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大空のフィア  作者: マッチポンプ
中編 少女と皇と超越者
171/1603

16

「火を使うなって言われたけど……料理すらできないのにどうしたらいいんだろ」


 ヴェルギンとの戦いを終えたフィアは、台所で頭を抱えて悩んでいた。

 ヴェルギンより、火を使った料理を作るな、との注意を受けていたのだ。言うまでもなく、火が放たれた際に消すことができるミネアが寝ていることが原因だ。


「とりあえず、野菜を切らないと」


 前日に切り方を習っていただけに、フィアは手を切らずに野菜を刻んでいった。形は、まだ不揃いだ。


「これ、生でもいいのかな」


 不意に、野菜を生で食べても大丈夫なのかという疑問が押し寄せてくる。その悩みの解決策として、彼女が選択したのは野菜炒めだった。

 能力を使って食べることが可能かを調べることはできたのだが、今のフィアはそうした能力に頼ることを良しとしていない。


「外でなら、使っても大丈夫だよね」


 フィアは頓知のような言い訳を呟きながら、家の中からこっそり拝借した薪と野菜を突っ込んだフライパンを持って外に出た。

 家から少し離れた場所に薪を投げ、そこに術を放つ。小さな橙色の火を放つ、天ノ十三番・空火エアマッチだ。

 火は瞬間的に薪を焼き、炎を作り出す。

 火力調整なしの釜戸で作る料理がどれだけ難しいのかを、フィアは知らなかった。


「いよぉし! これで昨日習った野菜炒めが作れる!」


 その昨日の時点で、彼女は一度として成功させていない。全てが炭になっているのだ。

 そうだと分かっているにもかかわらず、フィアは土壇場で奇跡が起きるとでも思ったのだろうか。どうみても、無茶な挑戦だった。

 そして、調理開始からしばらく経った頃……。


「あわわわわ」


 早速、フライパンの上からは炎が立ち上がっている。結局、フィアが不思議な力に目覚めて成功することもなく、当たり前の結果が現れた。


「ほ、炎消えて!」


 家の中ではないからか、フィアは躊躇せずに術を発動した。

 ただ、今回は吹っ飛ばすようなことはせず、水属性に類似した術を選択する。天ノ十二番・空水(エアウォーター)だ。

 無事、消火には成功したが、そこに残ったのは悲惨な炭だった。

 朝になり、続々と起きてきたヴェルギンとミネアは、そのありえない光景に言葉を失う。


「……それで、これは何?」


 沈黙の末、ミネアが先制して切りだした。フィアは黙っている。


「炭じゃな」

「そう、ですね」


 ヴェルギンとミネアは顔を見合わせ、食卓に乗せられた物質を見ていた。

 炭と言われたものは、炭として扱うにも少なからず悩むようなものだった。湿った黒炭と共に視界を支配するのは、黒い粉末の混じった水だ。


「もう! 二人ともそんな風に言わないでよ!」フィアは涙目になって言い返す。


 こんな食物の域を外れたものを作りながらも、彼女は一応全力で挑んだのだ。それを馬鹿にされてしまえば、このような態度を取るのも頷ける。


「火は使ったかのぉ?」

「……台所を見れば分かる通り」

「では、これは何じゃ」

「料理」

「……それはさておき、なぜ炭になっている」

「炭じゃなくて、本当に料理なの!」

「さて、今日の朝食はどうするか」


 嘘をついているのは、誰が見ても明らかだ。それでも、嘘を暴いたとしても朝食が用意されるわけでもない。


「ねぇ、ミネアぁ……おなかすいたー」

「それ食べなさいよ」

「えー」

「料理でしょ?」

「ぐむっ……」


 ミネアの手痛い返しに何一つ言い換えず、唸ることしかできなかった。

 沈黙、それを生み出したのは他でもない、フィアだった。彼女に他意がなかったとしても、事実そうなのだから仕方がない。

 ぐぅー、と腹の虫を鳴らしていたのはフィアだった。



「おなかすいたよー」


 この場の空気は重い。誰一人フィアを攻め立てない代わりに、二人は完全に黙り込んでいた。

 無言の威圧の中、ドアをノックする音が三人の耳に届いた。


「小父様、遊びに来ました」

「おぉ、コアルか。よく来たのぉ。特におもてなしはできんが、ゆっくりしていってくれ」


 ミネアの姉であるコアルの登場で、場の空気は少なからず和んだ。ただ、心の安定が齎されたのは火の国の二人だけ、フィアは未だに失敗を引きずり、空腹で突っ伏している。


「姉様、何か作って」

「あらあら、朝食はどうしたの?」

「それは……」


 ミネアは机に伏しているフィアを睨むと、コアルを催促した。


「おなかへっているから早く作って!」

「しょうがない子ね。じゃあすぐに作るけど、それまではこれを食べて待っていて」


 手にぶら下げていたバスケットの中から小さな弁当箱を取り出すと、コアルは丁寧に食卓へと乗せる。


「おぉ、ありがたいのぉ」

「さすが姉様、気が利く!」


 ミネアは最低限の礼を済ませると、今か今かとコアルの許可が出る瞬間を待った。

 理解したコアルは、食べてもいい、と頷く仕草を送った。それと同時に、ミネアの手は食卓に置かれている弁当箱へと向かい、障壁として存在してる蓋を荒々しく開けた。


「わぁ、姉様のサンドイッチ! あたしこれ好き」

「嬉しいことを言ってくれますね。さぁ、どうぞ」

「いただきます!」


 よほど腹を減らしていたのだろう、ミネアは弁当箱からサンドイッチを取ると、驚異的速度で食していく。

 礼儀がなっていない彼女を戒めるは自分の役目と、コアルはそんなミネアを叱ってゆっくり食べさせた。


「小父様もどうぞ」

「ン、そうだのぉ……いただきます」


 ヴェルギンはコアルに促されることで食べ始めた。しかし、不思議なのは彼も空腹感を覚えていたはずだが、なぜミネアのようにすぐ食べなかったか。


「(しばらくはミネアに頼むべきだと思ったが、コアルに頼んでもいいかもしれないのぉ)」


 彼の頭の中には翌日の朝食当番のことしかなかった。またフィアに任せて黒炭を生み出してしまうというのであれば、古くから通している流派のルールすらねじ曲げさせることも厭わないと彼は思っていたのだ。


「そこで伏しているあなたもどうぞ」

「ぶにゅー……」


 フィアの憂鬱は未だに続行中のようで、唸り声をあげるだけで一行に伏した状態から戻ろうとしない。コアルは彼女がどうしてそうなったかを知らないが、それでも無理に起こそうとはしなかった。


「幾つか残しておくので後で食べてくださいね」

「にゅー……」


 返事にもとれる唸り声を聞き、とりあえずこの場でなすべきことをなしたとし、事前に宣告していた朝食作りに移る。

 ミネアとヴェルギンがサンドイッチを頬張っている最中、コアルはただ一人料理を作っていた。手伝わない二人は全く無神経だ、と思う者は多いだろう。

 だが、この二人は知っている。コアルが料理好きであることを──そして、自分の作っている料理に首を突っ込まれると、激昂するほどに料理を愛していることを。


「ミネアー……」

「なに?」

「ミネアとコアルさんってどっちの方が料理得意なの?」


 フィアは机に伏した状態で弱々しい声を出し、問いを投げかけた。だがそれを聞いて黙っているミネアではない。


「なに? 私よりも姉様に習いたいって?」

「だってあんなのしか作れなかったし」

「一日じゃあんな物よ……火を使わずに焦がすのはあり得ないけど」

「ぐむむ……」


 自分にも非があることは他の誰でもない、フィアが一番痛感していた。

 それであっても何か言い返したいと思っているフィアなのだが、焦がした原因を隠さなければならないので、ここでは何一つ言い返せずにいる。


「……まぁ姉様の方が料理上手いことはあたしも分かっている。でも、姉様はあたしと違って甘くないからおすすめしないけど」

「えー……ミネアより?」

「何よ。姉様に比べたらあたしの方がよっぽど優しいわよ」


 フィアは面を上げると、どうみても疑っているような顔でミネアの顔をじとっと見ていた。


「何なら一日体験してみればいいじゃない。すぐに分かるわよ」

「そうしようカナー」


 演技臭いフィアの話し方が癇に障ったらしく、ミネアは机を強く叩いて立ち上がった。


「教えてあげているのに何なのその態度!」

「むぅ……そんなに怒らなくてもいいのに」

「数年間引きこもっていたからって、そんな人の接し方だと嫌われるわよ」

「ライトが好きでいてくれたらいいもん」


 少し前まで怖がっていたフィアに対してここまでの猛攻。フィアを助けようとしている気持ちが強いのか、それとも元々の性格で接しても問題ないと判断したのか、その両方か。

 どちらにしてもフィアが引きこもっていたという、星の六人が敢えて触れていなかった点を突く辺り、後者なのかもしれない。


「善大王に頼ってばかりだと独立できないでしょ!」

「する気ないもん! ライトのお嫁さんになるから!」

「お、お嫁さんって……意味分かっているの?」


 ミネアは顔を赤らめ、フィアの言ったことを再度確認した。

 彼女からしてみればフィアはもう子供ではないのだ。そんな年で嫁になる、などということを言うからには、その先の何かを見通して言っていることを指していると勘ぐっていたのだ。

 だからこそ、彼女は冗談のようなフィアの言葉でこんな反応をしてしまった。

 だが、そんなミネアの考えとは裏腹に、フィアは純粋に善大王の嫁になるというだけで、ミネアの想定していたであろう大人な関係はまったく考えていない。


「ライトは掃除も洗濯もできるから私も楽できるし」

「ちょっとまって、何? もしかして善大王に家事を任せるつもりなの?」

「うん。ライトは何でもできるからね!」


 善大王のことをまるで自分のことのように誇っているフィア。

 しかし、結局は全部を善大王を任せにしているのではないか、とミネアは思っていた。彼女だけではなく、二人の会話を聞いていたヴェルギンもまた然り。


「むふぅ!」

「いや……偉そうにしても全部善大王のことだから……」


 得意顔でご満悦のフィアを余所に、ミネアは呆れながらも元の話に戻そうと咳払いをした。


「家事もできないダメダメ引きこもり娘なんて、年取ったら善大王も引き取らないわよ!」

「…………」


 ミネアは予期せぬフィアの沈黙に意表を突かれていた。

 ここでは彼女を煽り、やる気を再燃させるつもりだったようだが、どうもそうはいかない流れへと変化している。

 沈黙するだけならばさほど気にしなかっただろう。しかし、今のフィアがどこか寂しげで、一線を引いた場所にいるかのような孤独さを感じさせる表情をしたことで、ミネアは問題意識を抱いた。


「善大王は子供が好きみたいだけど、そんなに心配しなくたって……」


 ミネアはかつて自分が恐れていたフィアの一端のようなものを感じていたのだ。

 全てを壊すような性質と、すぐに壊れてしまいそうな性質を感じさせていた──昔のフィアが漂わせていた気配。それを感じたからなのか、彼女は話の流れを切断するような形で、すかさず慰めようとしていた。


「フィア、あの──」

「……だ、だよね! ライトは私がお婆ちゃんになっても……なっても……好きでいてくれるよね。そんなこと言わなくても分かってるよーだ」


 いくら隠そうとしても彼女の演技はそこまで上手くない。明らかに何カ所か気持ちが沈んでいると気付かせる要素が存在していた。

 フィアの落ち込みの原因、それはおそらく善大王が本当に年老いたフィアを愛せるかどうかだ。それが彼女にとっての不安なのではないか、ミネアはそう考えていた。


「フィア、悩むくらいなら前進あるのみよ。あなたが家事の技術を取得して、善大王の代わりにやっていれば、きっと手放せなくなるわ。家事なんてものはしばらくしないだけで結構できなくなるものだから」

「ミネアは掃除とか洗濯できるの?」

「まぁ一応はできるけど、教えられる程でもないわね。姉様に習ったらどう?」


 ミネアは料理に関していえば、かなり上手な部類に分類される実力を持つ。だが、それは料理に限ったことであり、掃除洗濯などの主婦が行う家事などについては普通だ。

 文句を出されることもないが、誉められるような出来ではない。自分でやる分には困らないが、ダメダメっぷりを発揮したフィアの先生をするには不足と言わざるを得ない。


「でもさっき厳しいって言ってなかった?」

「料理はね、それ以外なら普通に教えてくれると思うわ」

「はぇー……」

「はいはい、お話はそのくらいして。ご飯ができましたよ」


 二人の会話がある程度纏まるまで待っていたのか、大きめの皿から溢れんばかりの大盛り野菜炒めから上る湯気は穏やかになっていた。


「姉様がこんな普通の物作るなんて珍しい」

「早めにってことで、今日は程良く手を抜いてみましたよ」


 出来立てでもないはずの野菜炒めをじーっと見ていたフィアは表情にこそ出さなかったが、凄まじく驚愕していた。

 あの短時間にここまでの物を作ることが可能なのか、と。そしてそれだけではなく、自分も修行次第でこのような物が作れるのか、という期待感に胸躍らせてもいた。

 ミネアやヴェルギンは何事もなく食事を食べ始めていたのだが、フィアはこうしたことを考えていたことで固まっていた。


「フィア……ちゃん? あなたもどうぞ」

「あっ、はい。いただきます」


 フィアは合掌をすると、大量に盛りつけられていた野菜炒めを小皿に移し、一口だけ食べた。

 コアルの料理に不信があったわけではない。ただ、ガツガツ食べているミネアとヴェルギンと違い、彼女は小食気味なのだ。


「ぱくっ」


 フィアがよく咀嚼して食べているにもかかわらず、ミネアとヴェルギンは一切気にすることなく素早い速度のまま食べ続けている。


「うん、美味しい!」


 フィアはそういうと、自分の小皿に乗せた野菜炒めを食べ始めた。その速度は、次第に速くなっていく。

 そんな彼女の様子を見ながら、コアルはお淑やかに微笑んでいた。


「よかった、姉様を呼んで」

「ふえ? ミネアが呼んだの?」

「うん。この家では新入りが料理を作るのは習わしだし、フィアがちゃんとした物を作れなかった時に備えて」


 ルールを知っているのであれば初めから説明してほしい、とフィアは怒りの炎を燃やし、皮肉を言うべく口を開いた。


「姉を呼ばないと自分の不始末の処理もできないなんて。ぶつぶつ……」


 ミネアには聞こえていた。しかし、その場にいた二人には声が聞こえておらず、姉であるコアルや師匠のヴェルギンが二人の間に割ってはいることもなかった。

 よって巫女の間での小言ということで落ち着いた。

 しかし、ミネアですら聞こえたのは最初のところまでで、途中からはぶつぶつ言っているだけで何を言っているのかを理解しているわけではなかった。

 それでも、ミネアを挑発するには十二分である。


「聞こえているわよ」

「聞こえるように言ったもん」


 目線をあわせて火花散らす二人を見ると、コアルは笑った。そして、時を見計らって余っていた席に座ると、自分も料理に手を付け始める。


「あれ、そういえば何で四人分も席あるの?」フィアは問う。

「客が多ければさほど珍しくないと思うけど?」


 質問した直後に、問いの答えにならない返答を挟んだミネアをフィアは睨みつけた。ただ、すぐに切り変え、コアルの方を向いてもう一度同じ質問をする。


「どうして四人分も席があるんですか?」

「私はいつもここに暮らしているわけではないのであまり詳しくはないのですけど、つい最近まで誰か一人居たみたいですよ」

「だれか一人……?」


 いったいどんな人物が居たのか、とフィアは考えていた。彼女には直接関係ないことなのだが、誰かがいたと言われるとそれがどんな人物かが気になるのは必然。


「変な奴よ、地面に付くかもってくらいの丈長の黒いマントと、鎖の装飾を付けた……変な奴」

「なに? ミネアはその人好きなの?」


 ミネアは激昂すると、顔を真っ赤にしながらフィアの胸倉を掴んだ。


「そんなわけないでしょ! そもそも何で今の話の内容からそう思ったのよ!」

「だってミネア、その変な人の話をした時……物憂げな感じだったもん」

「えぇ……えぇ、そうですとも! あの格好付け男が居なくなったせいで近頃ずっと私が家事やらされていたからね……!」


 ミネアの顔や怒りの気配は、それが恥ずかしいことを隠す為に言ったのではないことを物語っている。


「それで、どんな名前なの?」

「そんなの聞いても分からないでしょ」

「でも帰ってきたときに知らない人だったら怖いし……」


 フィアはその人物が帰ってきたときのことを考えていた。両者とも相手のことを知らない状況など割と起きるのだが、彼女が一人だった時にそうなってしまえば、仲を取り持てる人間がいない状態で進めなければならないのだ。

 つまり、フィアは初対面で遭遇する事態を恐れているのだろう。


「はいはい……ガムラオルスって奴よ」

「ガムラオルス……」

「はい、知らないでしょ。この話終わり」


 ミネアは妙にこの話題を切断しようとしている。それだけその者が嫌いなのか、それともそれ以外の理由があるのか、おそらくフィアとの喧嘩中なので妨害したいだけなのだろうが。


「(ガムラオルス……どこかで聞いたことがある気が……)」


 フィアは頭の中に存在するガムラオルスの情報の断片のようなものが気になり、思いを巡らせた。

 いったいどこで自分がそれを知ったか、誰から聞いたか、なぜ気になったのかなど、そこに至るまでの原因と動機を探っていく。そうして彼女はついに答えに至った。


「いや待って……その人って《風の一族》の人?」

「……何で知っているの?」

「ティアがガムランって人と戦っていたから。名前も少し似てるなぁと思って」


 興味がなかったこともあり、フィアは《風の大山脈》で出会ったガムラオルスから名前を聞いていなかった。

 ただ、ガムランと呼んだティアの言葉だけが、唯一彼に繋がる情報だったのだ。


「ティアが……ねぇ。それで、ティアとあの馬鹿はどういう関係なの?」

「えっ、あー……幼馴染で、恋人みたいな?」


 フィアは知る限りの情報からその言葉を構成した。


「みたいなってなに?」


 ミネアがすぐに追求するのだが、フィアとしてはこれが出せる限りの言葉。しかし、それは

簡潔に説明しようとすればであり、普通に説明するとなればもう少しわかりやすくなる。


「ティアは好きらしいんだけど、ガムラオルスって人はその気持ちに気付いて──いるのかな? とにかくラブラブじゃないんだって!」

「それで、みたいってことね」

「うん!」


 フィアは自分の言葉が通じたことに、内心喜んでいた。

 何度も指摘された通り、引きこもりダメダメ少女という面は彼女自身も自覚しており、他人とのコミュニケーションについては特に苦手な部類だったのだ。それがいくら肉親だとしても、近しい存在の仲間だとしても例外ではない。

 一応、善大王という例外があったのはここでは伏しておくべきか。


「つまり、あの馬鹿は恋人を故郷に残してあんなことしてたのね……さらにムカついてきたわ」


 歯を強く噛みしめ、熟れた林檎程度なら砕けるのではないか、という気迫を放ちながらミネアは拳を握った。

 今の彼女からは、想像を絶する怒りを含んだ負のオーラが溢れ出していた。これにはフィアも萎縮を隠せず、恐れながらに質問を投げかけた。


「そ、その……その人は何をしたの?」


 質問されてから、少しの間が存在していた。ミネアは何も答えず、怒りの放出を止めて黙り込んだ。


「そ、その……何してた──」

「馬鹿なことをしていたの!」


 嵐の前の静けさは終焉を迎え、怒濤の如くミネアの怒りが一斉に溢れ出した。

 一時の充填時間があったからか、その勢いは先程の比ではないほどに激しくなっていた。


「目を覆いたくなるような奇行の数々……そのほとんどが現在、あいつのの身元を引き取っている師匠とあたしも関係しているなんて思われているのよ! たまったものじゃないわ!」

「へ、へぇ」

「へぇ、じゃない! フィアも見ればあれがどれだけひどいかが分かるわ!」

「う、うん……そのうち」


 怒りの心に捕らわれたミネアの口撃はフィアに虚栄を張らせないだけに止まらず、弱腰な態度にするほどの強さがあった。


「まぁまぁ、ミネアも落ち着いて」とコアル。

「姉様は黙っていて!」


 ドンッ、と彼女が机を叩くと、食卓の縁に置かれていたフィアの皿が床へと落下した。


「……ねぇ、ミネア?」

「だから姉様は黙っ……」


 ミネアは何かに気付いたのか、それ以上何かを言おうとはしなかった。


「人の作った料理をよくも落としてくれましたねー」

「……姉様ごめんなさい」

「それだけではないですよね」


 コアルの身より放たれていた怒りは、ミネアが纏っていたそれすらも超越していた。

 それを証拠にミネアまで恐怖に竦み、少し前までの威勢の良さはどこへやら、といった具合に恐れ入って小さくなっていた。


「(私が拾わないといけないのかな?)」


 自分の足下で広がる惨劇──割れている皿と地面にぶちまけられた野菜炒め──を目の当たりにしたフィアは席を立つと、皿の破片を拾おうとした。


「痛っ」

 割れた食器の片づけを彼女がやったことがあるはずもなく、そうしてしまえばどうなるかについても判断が付かなかったのだろう。皿の破片によりフィアの指は浅い切り傷を負った。


「大丈夫? 傷口見せて」


 コアルはそれまでは鬼のような迫力だったが、フィアが怪我をした途端に切り変え、ミネア

が野菜炒めを落とす前までのお淑やかな印象を持つ女性へと変貌した。


「傷は浅いみたい……少し痛いけど我慢してね」


 民が着るような安物の服ではなく、貴族が──それも王族が着るような豪華な衣服を、コアルは何の迷いもなく破った。

 そのまま包帯のような形になった布を持つと、傷を負ったフィアの指をその布切れで強く締め上げ、止血を開始した。

 傷が浅かったこともあり、フィアの流血はすぐに止まった。血が止まって少しすると、コアルは薬箱のようなものを持ってきて、一時凌ぎの治療として処置を行った。


「あの、その……私の為に……その、そんなに綺麗な服を……」

「そんなに堅くならなくて大丈夫ですよ。後、しばらくは私が家事を代わりにするので、ゆっくり怪我を治してくださいね」

「コアルは甘いのぉ……その程度の傷、唾を付けておけば勝手に治るものじゃ」

「そういうことは屈強な小父様のような人でないと難しいですよ。何せフィアちゃんは──こーんなに小さい女の子なんですから」


 コアルはフィアを十歳未満の女の子だと思っていた。それに付随し、年上であるミネアとあそこまで言い合うのだから、きっと気丈な性格なのだろうとも考えていた。


「あっ……ありがと……」


 頬を赤く染め、フィアは恥ずかしそうに小声で言う。


「フィアちゃんは恥ずかしがり屋さんなのね」

「うぅ……」


 フィアは恥ずかしがっていた。だが、それは彼女が知らない人と話すのが苦手という、悪い性質が原因なだけ。本来は恥ずかしがり屋なわけではない。

 百歩譲って恥ずかしがり屋だとするならば、善大王にあそこまで激しいアピールをすることもないだろう。


「うーん、フィアちゃんはお掃除とかはできますか?」

「できます!」

「姉様に嘘いってもすぐばれるわ」


 ミネアが小声でそう呟くと、フィアは頭を大きく下げて謝った。


「ほ、本当はできません」

「うん、正直なのはいいことね。じゃあミネアがお料理を教えている間は──そうね、私もフィアちゃんにお掃除やお洗濯を教えましょう」

「いいんですか?」

「えぇ、でも私も小父様みたいに厳しいですよ。それでも大丈夫?」

「は、はい!」


 せっかく料理を習っているのだ、この機会に家事全般を覚えておこう、などとフィアは考えてコアルの提案を呑んだ。その選択が首を絞めるとも知らずに。


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