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「どうやら、お前は犯人じゃないみたいだな」
「言うまでもない。だが、何故そう思った」
「お前からは人殺しの気を感じない。それに、そんなことをする奴があれだけ熱い意思を持っているとは思えない」
ガムラオルスは鼻で笑うと、背を向けた。
「だが、だとすると誰がやったのか……」
「そんなこと、俺が知るはず──」
ひとつのことに気づき、ガムラオルスは冷や汗を流した。
彼がこの場に訪れることを知っていたのは、事実上スケープ一人だ。だとすれば、これを仕向けたのが彼女と考えるのが至極当然。
スケープは、言ってしまえばこの瞬間を狙っていたのだ。毒殺をせずに接近し、味方の盗賊すらも捨て駒にし、ミネアがただ一人になる状況を作り出す。それが、彼女の目的。
「(魔轟風を支配した俺がいれば、あの小娘にも手を出せない。クソ、戦えさえすれば巻けるはずもないが……)」
明らかに尊大な態度を示しながらも、ガムラオルスは冷静な状態でトリーチに向かい合う。
「犯人を倒せるかもしれない。可能性の次元ではあるがな」
「なんだと。ならば、俺も連れて行け」
「その装備では戦えないだろう? 貴様はこの魔轟風の支配者となった俺と互角に近い戦いをした男だ。だが、今のお前を伴えはしない」
トリーチの《天駆の四装》はすでに破損しきっている。生きているのは足の二機だけ、これでは空中を舞うことすらできないのだ。
「ならばこれを持って行け。今の俺には必要ない」
「……ああ、大切に使わせてもらう」
性質上、それをガムラオルスが使えるはずがなかったのだが、彼からすればトリーチは敬意を持つべき相手に変化している。だからこそ、受け取っていた。
良くも悪くも、トリーチは彼にとって初めて苦戦した相手なのだ。
ヴェルギンのように一方的に叩きのめされるわけでも、ミネアのように近接と遠距離という戦闘型が違う相手でもない。
ガムラオルスは足に装置を纏わせ、トリーチに別れを告げると、そのまま飛翔した。
今回はミネアの発見という目的があるだけに、出力に制限を掛けない。発見するまで全力で飛び続ける、という意思が現れている行動だ。
空中を凄まじい速度で進んでいく。空気の圧力はかつてのままだが、それでもガムラオルスは確かな成長を遂げているのだ。
ただ、さすがに休みなく飛ぶのは不可能らしく、夕刻には一度着陸して休息を挟む。
軽く一睡してから、夜が深くなる頃合に再度飛び上がった。
それから一日を掛けて移動し、途中で一日分の水と食料を補充する。それだけで追いつけるという見込みを得たようだ。
その読みは的中する。ただ、見つけたのはスケープの方だったが。
馬車から感じる魔力は、間違いなく彼女のものだった。かなり制限されているが、ガムラオルスは気色の悪さで判断していただけに、すぐに判断できる。
勢い良く降下し、馬車の前に着地した。
突然の闖入者に驚き、馬は暴れだす。それに気づいたスケープはすぐに馬車から飛び出した。
最初こそは殺意の篭った視線を見せていたが、すぐにもとの表情に戻る。
「ガムラオルスさんじゃない」
「狙いはミネアだったか」
本人がいないからか、ガムラオルスは本当の名前の方で呼んだ。
「なんのこと? ただの行商人にそんなこといっても──」
「なら、荷物はどこだ」
この場に限っては直感が冴え渡る。馬車の中には食料が積まれている程度で、売り物になるものはなかった。当然、件のブドウジュースも。
「なんで気づいたの?」
「お前ははじめから怪しかった。聖なる風の者」
「……聖なる風、か。あのお姫様の態度から、ただの妄言吐きだと思っていたけど、違うみたいだね」
馬車に戻ると、スケープは灰色のマントを纏った状態で再び出てきた。
「それはッ──」
「このような相手だけど、ワタシでは突破できそうにない──だから、お願い」
ガムラオルスではない誰かに声を掛けた途端、マントが緑色の光を放ち、脈動する。
刹那、奇術師のようにマントで全身を包んだスケープは──男になった。
藍色と金色の混じったような髪をした、目つきの悪い男。
青い瞳はガムラオルスを見据え、嘲るように挑発の目線を送る。
「風の太陽が妨害してくるとは、驚きだ」
「貴様は、誰だ」
「通りすがりの旅人──名はスタンレーという……が、この言葉は無用だな。今まで、この名乗りが意味をなしたことはない」
それまでに名乗った人間は、全て殺したから──とは、言わなかった。
「貴様がメルトの町で、町民を殺したのか」
「ああ、風の太陽の足止めができれば十分だと考えていた。だが、殺しに文句をつけるのは小門違いではないか? お前もまた、あの貴族の手先として行ってきたことだ」
「何故それを知っている」
「当初はお前を利用する予定だったからな。忘れるはずもない──まさか、火の国側が身分の知れないお前を囲うとは思わなかったが」
スタンレーの目的は、ガムラオルスの入手。
普通ならば身分の知れないガムラオルスは門前払いを食らって終わり。そうなれば、身を寄せられる組織は盗賊ギルドしかないのだ。
そうなれば、都合よく《選ばれし三柱》を勢力に加えられる。それを狙い、当時スケープを利用して彼を逃がそうとした。
スタンレーもガムラオルスも知らないのだが、スケープがシアンに接触した時点でその作戦は失敗に終わっている。
《選ばれし三柱》であるという事実を聞かされた時点で、シアンはあえて都合のいい案内役を引き受けたのだ。
それと平行してミネアに──伝言役はフィアが引き受けた──連絡をし、ヴェルギンを城の護衛につけるようにと要求している。
《選ばれし三柱》を盗賊ギルドに渡さず、かつ彼を正しい道に導こうとした。シアンの知略は、完全な形で成功している。
「俺はかつて人を殺めた。それを後悔してるつもりもない。だが、俺はその罪深き烙印を背負って生きている──そして、俺の身内で起きることは話が別だ」
とても人間的だが、それ故に分かりやすい。スタンレーも、これには笑いを浮かべた。
「素直な男だ。だが、残念ながらお前はここで消える。俺には、火の星から奪わなければならないものがある」
「させると思うか」
「逆に聞き返そう。お前程度で俺を止められると思うか?」
互いに睨みあい、ガムラオルスが先制する形で接近した。
ショートソードの斬戟が放たれるが、スタンレーは笑いながらそれを回避する。
「直線的だ」
「だろうな。だが、俺は日々進化し続けている。時の砂が一粒落ちるごとに、光の──闇の速度で最強へと近づく」
攻撃を振り切った後、手を離して空いた左手で剣を掴んですぐさま攻撃に移った。
完全な奇襲。ヴェルギンとの修行で獲得した、フェイント技のひとつ。
予知でもなければ回避不可能──の、はずだった。
「この攻撃は当たらない」
僅かに射程が届かず、服すら切れずにガムラオルスの攻撃は空振りに終わる。
「っ──」
「お前の斬戟はすばらしかった。だが、俺の《秘術》──《絶対直感》を前にすれば、無駄だ」
「《絶対直感》、だと」
「そうだ。起こりえる現象の中で、自分が選択した状況を作り出す力。アリが軍に勝てないのと同じく、不可能状況とならなければこの能力は突破できない」
聞くだけでは最強の能力だが、当然ながらリスクがある。
この能力は意識的な超予知能力とも言えるのだ。自分のする行動によって変化する事象を、意識の中で体験することができる。
これはつまり、意識だけを時間転移させることにも等しい。逆に言えば、状況を打開できる選択を発見するまで探し続けなければならない。そして、詰んでいる状態ではどうしようもないのだ。
一厘の可能性でもあれば、回数をこなし、確率の海から正解を引きずりだす術。苦こそあれど、凄まじい《秘術》であることは言うまでもない。
「お前を倒すのに、俺の力は必要ない」
「魔轟風の支配者である俺を、侮るなッ」
《翔魂翼》から光線を放ち、超高速で接近した。突進にも近い攻撃だったが、逆にこれが悪い方向に自体を進ませる。
スタンレーは既に《魔導式》を展開していた。それを、ガムラオルスは気づけなかったのだ。
「刹那の痛みを越えろ《幻影召還》」
突進してきたガムラオルスの前に、屈強な男が現れる。
杭のついた全身鎧を纏っているらしく、ガムラオルスにカウンターのような形でダメージを与えた。彼本人は、少し押し出された程度で済んでいる。
「仮面の男……だと」
男は真っ白の仮面をつけていた。顔色は一切判断できない。
ただ、出現したのは一人にとどまらず、遅れて二人が出現した。
一人は年老いた老人。橙色の刺繍がいくつも刻まれた、豪奢な服を纏っている。
そして、最後の一人は──藍色とも紫色とも言える髪を持つ、中年と思われる男だった。
「かつて俺が殺した者達だ。《幻影召還》は殺した人間の幻影を生み出し、意のままに操れる。言うまでもないが、全員が全員、この世界では屈指の使い手だ」
二人の男の位置、体格から老人と中年が後衛職であると見抜き、ガムラオルスは凄まじい脚力で屈強な男を突破しようとした。
だが、武器ひとつ持っていない男はすぐさまブロックに入り、ガムラオルスを前には進ませない。
「(防御特化型……時間稼ぎをしている間に術を発動させるつもりか。クッ、小ざかしい真似を)」
橙色の《魔導式》と藍色の《魔導式》。ガムラオルスには判断できないが、その両方は上級術まで伸びる。
攻撃で突破しようにも、手持ちのショートソードでは重鉄の鎧を破壊できない。体技も封じられているので、完全な手詰まりだ。
ただ、それで攻略できるならば《選ばれし三柱》ではない。数千を相手取っても戦える、それほどの圧倒的なまでのアドバンテージ。
「魔轟風よ、今一度俺に力を貸せ。《魔閃風-デヴィルズオーバーレイウインド》」」
緑色の光線が放たれ、屈強な男を弾き飛ばす。そのまま攻撃は続行され、その奥で《魔導式》を展開していた二人へと伸びた。
「彼らを侮るものではないな」
「なに」
藍紫髪の男は《魔導式》を解体し、別の《魔導式》に組み替えた。それは、闇属性の術ではない。
光線がその《魔導式》に命中した途端、その両者が互いに自壊していく。これは、どの属性にも存在しない現象だ。
「彼は《魔技》にも精通している。非常に高度な技術だ」
今発動された《魔技》のロジックは非常に簡単。攻撃対象がガムラオルスに設定されていたのだ。
この《魔技》自体は現象そのものへの影響をもたらすものではなく、光線を通じてガムラオルスの精神を蝕み、操作の感覚を狂わせる。
解説のような言い振りをし、《魔技》を得意としていると言ったのも、ある意味でいえば戦略の内。精神に攻撃されているとは、ガムラオルスは気づいていない。
《選ばれし三柱》を相手にしながらも、気づかせすらしない精神干渉系。《邪魂面》を使っていた、元《闇の太陽》だけはある。
「(あの男、明らかに気配が違う)」
ガムラオルスは演技を捨て、純粋に興味を抱いた。
三人の中でも、かつてムーアだったそれは放たれている気迫が違う。同類だからこそ理解できる、特有の気とでも言うべきか。
だからこそ、仇討ちでありながらも彼は心を躍らせる。
「どうにも、貴様らはかなりの使い手らしい──人間の次元であればな。だが、十三階梯の俺には届かない」
ただの戯言と思い、スタンレーは嘲笑った。
風が周囲に吹き荒び、砂漠の砂が舞う──ガムラオルスの姿は、完全に隠れた。
瞬間、砂を弾き飛ばしながら、緑色をした光の尾が天に昇っていき、超高度から降下しながら迫る。
その様を見たスタンレーは開口する。まったく予見しなかった現象だと、咄嗟に《絶対直感》を発動させ、逃げ切る道を探った。
しかし、そこに逃走経路はない。凝固した意識の中、何百、何千、何万と繰り返すが、全てが攻撃命中という現象に辿りつく。
「なるほど、これが《選ばれし三柱》か」
ガムラオルスの蹴りがスタンレーに直撃し、三人の幻影は消え去る。スタンレーも遠くへと吹っ飛ばされた。
殺したのか、それには興味がないらしく、ガムラオルスはショートソードを構える。仇討ちという役目を背負ったからには、それをなさなければならない。
何の躊躇いもなく切ろうとした瞬間、ガムラオルスは倒れた。
「《偽身分裂》、自分の分身を作る《秘術》だ。あの場面、俺が本体を置いていたら終わってただろう」
《秘術》においても詠唱放棄は可能だ。だが、その場合は効果が目に見えて低下する。
倒されたはずのスタンレーは体の一部がブレており、魔力の質も変化していた。
ミネアのような魔力察知の能力や、僅かな変化も見逃さないような観察眼があれば見破れていたのだが、あの状況のガムラオルスにそれはない。
落ちたショートソードを拾い上げると、スタンレーは動けないガムラオルスを切り裂こうとした。
「……どうやら、遊びすぎたらしい」
今度は分身などではない、スタンレーの本体がブレだす。明らかな異常事態だ。
「スケープを依り代にするようでは《秘術》数発が限度、か。命拾いしたな、風の太陽。また俺を邪魔するようなことをすれば、今度こそ殺す」
それだけ告げると、スタンレーは姿を消す。霧散、消滅、という現象とは違う形で。
その場にスケープが残ることもなく、マントも消えている。
スケープが死んだとは思えない辺り、何かしらの《秘術》を使って逃亡したのだろう。
「くそっ……」
一人残されたガムラオルスは次第に体の感覚を取り戻し、砂漠の砂を殴りつけた。
彼の失敗はただひとつ、それは油断したことだ。
ただ、それを込みにしてもガムラオルスがあの状況で勝てたとは思えない。ヴェルギンとはまた違う、勝つ見込みを僅かに残した完敗。
おそらく、そう遠くない位置にミネアの馬車がある。そこに合流すれば再びヴェルギンの元で修行に励める。
ただ、ガムラオルスはそれでは納得しなかった。
自分が、自分だけの力で出来る限りを尽くし、その上で堂々と戻る。それこそが、彼の美学に基づいた行動だったのだ。
「スタンレー、いずれ──俺が必ず倒す」
ガムラオルスは決意を新たにし、ヴェルギンの待つ火の国方面に背を向けた。




