9
憂鬱に、ただ時が過ぎるのを持つフィアは、明日の予定について考えていた。
ミネアの提案であるお菓子作りの修行。問題は明日までこの国に滞在するか分からないというところだ。分からないにも関わらず承諾してしまったことについては、フィアも後悔していた。
そんな悩み顔のフィアは意外に目立った。ずばり、自分の娘自慢をしていたヴォーダンの目線がフィアに行くほどに。
「先ほどから気になっていたのだが、その女子は誰だ?」
特に話すことがないので黙っていたフィアは、口を手で覆いながらあくびをした。しかし、自分に向けられている二つの視線に気づいた途端、急いで背筋を伸ばす。
「えっ、私?」
「君は善大王殿の娘……いや、妹君か?」
善大王の年齢を考えると、フィアが娘、または妹に見えるのはそこまでおかしくはない。むしろ、それ以外の場合がありえない。彼の名誉を守る為にも、普通な選択肢を出したのだろう。
「私はライトの恋──」
「こいつは天の国のお姫様だ。今はいろいろあって預かっている」
自分が善大王の恋人にみられず、不機嫌になったフィアは彼が自分の言葉を遮って話し始めたことで、さらに不満を溜め込んでいた。
「ほほう、これまで姿を現していなかったが……このような女子だったとはな」
フィアは祭典などに参加はしていた。神の代理人として、その役目を果たしてはいたのだ。
ただ、その際はベールのようなもので顔を隠していた。態度が違うことも含め、本性が明らかになったのは今だろう。
「(虎の子の姫を善大王に預けるとは……光の国との間に友好以上の関係があるというわけか)」
ヴォーダンは六大国家の現国王の中でも、最年長だ。当然、ビフレスト王の親馬鹿具合も認知している。
知っているからこそ、特に過保護に育てていたであろうフィアを、外国の人間──それも王に預ける行動の重大さを理解していた。
「じゃあ、そろそろ帰らせてもらう」
「いいのか? そちらのお姫様はもうお眠のようだが」
善大王はその言葉を聞くと、分かりながらも目だけを動かし、隣に座っているフィアの様子を確認した。
「おい、起きろ」
「……にゃむん」
フィアはゆっくりと瞬きをしながら、顔をカクンカクンと揺らしていた。その目から眠気を感じ取った善大王は、仕方なさそうにヴォーダンに向き合う。
「火の国でのんびりしていってもらっても構わないが」
「おっ、そうだな。じゃあ、頼む……とりあえず、部屋を貸して欲しいのだが」
「空いている部屋はいくつかあるが……民のことを考えると、善大王殿にはどこかの宿に泊まって欲しいものだ。環境に不満があれば、用意させるが」
民の為、というのは善大王が宿代を落とすことを考えているのだろう。数日の滞在でも、客が一人増えるだけで儲けは大きくなる。良くも悪くも、商売人の気質もあるようだ。
「じゃあ、探させてもらうかな」
軽く揺すってフィアを起こそうとするが、それでもまったく目を覚ます様子はなく、仕方なく善大王はフィアを背負った。
それからヴォーダンに一礼し、善大王は町に向かって歩き出した。
「あれ、もうお話は終わったの?」
「今寝ている場所をみてから、もう一度聞いてくれ」
フィアはソファーの上で寝ているものとばかり思っていたが、実際はベッドの上だった。
「眠っちゃってた?」
「ああ、相当」
善大王は締め切っていたカーテンを開くと、窓ガラスを数回叩いて今の時間を伝えた。
「お昼?」
当たり前な質問をしながらも、フィアは約束を思い出し、急いで身だしなみを整えていた。
眠っていた時間、善大王の様子、そして昼という状況から一日が過ぎたと判断したようだ。
鏡に向かい合うフィアの様子を見ながら、善大王は呆れたように彼女を急かした。
「まったく、ミネアがさっき来ていたぞ。何の用かは言わなかったが、早く会いにいってやったほうがいいんじゃないか?」
「あー、うん。でも、ライトはいいの?」
「なにが?」
「その、光の国に帰らなくても」
「ああ、ヴォーダンからの提案でしばらく休暇をとることにしたんだ。ちゃんとシナヴァリアにも伝えてあるから問題ナシだ」
善大王としても、この休暇申請はとても都合が良かった。飽くまでも、これはヴォーダンからの要求であり、本来の休暇日数は減らされない。
強調するようにヴォーダンの提案、ということを押し出した結果、シナヴァリアも嫌々に納得した。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
「ああ、ちゃんと夕方になる前には帰ってこいよ」
「子供扱いしないでよ!」
「はは、分かった分かった。じゃあ、気をつけてな」
「うんっ!」
フィアは櫛を鏡の前に置くと、走って部屋から出て行った。かわいらしい走り方をするフィアを見て、善大王が微笑ましい光景だと思っていたことは言うまでもない。
「さて、フィアが帰ってくるまでどうするか……よし、とりあえず、遊びに行くか!」
カーテンが開け放たれ、外の景色が窺えるようになった窓際に寄り、善大王は町を歩く少女を検める。
その目は、明らかに子供をみるものとは違っていた。まるで、狩人が獲物を前にして見せる舌なめずりを想起させる、危険な前兆。
宿の外に出た善大王は、フィアの魔力を探り終えた後、興味を引かれた少女に話しかけた。
「やぁ」
「旅人さん?」
「ま、そんなところかな……どうだろうか、放浪の旅人に道先案内をしてくれないだろうか」
日焼けした少女は少し困惑した表情を見せたが、羽振りのよさそうな善大王の服装、彼の容姿などに惹かれ、承諾した。
「うん、そうだな。まずはどこかでお茶でもしよう、もちろん……俺が奢るよ」
「高いの頼んでもいいの?」
「もちろん、親切なレディには最上級の礼儀で返すのが紳士の嗜みさ」
そう言い、善大王は屈みこみながら少女の顎に手を回し、顔を近づける。
少女に抵抗させるようなムードを作らず、善大王は優しくも、悪魔のような甘美な笑みを浮かべる。
それだけで少女は心を奪われ、静かに頬を赤らめた。
「(うむ、やはりたまにはこうして発散しなくてはな。よし、今日はフィアが帰ってくるまでに、ちゃちゃちゃっと済ませておくか)」
ひとつの決意をした善大王はその目的に向かって歩き出した。




