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「とりあえず適当に作ってみるから、少し待ってて」
適当とは言ったものの、本気で適当にするのはミネアの美学に反するらしい。
少し目を閉じ、どういうものを完成させるかをイメージし、ミネアは目を開いた。
そのまま食糧倉庫に向かったミネアは僅かな時間で帰ってきた。
生地が発火するまで呑気に探していたフィアとは動きが違う。明らかに、調理しなれている動きだ。
「早いね」
「場所は結構知っているから、これくらい当たり前よ」
材料調達を終えると、ミネアはすぐに作業に移った。
特におもしろくもない普通な調理風景だが、フィアは目を輝かせていた。
つい先刻、自分が慣れない手つきで一生懸命作ろうとしていたものを、ミネアは手際よくやってのけているのだ。
日常的に行っているであろう熟練の動きをみて、フィアは感動していたらしい。
「あとは生地を冷やして……」
「ミネアすごい! 料理人みたい!」
「いつもしているからこれくらいは普通だけど……」
誉められながらも、ミネアは謙遜した。
その謙遜は畏まりというよりかは、フィアにどう接すればいいかをつかみ切れていないのが原因だろう。
フィアとミネアは同じ巫女の一員、世界で七人しかいない同類。数少ない共感者だ。
しかし、それらの要因があったとしても、ミネアとフィアの間には距離がある。フィアが壁を作るならばいつものことだが、今はミネアの側が距離を取っている。
かつて起きた事件がその原因なのだが、フィアはそれを自覚すらしていない。ミネアは、それをいつまでも引きずっていた。
それは、まだ巫女達が二桁の年にもなっていなかった頃に起きたことだった。
その当時、ミネアはフィアが恐ろしくて仕方がなかった。実際には出会ったこともない、自分の上司。そうなると怖くて当然かもしれないが、それとは違った意味の恐怖なのだ。
蛇に睨まれたカエル、猫を前にしたネズミのように、本能的な恐怖をミネアは感じていた。
ただ、ある時を皮切りに恐ろしかったフィアはそれまでの態度を一変させた。
直接的な恐怖心はそれ以降なりを潜めたが、幼少期に植え付けられた恐怖心はすぐに消えることはなく、今もなお残り続けている。
「私もミネアみたいに料理ができたらいいのになぁ」
「少し意外。フィアなら召使いに用意させそうなのに……あっ」
さりげなく、フィアが人任せにして動いているような人間と断じてしまい、ミネアは口を噤んだ。
「そんなに意外かなぁ……でも、ライトに作ってあげたいってのが理由かな、そうじゃなかったら人に任せちゃいそうだし」
「ライト……さっきからその名前が出ているけど、それって誰なの?」
「うーんとね、善大王のこと。今のね」
今の善大王と付け足したのは、無用な勘違いを起こさないためだろう。ただ、その注釈はミネアに別の感想は抱かせた。
「(善大王の本名ってライトだったのね……なんであたしに名乗らなかったのよ)」
察しの悪いフィアだが、今回だけはすぐに気づいたらしく、訂正を入れた。
「あっ、でもライトをライトって呼ばないでね。その、私だけが使っている名前だから」
「愛称?」
「少し近いけど、違うかな」
「それは分かったけど、その……フィアは善大王とはうまくいっているの?」
会話のタネが尽きたことがきっかけなのか、ミネアは惚気話へと移行した。
ただ、それがいい反応を期待できるとは断言できない。自分の恋愛問題に首を突っ込まれ、フィアが不機嫌になる可能性すらあるのだ。
なにぶん、フィアが恐ろしいだけに、たったこれだけのことでもミネアは緊張感を持つ。
ゴクリ、とつばを飲み込み、自身の緊張を和らげようとする。可否は今、目の前に迫っている。
「聞いてくれるの?」
「え、ええ」
好意的反応かどうかは未だ分からず。次の言葉まで先延ばしとなった。
ただ、このままフィアの言葉──結果を待つだけというのはミネアのポリシーに反する。危険に足を踏み入れることになろうとも、彼女は自身の手で答えを導き出そうとした。
「冷たくされたりしてない?」
再度つばを呑み、フィアの問いを待つ。
自分で選択した行動なだけに、後悔はない。ミネアは強い意志を瞳に込めた。
「そうなの! ライトったら最近は全然遊んでくれなくて、仕事ばっかりしているの。巫女としての私からすれば、ちゃんとしている善大王ってのは誉めるべきなんだけど、女の子としてはちゃんと遊んで欲しいと思っているの! ミネアも分かるよね!?」
「う、うん」
想像を絶するフィアの熱意に、話を振ったはずのミネアが圧倒されていた。その結果か、話が繋がらないような単語を不意に口にしてしまったようだ。
「だよね! ライトは鈍感じゃないけど、役職のせいで遊べないの。全部シナヴァリアさんに任せてくれれば良いのに」
だいぶ無責任なことを言っているフィアなのだが、子供な上に、異常なまでの依存をしている彼女の場合はそれも仕方がないといえる。
「シナヴァリアさん……って、善大王の補佐かなにかなの?」
「うん! すごく頼りになる人だよ」
とりあえず、シナヴァリアという人物がすごい手腕を持っているということがわかっただけで満足と、ミネアはそれ以上の追求をしなかった。
そして、話題が尽きた時点で、ミネアはクッキー作りを再開し、黙々と作業する。
ミネアが黙ってお菓子作りしている最中も、フィアは興味深そうに手順を確認していた。
教授を受けるのでなく、相手の技術を模倣しようとしているかのように。
「えっと、なに?」ミネアは問う。
「うん? ただ見ているだけなんだけど、駄目かな?」
「教えたほうがいい?」
「えっ?」
ミネアの声は呟くように小さく、フィアの耳には認識されていなかった。
「あたしで良ければ、教えようかな、と」
「いいの?」
「うん……でも、今日はできないから、明日にでも師匠の家で教えるわ。だから、今日は我慢して」
ミネアはそう言うと、完成したばかりのクッキーを皿に盛り付けてから、手渡した。
「フィアが作ったってことにしておけば、善大王も見直してくれるんじゃない?」
「でも……うん、分かった! ありがと」
フィアは良心により、自分が作っていないものを手渡して好感度を高めるようなことを、良しとはできなかった。
それでもミネアが提案してくれているからに、断るほうがもっと良くないと考え、受け取ることになったようだ。
フィアは皿を片手に持ちながら、善大王とヴォーダンの魔力を探る。どうにも、部屋を移したらしく、謁見の間からは魔力を感じ取れなかった。
「善大王なら、応接室に向かったわ」
「あっ、ありがと!」
フィアはそれを聞くと、嬉しそうに厨房を出て行った。
その場に残されたミネアはゆっくりと深呼吸し、壁に寄りかかる。
「フィアに料理を……自分で言ったけど、できるのかしら」
明日と言ってしまったことを後悔しながらも、ミネアは厨房の掃除を始めた。
「それでコアルが──」
扉のノック音がヴォーダンの会話を遮り、二人は沈黙した。
「入れ」
「はい!」
扉を片手で開けて入ってきたのは、フィアだった。もう片手で持っている皿にはクッキーが乗せられており、見る限りだけでは彼女が作ったようにしか思えない。
事実、二人ともそう考えていた。
「お、フィアは料理なんて作れたのか」
ごく平凡なことを聞いたヴォーダンは驚いた。
「なに、女子は料理をできるものではないのか?」
「いや、このくらいの年齢じゃ普通は作れないと思うが」
「ふむ……ミネアもコアルも幼い頃から作っているものだから、誰もができて当然とばかりに思っていた。いやはや、知識が偏るのはよくないことだな」
「ははは、違いない」
和気藹々としている二人の会話を聞き、フィアは冷や汗をかいていた。
部屋が暑いのが原因ではなく──汗をかく程に暑いのは事実だが──このクッキーが自分の作ったものと勘違いされていることによる、緊張の汗だった。
「(私が作ったわけじゃないけど、言ったほうがいいかな?)」
正直に言おうとしていたフィアだが、彼女がそれをできるほど強い肝を持っているはずもなく、黙って机の上に置いた。
「フィアが作ってくれたなら、俺が食っても良いよな?」
「えっと、うん。あっ、ヴォーダンさんもどうぞ」
「うむ、ありがたく頂こう」
善大王とヴォーダンは適当にクッキーを一枚取り、ほぼ同時に頬張った。
緊張の一瞬、自分の嘘が見抜かれるかどうかは、おそらくここだけだとフィアは断じていた。
そう思った途端、彼女の不安値は恐ろしく上昇していき、湯でのぼせたかのように顔を赤くする。皮肉にも、先ほどのミネアと同じ気分を味わっているようだ。
「うむ、なかなかいける」
「うん、うまいうま──これ、フィアが作ったんだよな?」
「え?」
善大王に気づかれたと思い、フィアは信じ切れないほどに焦りだした。
もしかしたら気づくかもしれない、彼女は初めからそう思っていた。
ただ、それでも実際に嘘がバレたともなれば、当初想定していた最悪の状況に置かれたことを自覚せざるを得なくなる。
「いやぁ、思ったよりもうまくてな、本当にフィアが作ったかが気になっただけだ。これ、味しいぞフィア」
善大王は笑っていた。そして、素直にフィアが持ってきたクッキーを誉めていた。
それは誰がどうみても自然な反応で、演技なども含まれていない様子だった。ただ、実際にはそうではない。
「(この菓子からフィアの味がしないな。生地に触れず作ることは不可能であるからして──いや、それ以前にこのミネアが全ての答えか)」
フィアの味、ミネアの味というのは、所謂彼女らの汗などの代謝物の味だ。
しかし、そのようなものを判断できる人間はいない。焼き菓子であることが原因でもあるのだが、その上で個々人を特定している時点で人間離れしている。
フィアが予測した最悪の状況はつまり、彼の人間を逸脱した察知能力が参考情報に含まれていたといっても過言ではない。
理解しながらも、善大王は言及しなかった。それは、彼女が恐れた圧倒的なまでの能力が、フィアにとって不都合な情報をだけを告げるものではなかったからだ。
「(フィアの様子、俺が真実を明かすことを恐れているな……言うわけないだろ)」
フィアの用意した菓子を食べ終えると、ヴォーダンは話を再開した。ただ、それは国家としての重要なものではなく、ただの世間話。人間関係の面から言えば、十分国交の一部とも言える。
二人の会話が始まれば、フィアに話せることはなくなる。この場に限っていえば、彼女はただの部外者に過ぎない。




