10
ミネアが帰ってから一日後、ガムラオルスは決闘の場所として指定された森へと向かう。
死体は片づけられているが、死の臭いは依然として健在だ。
「逃げずにきたな」
「貴様程度に逃げるとでも?」
「俺の名前はトリーチ、お前は」
「ガムラオルス。世界に吹き荒ぶ漆黒の風、魔轟風の使い手だ」
「魔轟風……そんなもの、聞いたことがないぞ」
「フッ……力なき者には分からぬだろうな」
勝負開始を告げるのは鳥の鳴き声。聞こえた瞬間、決闘開始だ。
ガムラオルスは瞬間的に相手の手札を確認する。武器は見えないが、襤褸マントを羽織っているので、ないとは確定できない。
鳥の声が呼び水となり、ガムラオルスは肉体による近接戦闘を仕掛けた。
ところが……。
「っ……」
トリーチはマントを脱ぎ捨てると、鎖を木に向かって放つ。
彼の四肢には奇妙な装置──両腕にはラウンドバックラー状の物、両足には鎖が巻きつけられた輪状の物──が装備されており、鎖はその片手に装備されたものから射出されていた。
鎖といっても、この世界では見たことのない、細かい鎖だ。一個の輪ですら小指の爪ほどの大きさしかない。
鎖が木に絡みつくと、そのままトリーチの体は宙に投げ飛ばされる。
鎖が装置の中に戻っていき、引っ張られているのだ。
「(飛行……いや、あれは跳躍のようなものか)」
装置の力からか、その移動速度は凄まじい。《風の一族》でも、あれほどの動きをできる人間はいない──ティアを除いて。
空中を飛び回りながらも、トリーチは小さなクロスボスを取り出し、ガムラオルスめがけて放った。
「(相手の上を取り、その状態での遠距離武器、か。手がなければ、それこそ無敵の組み合わせだな)」
術を使えるガムラオルスとはいえ、あの速度で飛んでいる対象に照準を定めるのは困難極まれる。
ともあれば、彼の打てる手は一つしかない。
「終わりだ」
「まだ一発目だ。気が早すぎるな」
両肩が緑色に輝き、光線を放ちながらガムラオルスの体は宙に浮かび上がった。
凄まじい推進力を持って飛翔するガムラオルスの姿を見て、トリーチは開口する。
迫る弓矢を加速しながら回避し、鎖による移動中のトリーチへと鋭い抜き手を放った。
咄嗟にクロスボウを盾にし、攻撃の直撃を防ぐが、加速と高い筋力から放たれる突きは凄まじい威力を内包している。
一撃で硬質なクロスボウが砕け散り、その余波でトリーチも吹っ飛ばされた。
この攻防はガムラオルスの勝ち……なのだが。
空中維持や着陸を考えない急発進急停止の動きによる反動を受け、ガムラオルスは空気の圧迫感に潰された。
瞬時に着陸態勢を取るが、その間にはトリーチも復帰している。
仕返しとばかりに、ターザンロープを思わせる方法で加速したトリーチの体当たりがガムラオルスに直撃した。
地面に叩きつけられる寸前に光線を高出力で吹かし、落下の勢いを相殺し、僅かな余剰分として浮き上がってから地面に落ちる。
この移動期間に取得できたのは、こうした緊急回避手段くらいものもの。
それでもミネアのアドバイスの甲斐ありか、左右の出力を間違えて勢いよく、左右のどちらかに叩きつけられることはなくなっている。
「(瞬間加速や高度はこっちが上だが、あいつの機敏性には勝らない)」
トリーチの強みは《風の一族》に匹敵する機動力、そして空中を歩くかの如く、自由自在に移動できるという力。
武器は破壊したが、それでもトリーチがそれだけを頼みにしているとは考えていない。だからこそ、ガムラオルスはリスクを承知で攻めた。
「ッおぉおおおおおおお!」
「接近戦だな。だが、こっちもそれは得意だ」
すばやく足首を二度スナップさせると、トリーチの足に巻きついていた太めの鎖が開放される。
木々を垂直に上り、枝を足場に、時に木を壁に見立てて壁蹴りしてガムラオルスはトリーチの傍にまで到達した。
しかし、射程に入った途端、トリーチの鋭い回し蹴りが放たれる。
距離が足らず、蹴りは空振りに終わるが、本当の狙いはその先──足に巻きつけらた鎖による攻撃だ。
「(鎖ならば掴んで──いや、あれは)」
瞬時に動きを止め、木に手を摺らせながら接近を一時中断する。このガムラオルスの選択はまさに聡明、《風の一族》だからこそできた瞬時の判断。
トリーチの足蹴りによって打ち出された、鞭の如く一撃。蹴りの勢いによって加速した鉄の塊はそれだけでも凶器だが、足の鎖には棘がついている。
「スパイクチェーン。腕の方も、対象に巻きつける部分にはついているが、足の装備は全体がスパイクチェーンになっている。接近戦はするだけ無駄だ」
「っく……」
高機動力、スパイクチェーンによる結界、そしてラウンドバックラーによる近接防御。移動型要塞──ミスティルフォードには存在しないが──を想起させる守りだ。
ガムラオルスが現在の手札で勝つ方法は一つしかない。
逆転を賭けた特攻。最大出力で光線を放ち、急接近してから相手の防御を破り、一撃で倒す。
言えば簡単だが、それが如何に難しいかは言うまでもないだろう。
そもそも、この作戦を実行した場合、自分の体すら負荷に耐えられない可能性すらある。
それ以前に、視界ゼロ状態で攻撃を命中させることがどれほど困難か。結局のところ、机上の空論でしかなかった。
「掛かってこないなら、こっちから行くぞ!」
接近してこないトリーチに疑惑を覚えた途端、ガムラオルスの体はなぜか吹っ飛ばされる。
見えない力場に衝突したような感覚を覚えた時点で、それが念動力によるものだと明らかとなった。
この単純な攻撃、これですらミスティルフォードでは類まれな才だ。
そもそも《超常能力》は使用者数も少なければ、大抵の効力が強力とは言いづらいものばかり。
その中でこの攻撃力、そして──少なくとも、《選ばれし三柱》と比べれば資質で劣るが、能力の希少性で言えば近しいものではあるのかもしれない。
「(これが本命の遠距離攻撃か。だが、これならば破れる)」
大きく深呼吸すると、ガムラオルスの両肩が輝いた。
かなりの速度での飛行。ただ、それでも心理的な制限からか、出力は半分程度、未だ迎撃できる程度の早さでしかない。
「無駄だ!」
鎖の鞭が放たれるが、ガムラオルスは咄嗟にショートソードをレールのようにし、攻撃を受け流した。
続く一撃には無抵抗に思われたが、空手の左手に風属性の導力を集め、それによって鎖に正面対決を挑む。
防御の属性が影響してか、腕が弾け飛ぶようなことにはならなかった。それでも、痛々しい爪痕が上腕に刻まれ、飛行の速度も減退する。
次第に接近していくが、速度が落ちてしまえば二段目の準備時間を作ってしまう。
「(もっと早くだ。俺に力を貸せ、俺を風に変えろッ!)」
「無駄な足掻きだ!」
「っおおおおおおおおおおお!」
叫んだ途端、出力が上昇し、一気にガムラオルスはトリーチの脇にまで接近した。
対象を失った二発の鎖。これでは近接で攻撃に移ることはできない。
「木製のラウンドバックラー程度、破れない俺ではないッ!」
なにも付加されいない、純粋な拳打。それでも、その一発は《風の一族》の一撃だ。
衝撃でトリーチは吹っ飛ばされ、鎖を射出する前に木へと叩きつけられる。
それと同時に、ミシリ、と軋みをあげてラウンドバックラーは真っ二つに割れた。
「これで一発だ」
「……いまの一撃は驚かされた。だがな、こっちのバックラーは砕かれたわけではない、俺が解放したんだ」
怪訝そうにバックラーを見るガムラオルス。彼が真実に気づくまで、時間はいらなかった。
「(綺麗な割れ口だ。拳で叩き割れば、ささくれもでるはずだが……奴の戯言も、存外嘘ではないようだな)」
本来ラウンドバックラーがついていた部分には、殻を取り外されたかのように、短い両刃の剣が姿を表していた。
あの道具は密着戦でも戦えるように、盾から剣に切り替えることができるような仕組みだったらしい。
だとすると、今の一撃は木に叩きつけられただけにすぎなかった、ということになる。
あそこまで無茶をやっても、武器破壊すらできなかった。この逆境を前に、ガムラオルスは口許を緩める。
「久しい! 久しいぞこの感触。魔轟風も、この戦いを楽しんでいる」
「楽しい……だと?」
「ああ、この鎬を削る戦い。首筋に刃を突きつけられながらの、正真正銘の戦い。強者とするそれは、何者にも代え難い愉悦を与えてくれる」
理解できない、といった様子でトリーチは枝に鎖を巻き付け、体勢をなおした。
ガムラオルスが勝利する為の方法は、もう一つある。それは、木々を全てなぎ払うことだ。ただ、これに関しては確実に行われないだろう。あのような発言をした後では。
「俺にとって、戦いとは生き残りを賭けたものだ。常に狙われ、生きながらえる為だけに力を求め、鍛えてきた」
トリーチの言葉を聞き、ガムラオルスは一時的に攻撃の手を止めた。
「その俺にとっての安息の地がここだった。ここで俺は長い間平和に過ごすことができた……《武潜の宝具》を手に入れ、皆を守ることができた」
「《武潜の宝具》だと」
「そうだ。非力な力しか持たなかった俺が、その望みを実現するに足ると感じた力。《天駆の四装》、人を地の楔から解き放つ道具だ」
「非力? 貴様の能力が、か」
与えられた念動力による一撃は、決して軽いものではなかった。術と比べれば劣るかもしれないが、術にはない即効性を持っている。
だからこそか、ガムラオルスにはどうにも解せないという顔を見せた。
「俺は戦う力がほしかったわけじゃない。俺が望んだのは、空を目指す力……飛行する力だった」
「飛行する……力、か」
「念動力によって宙に浮かべると気づいた時から、俺はその力を高め続けた。だが、浮遊こそできても飛行には至らなかった。その俺に、この宝具は力をくれた……宙を飛ぶかのような──いや、跳ぶような感覚を与えてくれた」
「跳躍を道具に任せているということは、貴様はまだ本気ではなかったということか」
トリーチはかぶりを振る。
「逆だ。こいつは空を跳ぶ力を与えてくれたが、逆に空を飛ぶ力を俺から奪い去った。お前が気づかないはずもないだろ、この装置による加速による負荷がどれほど重いかを」
普通に考えれば、あのような動作を連続していれば肩が脱臼していてもおかしくない。
最悪の場合、負荷に耐えれずに腕が引きちぎられることすらあり得るのだ。
それについてはガムラオルスも奇妙に思っていた。
ただ、彼の場合は肉体が丈夫な《風の一族》であるからして、そのような無理が可能なのだと考えていたのだ。
「念動力で自身の肉体を固め続けなければ、俺は空に或ることができない。皮肉なものだ、その方が強く、多くの人を守ってくれたんだからな」
「それを言うことは俺に負ける可能性を高めることになる……何故言った、俺を舐めているのか」
「そうじゃない。俺も理解できていない……いや、お前を憎悪しているからかもしれない。俺から大切な人達を奪ったことも、空を飛べることにも」
それで会話が終わり、互いに睨み合う。
静かな森の中、木がざわめいた途端、二人は接近した。
光線を推進力とし、突撃していくガムラオルス。
ガムラオルスの後方に両腕の鎖を放ち、引っ張られる力で接近していくトリーチ。
二人の体が交差したのは、森を抜けた上空。木々がない、空の麓。
二つの雄叫びが鳴り響き、両刃の剣とショートソートが衝突した。
二人とも衝撃で弾かれるが、トリーチには鎖の鞭がある。
「奥の手だ。力を貸せ、魔轟風ッ! 《魔轟-ダークロードソニックレイ》」
予期しない詠唱に、トリーチは判断を遅らせた。
《魔導式》はどこか、どのような術か。ただ、それは無意味な行動である。
空に向かう為に放たれていた光線は方向を変え、トリーチに──鎖の鞭を狙い撃ちにいった。
片方の鎖は完全に砕け散り、もう片方の鎖も光線に弾かれて無力化される。
そのまま余剰分の力がトリーチに牙を剥くが、これは自然落下によって空振りに終わった。
「《魔導式》もなく術を……お前は、いったい」
「俺は魔轟風の使い手、ガムラオルスだ。覚えておけ」
特攻からの攻撃移行。飛行を体得することではなく、意外性をこめた攻撃をこの土壇場で獲得してみせた。ある意味、ヴェルギンへの返答としては成立している。
とはいっても、実際には詠唱など必要なかった。光線の向きを変えるのはガムラオルスの意志であり、技名はただの格好付けでしかない。
年相応な格好付けのおかげで判断を歪められたのだから、あながち全て悪いとは言い切れないが。
トリーチは落下を防ごうと鎖を放つが、自分の体を森から離した場所に吹っ飛ばしてしまったことが災いし、二本も巻きつけられる木が見つからなかった。
刹那、トリーチはほんの僅かだが、空中に叩き上げられた。おそらく、念動力を発動して衝撃をかき消したのだろう。
「空を飛べる奴に──俺から大切な人を奪った奴に、負けられるかァ!」
周囲に木がないという状態で、トリーチは両腕の鎖を射出した。狙いは──ガムラオルス。
肝心のガムラオルスも反動で流されている状態なだけに、回避行動はまったく取れない。そもそも、この空中飛行は《風の一族》としての機敏性を損なわせるものでもあるのだ。
判断ができても回避できない。
スパイクチェーンがガムラオルスの両足に絡みつき、肉を抉りながら縛り上げた。
「(この土壇場で同士討ちだと……クソが、くだらない幕切れだ)」
そう言いながらも、ガムラオルスに返しの技があるはずもない。このままであれば、二人とも地面に叩きつけられて終わりだ。
手がない、そんな状況でガムラオルスは脱力し、トリーチに語りかける。
「空を飛べる奴だと? 俺のこれが飛行だと思うか? この力は所詮、ただ使用者を吹っ飛ばすだけだ」
「だが、それでもお前は空に近づくことができる」
「それができるのはお前も同じだ」
トリーチは一瞬だけ怯んだ。
「こいつに飛ぶ力なんてねぇよ。だがな、この俺にはある。この状況すら打開できる! 飛べないからだなんだといいわけなんて吐くのは、格好がつかないだろうが!」
「お前に、何ができる」
「魔轟風よ、今こそ俺に力を貸せ──いや、俺に従え! くだらない常識を、すべて壊せ!」
魔轟風への啖呵は、言ってしまえば自分の恐怖心を叩き伏せる為の、暗示の言葉だった。
だが、ただの偶然として風が吹いた。強い風、鋭い風──それを魔轟風だと、自分が起こしたと錯覚するには、十分すぎる風。
「俺は今、風を支配した。魔轟風の使い手──いや、今の俺は魔轟風の支配者ガムラオルスだ!」
ガムラオルスの両肩が緑色に激しく輝く。煌々とした閃光はソニックブームを発生させながら、下方にある森を数本倒し、ガムラオルスの体を空へと導いた。
鎖が足に食い込み、凄まじい激痛を覚えながらも、それでもガムラオルスは恐怖を感じていない。今、彼は本当の《魔轟風の支配者》を演じきっているのだ。
鎖は加速の負荷に耐え切れず、引きちぎられる。そうして、空へ向かっていくガムラオルスの姿を、落下していくトリーチは眺めた。
「(人間が──空を、飛んでいる)」
尾を引く緑色の光線は遥かな空へ伸びていき、ガムラオルスの姿は点になる。
トリーチは、結局信じていなかったのだ。
自分には跳躍しかできない、空中を自在に舞うのが人間の限界だと、自身を呪縛していた。
本来ならば恨むはずの敵対者でありながら、トリーチは純粋にガムラオルスを羨望し、そして賛美する。
叩きつけられそうになった瞬間、ほぼ無自覚に想像した飛行のビジョンが現実のものとなり、トリーチはか弱いながらも飛行を実現させた。
「(俺もまた、飛べたのか?)」
その奇跡にも似た現象は刹那の夢であり、すぐにトリーチは地面に落ちる。ただ、距離が距離なだけに、軽く怪我をする程度で着地となった。
空を見上げると、次第に高度を落としながらも、安定した滞空を実現したガムラオルスの姿があった。
「魔轟風の支配者、ガムラオルス……か」




