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――ティアの精神世界にて……。
「へ……どう、いうこと……え? どうして?」
エルズは混乱していた。
本物だと思っていたティアは、抱きしめた瞬間に消えてなくなった。
精神世界であればよくあること――ということでもなく、むしろあり得ないことだった。
「(どうして? ……これがティアじゃない、なんてことはないはずなのに……)」
『エルズ! 大好きっ!』
頭の中に、幻想の告げた言葉が響いた。
「もし、これがニセモノだったら……ティアは……」
手には、彼女の服の一部が残っていた。ただ、それも彼女が真相へと近づくにつれて、消えていく。
「(本当は、エルズのことなんて、好きじゃない……)」
身近な、それも親しい人間に大して神器を使ってこなかったツケが、ここにきて回ってきた。
彼女は本質的な意味で、ティアの全てを理解していたわけではないのだ。
それは誰であっても同じこと。他人の本心を探るなど、どんな人間にもできないことなのだ。
その例外がフィアなどの特異な能力であり、またエルズの持つ《邪魂面》だった。
神器を持ち、父親から英才教育を受けていた彼女は、基本的な知識を得ていた。だからこそ、どこかで達観し、他人にどう思われようともさほど気に留めなかった。
だが、親友に対しては、その覚悟をしていなかった。
ここまで尽くしてきたのだから、好かれているのは当然のものだと――うわべしか知ることのできない、平凡な人間と同じ考えを持ってしまった。
精神を操る人間にとって、この通常の人間と同じ考えを持つ、というのは想像以上に致命的なことである。
ただの人間であれば、たとえ本音を明かされたとしても、それもまた嘘であると自己完結できる。
だからこそ、相手の真意を知ったところで壊れはしないのだ。
しかし、彼女は違う。彼女が知る本音とは、偽り一つない情報なのだ。
そして、エルズはそれをよく知っている。
故に、これをどうやっても否定することができないのだ。無想し、現実逃避をすることさえできない。
「今まで、エルズは何をやってきたの……ただ一人で、勝手に、望まれもしていないのに! 馬鹿みたいに自己犠牲をして!! それで満たされていたのも!!!! 全部、全部! 全部!! ……ただの、自己満足だったって」
皮肉なことに、彼女はティアの真実を知ったからこそ、今まで見えていなかった事実と向かい合うことになってしまった。
誰もが感じていたが、彼女の気付いていなかったこと。
彼女の行為は、紛れもないただの独りよがりであり、自己満足でしかなかった――ということ。
例によって、これもまた人間であれば当然のことだった。
だが、やはり彼女は言い訳ができない。いや、救いがないのだ。
「エルズは、何も分かっていなかった……親友だと思ってたのに、ずっと居たのに、ティアが何を考えていたのかも……なにも」
気付きは、急激に彼女の世界を狭めていった。
生きていく為に不可欠な不確定要素が、凄まじい速度で埋まっていく。パズルのピースが埋まっていくように。
誰しもが不確定の世界で生きている。多くが見えているようで、何も見えてはいない。何も、感じてはいないのだ。
今のエルズには、自分の周囲全体が熱せられた鉄板のように見えていた。
一歩進めば、間違いなく足が焼かれる。そういう状況だ。
だが、これは今始まったことではない。ずっと、そうだったのだ。
何も見えず、何も感じなければ、この鉄板の上を目隠しの状態で歩いて行ける。
どれだけ焼かれようとも、死には至らない。そういう類のものだ。
しかし、今のエルズは怖くて動けなくなっている。たとえそれが死に至らないものであると分かっても――今まで歩いていた場所だと分かっても、それは変わらない。
新たに見えた世界により、彼女は妄想をする。
動くことが、死に繋がるのではないか――と。起こりえもしない、他人から見れば馬鹿げた妄想だ。
だが、知ってしまえば誰もがそう思う。一度、ただ一度その鉄板の熱に触れ、手を引っ込めた瞬間、もう二度と眠ることはできない。
一生、死には至らない苦痛と恐怖の中――眠りの世界で過ごす盲の中で生きていかなければならないのだ。