶん寂しくて、悲しくて……」
コアルは何も言えなかった。全てが悪しき感情から来ていた行為、それでここまで喜んでいる妹の姿を見て、何を言って良いかが分からなかったのだ。
「たぶん、姉様が毎日来てくれていたから……神様もあたしを助けてくれたと思うの」
神様、その言葉を聞いた瞬間、コアルの頭には二つの思考が同時に生まれていた。
自分を救ってくれず、ミネアだけを贔屓するという、皆と同じやり方をして来る存在への憎しみ。
そして、奇跡だ、祝福だと言いながらもミネアにあそこまでの大怪我を負わせ、すぐには助けなかったことに対する怒りとして。
「なにが……何が神様ですか、ミネアちゃんにあんな怪我を負わせて、すぐに助けようともしなかった存在なんて……」
不意に発せられた言葉には後者の思考が含まれていた。きっとコアルはミネアの言葉によって、失われかけていた姉としての、本来の彼女が持っていた優しさを取り戻したのだろう。
それが故に、妹に対する恨みではなく、妹を救わなかった存在へと怒りとなって口から出てきたのだろう。
「……姉様、それは違うよ」
「……?」
「……やっぱり神様のおかげだよ。だって、あたしが怪我を負っただけで済んだ訳だし……そ
のあたしだって今はこんなに元気だし」
「何を言っているの? ミネアちゃんは数カ月も寝た切りだったというのに──」
「それでもあたしだけだったから。他のみんなが怪我をしなかっただけよかったよ。あたし一人が傷ついて、それで全てが丸く収まったことだし」
何を言っているのかが分からず、コアルは沈黙した。
他のみんなが怪我をしなかっただけ良かった、それは建前なのかなどとも考えたが、ミネアがそんなことを言うわけがないことを彼女は良く知っている。
しかし、だからこそと言うべきか、その言葉の意味が分からなかったようだ。
命が奪われるかもしれない大怪我を負いながらもそれでよかったなど、もしも自分がその状況に立たされた場合、嘘でもそう言えなかった。むしろ、自分が怪我をして倒れている間、のうのうと暮らしていた者達を恨み、憎むことすら万民の賛同を受けられるとすらコアルは考えていた。
「本当はどう思っているの? 自分が身代りになったことを後悔して、怪我を負わずに済んだ人を憎んでいますよね?」
自分の汚点を晒してまでも、コアルは真実を知ろうとした。
その結果、妹に軽蔑されようとも、これだけは絶対に聞かなくてはならない。そうしなければ永遠に後悔することとなる。そこまで考え、覚悟した上で聞いたのだろう。
ここでミネアが頷いてくれたのであれば、どれほどコアルの気持ちが楽になったのであろうか。
巫女だなんだと持て囃されながらも、所詮はただの子供・他人の幸せを妬み、恨む、汚れた自分と同じ存在。失敗作だったのだと決めつけられたのだから。
だが、そうはならなかった。
ミネアは首を横に振り、コアルの目を見ると話し始めた。
「あたし以外の人があれを解決しようとしていたならば、きっと何人もの人が亡くなっていたと思うの。でもあたしは死んでいない。父様から教わった通り、事に当たるに対して犠牲者は少ない方がいい、生きてさえいれば再び使いまわせるって」
ミネアが言う父の教えというのは、王族として──民を使う身としての知識だった。人は可能な限り殺さず、死なない程度に使いまわすという、火の国らしい野蛮な考え。それはコアルも知っていた。
「でも、それは駒として使う人のことを言っていて、私達は使いまわされる立場にはないのですよ」
「そうだけど……そうだからかな? あたしは誰かが死ぬのを見たくないの。顔も、声も、何も知らないけれども、あたしはお母様が死んでしまったのがすごく悲しい。だから、こんな思いは他の誰にもしてほしくないの」
幼きが故に理想を追い求められるのか、ただの一瞬そう考えたコアルだったが、そうではないとすぐに理解した。
ミネアは根本的にこういう人間なのだと、察してしまったのだ。
どうして自分ではなく、ミネアが火の巫女になったのか、その理由が漸く分かったとばかりにコアルは黙る。
「姉様?」
急に黙り込んだコアルを心配したミネアは黙り込んでいる姉を慰めようと、その頭を撫でる為に手を伸ばした。
その時、その伸びてきた手には火傷の痕が刻みつけられていた。それに気付いたコアルは声を発する。
「ミネアちゃん……その火傷痕は?」
「これ? シアンちゃんによると、ここだけは傷が酷過ぎたみたいで……一生治らないって」
そこまで大きいわけではないが、それでも永遠に消えないということを考えれば、女の子として非常に大きい痛手である。コアルはそれを強く問題視した。
これほどに幼い時に痛々しい傷跡を残してしまえば、長い生涯にも影響が残るのではないか、と懸念するコアル。それに対して、ミネアはまったく気にしていないような仕草を見せる。
「……ミネアちゃん、私はあなたに、謝らないといけないことがあります」
首を傾げたミネアの前に、彼女を暗殺する為に用意したナイフを出した。
「私はあなたが邪魔でならなかったのです。恨みました、妬みました、その幸運、立場、力を。でも、今はそうは思ってはいません。私が知らないだけで……ミネアちゃんは私が感じたこともないような苦しみに耐え、それであっても私にそれを押し付けたりしなかったのですから」
それを言えば自分の立場がなくなるかもしれない。それでも、コアルは自身の心中を明らかにした。
それは無知故に抱いた彼女へと憎しみ、恨み、妬み、そういった負の感情を謝罪したいと思ったから。結果として許されなかろうとも、ここで謝らずにはいられなかったのだ。
「すみませんでした。ミネアちゃんにはいくら謝罪の言葉を述べても足りないくらいです」
「やめて姉様、私は別に気にしてなんて……」
「いえ、謝らせてください。何も知らなかったとはいえ、私はこの負の感情が許せないのです。妹を殺そうとした、今の自分も……」
「でも姉様は止めてくれたよ。そんなこと誰にでも出来るわけじゃない!」
コアルにとって、妹に対して抱いてしまったこの負の感情──身に残り、自身を蝕み続ける悪の心──はあってはならないものだった。
何としてでも己が内より消し去りたい。そうした願いは、彼女に狂気ともいえる行いをさせた。
「……そう言ってくれて、とても嬉しいです。でも、この場で殺さなければならない者が一人います」
なんと、コアルはナイフを掴むと自分の腕を切りつけた。その場所はミネアが負った火傷痕と同じ場所である。
「ね、姉様!」
「許してとはいいません……ですが、火の国の姫……ヴォーダンの娘として……私の内に居る悪しき自分を殺さなければなりません。これで……止められたかはわかりませんが、あなたの──火の巫女として負った傷を……私も背負います。巫女に憧れた失敗作として……あなたの……一人だけの姉として……あなたが輝けるように……私は……ずっと……あなたを……支え続けます……」
コアルは腕より滴る血液を見ながら、飛びかける意識を無理やり縛りつけ、ミネアの答えを待った。
姉の体から血液が失われていく様を見ながら、それでもミネアは怖じいることなく、彼女が期待しているであろう答えを言う。
コアルが今求めているのは治療でも、心配でもなく、その答えだったのだと分かっていたからこその行動だろう。
「……姉様お願い。これからも私を助けて」
「…………はい……まかせてください……」
そう言うと、コアルは意識を失って、その場に倒れた。
倒れたコアルを見ていたミネアはベッドから起き上がると、部屋に置かれていた救急箱を持ち、治療を開始する。
そして、治療をしながら、自分の痛みを分かち合おうとしてくれた姉の姿を優しげな目でみる。
そして、心の中でこう言った。
「(……姉様、ありがとう)」
その後、城では大騒ぎになったらしく、ミネアと変わる形でコアルが治療室のベッドに入ることになった。その時は、想定していた以上の多くの民が見舞いに訪れたという。
そこで気づいた。彼女が思っていたよりも、この世界は良いものだったのだと──
思い出を辿り終え、コアルはゆっくりと瞳を開ける。
「……ちょっと長く考えすぎていましたか」
「なるほど、そういうことが……」
つい口を滑らせたフィアは素早く口を噤むと、首を傾げて知らない振りをした。
「(気のせいかと思っていたけれど、やっぱりフィアちゃんも巫女みたいですね)」
ミネアに心を読む能力などはないのだが、巫女であれば人の心中を見通すことなどもできるのではないか、という予想をしたコアルはしていた。
そして、それによってフィアがミネアと同じ巫女であることを、直感のようなもので察する。
「そろそろ始めないと、夕ご飯を作る時間がなくなってしまいますよ。さっ、続きを始めましょうね、巫女のお嬢さん」
「えっ、あっ……あはは、ばれちゃった」
誤魔化すのが下手なフィアがあっさり自供すると、コアルは上品に笑い、オアシスを出た。




